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「あの、私も同じものが食べたいです」
「ほんと? じゃあ決まり」
杏さんが振り返り、手を挙げた。
「坂本(さかもと)さん! いつもの二つ。覚えてるー?」
「当たり前よ。すぐ作るから待ってな!」
威勢のよい返事と笑顔。きっと誰からも好かれるような人柄なのだろう。杏さんもそこに惹かれたのかな。
「坂本さんなんか見つめちゃってどうしたの? 一目惚れ?」
テーブル上の調味料を触りながら、杏さんが首をかしげる。
「いやいやいや。その、意外というか、何というか」
「意外?」
どうしてここなのか聞いてみたい。でも失礼に当たらないかな。自分の好きな場所を貶された、なんて思ってほしくはない。でもなぜか、杏さんなら大丈夫という謎の期待が胸に満ちている。
「杏さんがこういうお店に来るのが、意外でして」
声をひそめながら告げると、杏さんの眉間にしわが寄った。しまった。言葉足らずで勘違いさせた気がする。
「ここはとてもいいお店ですけど、てっきりおしゃれなカフェに行くものだと思ってて」
「ああ、そういうこと? てっきりお店の悪口だと思った」
大げさなくらいに首を振る。そのせいでズレた眼鏡を直すと、杏さんが笑みをこぼしてくれた。ほっと一息、お冷を口に運ぶ。
「どんなお店だと思ってたの?」
「てっきりオシャレなカフェかと。そっちの方が杏さんらしいというか」
「らしい? 私ってどういう風に見えてるの?」
そうですね、と前置きして言葉を並べていく。
「モデルさんみたいなやり手のキャリアウーマン、でしょうか」
「何それ。兼業してるってこと?」
「いえ、えっと、モデルさんみたいにきれいで仕事もできそうですごいなあって」
「ふうん。なるほどね。そっかそっか」
頬づえをついてそっぽを向いてしまった。すぐに謝ろうと口を開くも、杏さんの耳がほんのり赤くなっているのが見えた。これは嬉しいってことでいいのかな。あまのじゃくの杏さんがかわいく見えてきた。
「急にニヤニヤしちゃってどうしたの?」
頬に触れれば、たしかに口角が上がっていた。
「いえ、何でもないです」
首を振るも口元は緩みっぱなし。話を変えないとずっとこのままだろう。話題を探そうともう一度店内を見渡した。
がつがつとご飯をかき込む人、新聞を見ながら箸を動かす人、話に花を咲かせ笑い合う人たち。いろんな音が店の中にあふれ、それぞれがそれぞれのお昼を楽しんでいる。
「平日なのにすごい人気ですね」
「この辺りじゃあ有名だからね。安くておいしくて、坂本さんもいい人だし。週末のお昼なんか家族連れも来るから、とんでもない盛況ぶりなの」
週末。そうだ、それだ。休みの日は何をしているんですか。そんな定番の話題が思い付かなかった自分が情けない。
「あの、お休みの日は何をしているんですか?」
「休み?」
杏さんがぱちくりとまばたき。話題を変えるのが早過ぎたかな。
「昔は家の片付けとテレビを見るだけで、一日が終わってたかな。あんちゃんは?」
昔は? その一言に引っかかるも、すぐに質問に答えようと頭を切り替えた。
「私も同じ、ですかね」
「そうなの? 映画とか見に行ったりしなかったの?」
杏さんが私の映画好きを覚えていてくれた。それが嬉しくて破願してしまった。
「最近はいろんなサブスクに入ってて、うちでよく映画を見ているんです」
「へえ。あんちゃんって本当に映画好きなんだ。何かきっかけとかあったの?」
きっかけ。その言葉はまるで、動画の再生ボタンのようだった。脳内で蘇る痛みを伴う記憶。母親の怒声、黙り込む父親、暗い部屋で膝を抱える私。嫌な現実から逃げるためイヤホンで耳をふさぎ、視界を画面でいっぱいにしていたあの頃。
映画の世界へ現実逃避したのがきっかけ。そんなの柔らかい表情を浮かべる杏さんに言えるわけがなかった。
「両親と見た映画がきっかけで、それから好きになったんです」
「なるほどね。大好きなものがあるっていいね」
杏さんがお冷を口にし、ふうとため息を一つ。まねをするように私も喉を潤したところで気付いた。私ばかり話して、杏さんの話を聞けていない。
これじゃあいけない。強迫観念に駆られて再度話題探し。けれども今度はすぐに思い付いた。
「杏さんは映画、見ますか?」
「普通かな。月に一回映画館に行くかどうかって感じ」
「普通ですね」
「そ。普通」
杏さんの頷きで会話が終了。嫌だ、もっと話したい。
「あの、一番好きな映画ってあります?」
「一番は、そうだな。三年くらい前にやってたアクション映画。ほら、アカデミー賞とったやつ」
三年前のアクションもので受賞。恐らくあれだ。けれどあまりの人気っぷりに、あまのじゃくになって見ていない。探せばサブスクに入っているだろうし、いい機会と思って見てみようかな。
「私さ、終盤でヒロインが死んじゃって落ち込む主人公に、仲間がかけたせりふがすごい好きなの」
「え? あ、あのっ」
「自暴自棄になる主人公に仲間がさ、自分の生まれた意味や価値なんて自分で決めるしかない。それを信じて生きた足跡が人生になるって。そう声をかけるシーンがはっきり思い出せるんだ」
うっとりとため息をつく杏さん。これで同じように思いを馳せられたらどれほどよかったか。
「あんちゃん? 目が死んでるというか、落ち込んでいるように見えるけれど?」
「その映画、見たことなくて」
「……もしかしてネタバレしちゃった?」
深く頷くも悪いのは私。三年も前の映画を見ていない上に、あまのじゃくになって見ようとしなかったんだから。それにしてもあの映画、ヒロイン死んじゃうんだ。そっか。ふうん。
「えっと、ごめんね」
「ずっと見なかった私が悪いんです。気にしないでください」
「そう? なんだか悪いことしちゃった」
その悪いことは気まずさになり、またも会話が途絶えてしまった。無理やり話さなくていいとはいえ、できれば杏さんとは話したい。何か話題は……そうだ。気になったまま放置した疑問をぶつけてみよう。
「お休みのことを聞いた時に、昔はって言いましたよね」
「うん」
「今はどんな風に過ごしているんですか」
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