第29話
ちょうど知り合ってから一月が経ち、前期試験まであと二週間となった頃。
ぱったりと姿を現さなくなった俊介を、何かあったんじゃないかと心配してる自分に驚く。
俊介が以前、取っていると言っていた講義も間が悪いことに教授が体調を崩したとかで、二週連続で休講だ。ほかにどの講義をとっているのかなんて聞いていない。
いっそのこと連絡を取ってみるかとも思ったが、連絡先を交換していなかった。
連絡先くらい交換しておくんだったと今更後悔がチリリと疼く。
このまま何事も無かったように、終わってしまうんだろうか。そう思うとそれは惜しいと素直に思った。
試験勉強に支障が無い程度の短い会話しかしていなかったが、俊介と話をするその時間は真奈美にとって、存外悪くないものだった。
苦手なブラックコーヒーも美味しく思える……なんて事は一切無かったが、それでもそれを我慢しても良いかなと思える程度には。
それが無くなってしまうのは、惜しい。
そもそも、俊介が真奈美に近づいてきた真意も、まだ本人から聞いていない。
人のこと散々に振り回しておいて、今更なにも言わず消えるとか、ふざけんな!
そうして迎えた前期試験当日。試験自体は自習の御陰もあってか手応えのある物だったが、どうにもすっきりしない。
悶々としたものを抱えたまま、帰路につこうとキャンパス内を歩いていたら。
「久野空さん」
後ろから聞き覚えのある、声で名前を呼ばれて振り返ると、そこに呑気な笑みを浮かべて歩いてくるやつの姿があった。
「試験お疲れ様、どうだった? 手応えの方はさ」
「……」
「あの……久野空さん?」
「……」
「ひょっとして、怒ってる?」
「別に。ただ突然顔を見せなくなったと思ったら、いきなりなれなれしく話しかけて来たので、どう対応すれば良いか困ってるだけで」
「……やっぱり、怒ってるじゃ無いか」
俊介は、ばつの悪そうな顔をしてここ二週間どうして、顔を見せなくなったのかの説明を始めた。
「そろそろ試験本番も近かったでしょう。だからそろそろ一人で集中したい頃かなって、邪魔はしたくなかったから」
「それにしたって、一言くらい言ってくれても良かったんじゃ無いんですか?」
「ばったり会ったときにでも話そうと思ってたんだけど、間が悪かったのか全然合わなかったもんだから、タイミングを逃しちゃって」
「いやー参った、参った」と笑う俊介に真奈美としては、もう呆れるしか無い。
「でも、ちょっと嬉しいな」
「なにが?」
「だってそういう風に怒ってくれるって事は、俺が顔を見せなくなったことに、少しは思うところがあったって事じゃ無い?」
「それはっ……」
とっさに何か反論しようかと思ったが結局なにも言えなかった。反論したところで、墓穴を掘るだけのような気がして。
……図星なことを自覚しているだけに余計に。
「さて、試験の方も一段落して、久野空さんも俺に興味をもってもらえたみたいだしさ、俺達付き合わない?」
投げられた不意打ちに、真奈美の目が点になる。
「嫌かな?」
「嫌というか、その、急だったから」
「別に急じゃ無いでしょ。言ったでしょう、君の事が好きだって」
それにしたって心の準備とか色々あるでしょうというのは、言ったところで今更か。
「で、どうする? 懸案期間がいるなら、答えは今すぐじゃなくても大丈夫だけど」
その言葉に少しだけムッとする。
俊介は取り乱すでも無く緊張するでも無く余裕綽々といった感じで、それが悔しい。
ここで「はい、付き合いましょう」なんて言うのは、いかにもチョロい女だ。そんなの生来の勝ち気な性格が許さない。
「どうして、私と付き合いたいと思うのか理由を聞いても良いですか?」
精々余裕のあるいい女を気取って、そう聞いてみる。一方的に手玉に取れると思うなと、そう思っていたのだけど。
「久野空さんが可愛いから」
さわやかスマイルで、臆面も無く言い放たれたその一言に撃墜され、頬が一瞬で熱くなる。
