第11話

「過去に戻れたとしても、その時になったら結局うだうだしちゃって思うように行かないに決まってる。現に――」

 そこで俊介の言葉が不自然に途切れた。

 何か言ってはいけないことを言いかけて、途中で言うのを止めた様な、そんな感じだった。

「……俺さ小学校の時まで、人との関係なんて上っ面だけの物だと思ってたんだよ」

「は?」

 唐突な話題変更に建一が訝しむが「まぁ聞いていよ」と、俊介は話を続けた。

「誰も彼も口ではなんて言ったところで、腹の中では、何考えてるのか分かったもんじゃない。だから表面上だけ上手くやれればそれでいい、人間関係なんてそんなもんだと思ってた」

 俊介は視線を月に向け、時折、御猪に入った酒をちびちびと飲んでいる。

「こっちに引っ越してきたばかりの時、俺はよそ者だった。皆まるで外来動物でも見るみたいな目で俺のこと見てきてさ、つらくなかったって言ったら――強がりだよね」

 当時のことを思い出したのか、俊介の顔が僅かに険しくなる。

 しかしそれを聞く、建一としてはその話はにわかには信じ難い物だった。

 中学の頃、俊介はクラスの人気者だった。それが小学生の時は、クラスに馴染めていなかったなんて。

「中学に上がっても、それは変わんないだろうなーって思ってたんだけどさ。進学して初めての席替えの時、隣の席になった奴に声を掛けてたんだよ社交辞令のつもりでさ、よろしくって。そしたらさ……なんて言われたと思う?」

 いつものイタズラ気な笑みを浮かべて、俊介がそう聞いてくる。

 思うも何も、激しく聞き覚えのある話なんだが。

「俺はお前と仲良くするつもり無いってさ、感じ悪いよねぇー。お前の、人を見下したような態度が気に入らない、みたいなことも言われたっけ」

「……悪かったよ」

 コイツがしつこいのはいつもの事だが、何も今、そんな昔のこと掘り返してこなくたって良いだろう。いや、俺が悪かったけど。

 そう建一がいじけているとそれをまた見透かして「そんないじけないでよ」と俊介が可笑しそうに笑った。

「俺、家族以外の誰かに、面と向かってあそこまでハッキリ説教されたこと初めてでさ。思わずハッとしたよ」

 俊介がバツの悪そうな表情を浮かべる。

「当時の俺はさ分かってるようなこと言って、実際は手前勝手に人の気持ちに見切りを付けて、周りを小馬鹿にしてただけだったんだ。そこんところを、真っ正面から指摘されてさ、ゲンコツで殴られた様な気分だったよ」

「別にそんな、たいそうな思惑や考えがあって言ったわけじゃねぇよ」

「ま、だろうね」

「そう、あっさり肯定されても、それはそれで面白くないんだが」

「だって、俺にとってはどっちでも良いことだからさ。思惑があろうがなかろうが、あの時、健一が真正面から俺を嫌ってくれたからこそ、俺は自分の間違いに気づけたんだ。だからさ」

 俊介がお猪口に残ったお酒を一気に飲み干し。

「感謝してるんだよ、その時のこと。これでもさ」

 あくまで視線は月に向けたまま、少し大仰にそう言い放った。

 ……これはひょっとして、照れているんだろうか? らしくもなく。

「んな大袈裟な」

 そんな俊介の様子に、健一も面映ゆい気分になって、その返事はややつっけんどんなものになる。

 しかしだ、

「とは、言っても」

 あの俊介が、このまま素直に終わるわけもなく。その話にはきっちりオチが用意されていた。

「俺も当時は、それを素直に受け容れられるほど大人じゃなかったからね。その後、声を掛けたのは、そこまで俺のこと嫌いだって言うのなら、いっそ意地でも仲良くしてやる。ていう理由だったんだけどさ」

 こそばゆいと思ってた気分が、ここで首を傾げた。

「じゃなにか? あの時俺にしつこく声を掛けてきたのは、単純に俺に対する嫌がらせだったと?」

「そういう側面が、なかったと言えば嘘になるかな」

 長年の疑問に、なんとも締まらないオチが付いて建一は思わず脱力してしまうが。それとは対照的に、俊介は愉快そうにカラカラと笑っていた。

「まったく、いい話風だったのが台無しじゃねぇか」

「いいじゃないの、嫌がらせから始まる友情があったってさ」

「いいのかー?」

「案外そんなもんだって事だよ、現実なんて。建一は俺のことを、すごい奴だって言ってくれたけど実際はそう大した奴でも、良い奴でもなかったよ、俺は。もし俺が、すごい奴だって言うのなら、そのすごい奴に変えてくれたのは建一だよ」

 俊介は景気付けのように、その場で勢いよく立ち上がり。

「自信を持ちなよ。お前はさこっちに来て、いや、生まれて初めて俺が本気で仲良くなりたいと思った相手なんだから」

 ……その言葉に。

 許された。なんて都合の良いことは思わない。

 そもそもコレは建一が勝手に気にしているだけの問題だ。

 俊介が許す許さないの問題じゃない。

 それでも。それでもだ。

 重くのしかかっていた何かが、ほんの少し軽くなったような。

 そんな風に感じてしまうのは、傲慢だろうか。

「まったく、ずいぶんと回りくどい。励ましてくれんならもっとスッと、言ってくれたらどうだ?」 

「こういうのは手順と演出が大事なんだよ」

「何だよ、それ」

 建一がそう突っ込むと、俊介はへへっと何時ものように笑った。

「さてと、それじゃ俺はそろそろ戻るよ。お酒なくなっちゃったし、何より寒いし」

 俊介はそう言うと持参した徳利と御猪口を持って、上ってきた梯子へと向かっていく。

 何となく、建一はそれを見送っていると。

「あのさ」

 俊介はふと足を止めて、くるりと振り返った。

「健一はさっき、自分のせいで春ちゃんの人生、狂わせたみたいなこと言ってたけど。それ、流石になめすぎ。春ちゃんはさ、この道を選んだことをきっと後悔なんてしていないはずだよ」

 俊介がまるで小さな子供に諭すときのような、優しげな顔をする。

「もっと春ちゃん信用してあげなよ? じゃなきゃ春ちゃんが可哀想だよ」

 そう言い残して、俊介は梯子を下りていった。

 ……今のはどういう意味だろうか?

 俺が春を信じていないとでも?

 そんなこと――

 俊介がどう言うつもりで、その言葉を残していったのか、取り残された建一はその場でしばらく考え込むこととなった。

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