第19話
低くしわがれたその声は間違いなく清吉のもので、その声が聞こえた瞬間さっきまでへらへらとしていた、俊介の周りの空気が明らかに堅くなる。
出迎えるよりも早く家に上がった清吉は、居間の扉を開けるなり、ジロリと視線を俊介へ向けた。
「……帰って来てたのか」
「前もって連絡はしてたと思うけど、聞いてなかった?」
コレが、久々に会った親子の会話だろうか?
清吉は素っ気なく頑なだし、俊介は俊介で嫌みったらしいったらない。
目に見えて空気がヒリつく。
「……こちらの方は、話にあった?」
清吉が視線を真奈実へ移し、真奈実も居住まいを正して清吉と向き合った。
「始めまして。久野空真奈実と言います。この度、俊介さんと入籍することとなりましたので、その挨拶に窺わせていただきました」
友恵にしたような、折り目正しい挨拶を
する真奈実。
俊介はむっつりとした表情を浮かべるだけで、さっきみたいに茶々を入れるようなことはしなかった。
「これはご丁寧に。今日は遠い所からよくぞ来て下さいました」
俊介の時とは打って変わって清吉は穏やかな声でそう言いうが、それ以上は何かを言うことは無く。
座卓を挟んで、俊介とは斜向かいになる位置へ静かに腰を下ろした。
気まずい沈黙が降りる。
清吉の口数が少ないのはいつものことだが、さっきまであれだけ減らず口を叩いていた俊介まで、黙り込んでしまった。
そうして、どれくらいが経った頃だったか、
「……父さん、少し痩せたんじゃ無いか?」
何気なく発せられた、その一言を聞いた瞬間、友恵は思わず目を剥いて俊介のことを見た。
その事に気づいているのかいないのか、俊介は誰もいない空間へ顔を向けたまま、言葉を続ける。
「ちゃんと飯は食べてんの? もういい加減、歳なんだからさ」
何か特別なことを言ったわけじゃ無い、親子の間なら別段珍しくも無いごく普通の話題だろう。
しかし友恵にとって、晴天の霹靂の様な出来事だった。
上京して以降、清吉と顔を合わせたところで精々事務的な挨拶を二、三交わす程度だった俊介が。自分から清吉に話しかけ、ましてや、体調を気遣うなど、今まではありえないことだった。
だと言うのに当の清吉は、
「お前に心配してもらう、謂われはない」
と、これである。
あぁなんで、そういう返しをするかな、もう。にべもない返事に、あちゃーと友恵は自信の額を抑える。
案の定、俊介はムッとした表情を浮かべて清吉へ視線を向ける。
「そんな言い方無いだろう。こっちは心配してやってんのに」
「やってるとはなんだ。心配してくれと、頼んだ覚えはない。ムリして心配してるなら、心配なんぞしてくれんで結構だ」
「そういう意味じゃ無いよ。感じ悪いな」
ヒートアップしていく二人の言い合いに、友恵はもはや呆れるしかない。
折角、俊介が歩み寄る兆しを見せたというのに結局、元の木阿弥だ。
真奈実ちゃんは大丈夫かしら。
ギスギスした空気に、萎縮しているのでは無いかと心配し、先程から一言も口にしていない真奈実を横目で窺う。
――以外、と言ったら失礼だろうか?
真奈実は背筋をシャンと伸ばし、まっすぐに、俊介と清吉のやり取りを見守っていたのだ。
「もういいっ!」
俊介がそう言って、立ち上がったかと思うとガラリと居間の扉を開けた。
友恵がどこ行くのかと訪ねれば「外」と素っ気ない返事が返ってくる。
「外に何をしに行くのよ」
「別に俺がどこに行ったって、俺の自由でしょう」
「あのねえ――」
友恵が苦言を呈そうとした、その時。
「俊介くん」
凜とした、良く通る声が響く。
その声は真奈実のもので、その瞳は責めるでも無くたしなめるでも無く。ただまっすぐに俊介を見つめていた。
「……分かってる。ちょっと頭冷やしてくるだけだから。直ぐに戻るよ」
俊介のその言葉に真奈実は「分かった」と一言だけ言うと、俊介は居間を出ていった。
程なく玄関の開く音がする。どうやら本当に外へ出て行ったらしい。
「良かったの? あいつ、本当に出て行っちゃったみたいだけど」
呆れながらそう訪ねると、
「大丈夫です。俊介くん、分かってるって言ってましたから」
そう答える真奈実は、実に落ち着いた様子で動揺した様子は少しも無い。
生真面目で、可愛らしいだけの子かと思ってたけど。
いやはや侮っていた。
案外、肝据わってるはこの娘。
「……すまないね」
真奈実へ向けて、詫びの言葉を口にしたのは清吉だった。
「見苦しい所を見せてしまった」
「まったくね。大体、謝るくらいなら最初っから、喧嘩なんてしなければいいじゃ無いの」
友恵がはっきりとそう不満を言うと、清吉はバツが悪そうに目をそらした。
「折角、俊介の方から心配してくれたのに、あんなこと言っちゃってさ」
「心配してくれと頼んだ覚えはない」
「それはさっき聞いた。まったく、聞き分けの無い子供みたいなこと言わないでよ」
そう言ってやると、清吉は益々面白くなさそうな顔になって、黙り込む。
黙るのは分かっているからだ。
今の二人の諍いが、もはやただの意地の張り合いでしか無いことを。
お互い折れ所を探っているくせに、自分から折れることが出来ないでいることを。
さっさと仲直りしてしまえば良いものを。
そう思わずにはいられないが、コレばかりは当人達の気持ちの問題である。
下手に突いた所で余計、頑なになるだけだと言うことは、母が生きていた頃からの経験で学習している。
ただ今回は、どういう心境の変化かは知らないが、俊介の方から歩み寄りの気配を見せた。
友恵としてはこの期に解決とまで行かなくてもどうにか、良い方向へ向かって欲しいところだったが、俊介もいなくなった今、考えても仕方が無い。
「さてと、お土産も貰ったことだし、折角だからお茶がてら少し頂いちゃいましょうか」
堅くなった空気を変えるため、友恵はやや強引に話を切り替えた。
「真奈実さんにはお持たせになっちゃうけど、ごめんね」
「いえ、そんな。お気になさらないで下さい」
「ありがとう。そうだ、良かったら真奈実ちゃんもお茶用意するの手伝ってくれない?」
「おい、お客様に手伝いをさせるなんて」
清吉は苦言を訂したが、友恵の方はあっけらかんとした様子で。
「いいじゃない、もう他人って訳でも無いんだし」
「そう言う問題では――」
「構いませんよ」
清吉の咎める声を真奈実が遮る。
「お邪魔してなにもしないのも悪いですし、私にお手伝い出来ることがあるなら、ぜひ」
それでも清吉は遠慮しようとしていたが、真奈実の方から是非にといわれてしまっては、断り続けるのもそれはそれで感じが悪い。
結局は「そういうことなら」と折れるしかない。
そうして、友恵は真奈美と一緒に席を立ち、台所へと向かった。
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