今まで異性との交際が無かったわけでは無かったが、ここまで真正面から可愛いと言われたことは一度も無く。それもそこそこ見てくれの良いこの男にである。
悔しいが、ときめかなかったと言えば嘘になる。
「そ、それは顔が好みだったからって事ですか?」
照れくささを隠すように、眉間に皺を寄せてまるで怒った様な顔になる真奈美。
しかし、俊介はそれに臆することは無く、むしろ何処か嬉しそうな微笑みを浮かべている。
「そりゃあ、全く関係ないって言ったら嘘になるけど。でも、決定打はそこじゃ無かったよ」
「じゃあ、決定打ってなんだったんです?」
「初めて俺が久野空さんに声を掛けたとき、俺が回答が間違ってるところ指摘したら、久野空さん、俺の事を睨み付けてきたじゃない、こんな風にさ」
そう言うと俊介は指で目尻をつり上げて、まるで般若かなにかの様な顔をして見せた。
「そ、そこまで怖い顔してません!」
「いんや、してたね。こう、お前のこと食い殺してやろうかっ! て」
「言ってません! そんなこと」
ふくれる真奈美に「ごめん、冗談だよ」と俊介は楽しそうに笑う。
「ああこの子、間違ったところ指摘されたのが悔しくて仕方ないんだろうなって。そう思ったらこう、たまらなく可愛くってさ」
多分この男の可愛いには、子猫とか子犬とかに対して言うのと同じ感覚だ。じゃなければ男の人がこんなにさらりと、異性に対してそんなことを言えるはずも無い。
だから動揺するな! 照れるな! 深い意味は無い!
「テストで低い点数取るのが嫌だからって言う理由で勉強したりさ、そう言う勝ち気で、負けず嫌いな所がいいなぁって、仲良くなりたいなって思ってさ」
「それは……どうも」
手放しに褒められて、逆にどう答えて良いのか分からない。
俊介は嬉しそうにそう語るが、真奈美からしたら負けず嫌いで勝ち気な性格はどちらかというとコンプレックスで、聞いてる側としては複雑な気分だ。
「はい、質問には答えた事だし、次はそっちが答える番だよ」
「どうかな?」最後に付け足されたその言葉は存外真面目な声色だった。
正直、今まで付き合ったことの無いタイプだったし、なまじ見てくれが良いだけに付き合うことに多少の気後れも感じる。
それでも自習室で彼と話すのは楽しかった、会えない時は寂しいとも。
付き合いたいか、付き合いたくないかを天秤に掛けて、キモチは付き合いたいの方へと傾いた。
「それじゃあ……よろしくお願いします」
照れ隠しもかねて、敢えて仰々しく頭を下げると、俊介もそれに併せておどけたように「よろしくお願いします」と頭を下げる。
「あーよかったぁ」
顔を上げると、俊介がへにゃっと気が抜けたようにそう言った。
「フラられたらどうしようかと、思ってた」
「そうなの? 別にそんなことなさそうでしたけど」
「そんなことないよ。もう心臓もバックバクで」
「私に振られた所で別に困ることも無いんじゃ無いですか? 宮原さん、モテそうだし」
「それでも怖いものは怖いんだよ」
しれっとモテるという部分を否定しないあたり良い性格をしている。
まぁ、実際事実なのだろうし、下手にそれを否定されたところでそれはそれで嫌味だが。
「それじゃあ」
俊介は近くにあった自販機に歩み寄ると程なくして、ガコンという音が二回聞こえてくる。
「はい、お近づきの印にって事で」
そう言って俊介が差し出して来たのは、いつもの缶コーヒーでは無くミルクティーだった。
「今日はコーヒーじゃないんですね」
何気なく尋ねると、俊介も何気なくと言った感じで。
「だって久野空さん、あんまりコーヒー好きじゃ無いでしょう」
「まぁ、そうなんだけど」
特に深く考えずに答えてから気づく。
「知ってたの?」
その一言は、知っていたならどうして今までコーヒーを選んで持ってきてたのよ! という批判の意味も籠もっている。
俊介は例のイタズラが成功した、子供のような顔をして。
「最初の時は失敗したなぁって思ってたんだけどさ、苦手でも見栄張って呑んでるのがいじらしくってついさ。一応、申告があったら止めるつもりだったんだけど、中々言い出さないから」
「分かるか、そんなもん!」
思わず遠慮も無く全力で突っ込む。
「ごめんなさい、もうしません」
俊介が思いの外素直に、ぺこっと頭を下げた。その茶目っ気のあるその仕草に、毒気を抜かれて、それ以上文句を言う気が失せてしまった。
「……分かりました、もう良いよ」
この妙に憎めない感じは、俊介のキャラなのかはたまた自分がチョロいだけなのか。
「ありがとう。それじゃあ、今後の為に聞いておきたいんだけど、コーヒーはブラックとか、カフェオレとか問わず苦手?」
「えっと、うん」
「紅茶とかは?」
「そういうのは別に。午後ティーとか結構好きでよく飲むし」
「オッケー憶えとく。それじゃ改めてまして、これからよろしくお願いします」
「うん、よろしくお願いします」
言いながら、掲げられたミルクティーの缶に自分の缶を軽くぶつけると、カチンと安っぽいアルミの音がした。
そうやって、俊介との交際はスタートした。
最初こそ大人びていて落ち着いたイメージを抱いていたが、実際付き合ってみるとそんなことは無く。子供っぽいイタズラや人をからかったりすることが、好きなことが分かった。
そしてそんなイタズラやからかいをする度に、
「ゴメン、冗談だよ」
と俊介は言ってへへっと子供のように笑うのだ。
スキンシップも好きらしくデートの時は積極的に手を繋ぎたがるし、肩を組んだり軽いキスなんかもそれなりに。
ただし時と場合は選んでくれているようで、人目が多い場所や、真奈美がそういう事をして欲しくないときは控えてくれていた。
イタズラ好きの甘えん坊だが、濃やかなところは濃やかでソツがなく大人。
なんだか言葉にすると、ちぐはぐなような気がするが、そんなギャップがちょっと可愛いと思えてしまうといったら、欲目だろうか?
今まで付き合ったことの無いタイプだったが、相性は良かったようで俊介との付き合いは良好に続いた。
真奈美が今まで付き合ってきた男達は皆、大なり小なり自分からイニチアシブを取りたがる人ばかりで、勝ち気な所のある真奈美と些細な事で言い合いになってそのまま喧嘩別れというのが今までのパターンだった。
しかし俊介は元彼達とは違い、真奈実のことを立ててくれる。意見が対立したら、一方的に自分の主張を押しつけてこず、真奈美の意思を尊重してくれるし。
喧嘩になったとき、いつも先に謝ってくるのは俊介の方からだった。
あんまりにも献身的過ぎてムリをしてるんじゃないかと心配になり、本人に聞いてみたことがあるがその時は。
「別にムリなんてしてないよ。ちゃんと話して納得してるから、結果として合わせてるだけ。合わせたくない事に我慢してまで合わせるほど、俺だってお人好しじゃないよ」
と、そう言っていた。
その言葉の通り、一つだけ真奈美がなにを言っても頑なこと事が一つだけあった。
それは彼自身の家族のことだ。
新潟にあるという実家にはろくすっぽ帰っていないようで。
母親が病気に倒れて亡くなるまでの間は、何度か帰っていたが、それも大した回数では無かった。
父親と喧嘩をして、それ以来関係が微妙なのだと言う話は聞いていたが、俊介は父親の話題を極端に避けていてそれ以上のことは詳しく教えてくれない。
ただ一度だけ「どうしてお父さんと喧嘩してまで、東京に出てきたかったの?」と聞いたことがある。
その時、俊介は困ったように笑って。
「すっごく個人的なこだわり……かな?」
そう答えたが、その個人的なこだわりが一体どういうものなのかに関しては、俊介は答えようとはせず。
「人に話しても、納得してもらえないと思うよ」
とそれだけしか言わなかった。
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