51話 約束

ーーー征服歴1500年10月 カユシコワ州 軍病院ーーー


 エリカに顎を殴られたアレクが悶絶し、バーナードが呆然とエリカに弾かれた自分の手のひらを見つめる中、この混沌とした状況の元凶であるエリカはひたすら混乱していた。


「あ、アレク!? ごめんなさい、わ…わざとじゃないわよ!? せ、師匠せんせい、早く軍医ドクターを!!」


 ワタワタとアレクに謝ったりバーナードに軍医を呼んでもらおうと叫んだりと忙しなくしているエリカの様子に、痛みから回復したアレクは毒気を抜かれ、どこか疲れたような、それでいて救われたとような様子で笑い出した。


「ハッ…ハハハハ、アッハッハッハッハ!! ガハッ、アハハ、アハハハハハハハハ!!」

「ち、ちょっと、アレク!? 大丈夫!?」


 傷の痛みで悶えながらも笑い続けるアレクに、エリカは“血を失いすぎて頭に障害が残ったかも?”とさらに心配してやや引き気味に声をかける。

 

「アハハハ…ハァ、ゲホ…っつ〜…流石に、傷に響くな…」

「当たり前よ!? ほら、お水!」


 笑いすぎて再び傷が痛みだしたアレクに、エリカが水差しからコップへ水を移し、アレクの口へ近づける。

 エリカに助けられながら難儀そうにコップの水を飲み干したアレクは、ゆっくりと呼吸を整える。


「すまない、。改めてありがとう、エリカ」

「どういたしまして。折角戦場で生き残ったのに死因が笑い死にとか笑えないわよ?」

「あー…そういうことではないんだが、まあいいか」

「…?」


 アレクの感謝の言葉の意味を完全には理解しきれていないエリカが小首をかしげる。アレクはそんなエリカに苦笑するが、わざわざ訂正する気も起きず、ただ改めてエリカに頭を下げようと無理矢理体を起こそうとする。


「ちょっと、まだ寝てなさい!! あなた死にかけてたのよ!?」

「だからこそだ…今お前に頭を下げないと、

「何言ってるのよ、大袈裟よ! いいから寝ーてーなーさーい!!」

「グッ…痛っ、やめ…!」


 一週間もまともに動いていなかったアレクは、エリカに抑え込まれるようにベットに寝かしつけられる。


「ほーら、今師匠せんせいがドクターを呼んできてくれるから…」

「エリカ…」

「ひぅえ!? せ、師匠せんせい、まだいたの!?」

「お前なかなか失礼なこと言ってないか…?」


 後ろからバーナードに声をかけられ、てっきり彼が軍医を呼びに行ったと思っていたがエリカがビクンと身を弾ませる。


 表情の抜け落ちた顔で、バーナードはアレクとエリカを見つめている。


「エリカ…お前は…」

「ジルベルト大佐殿」


 バーナードの言葉に被せるように、アレクは冷めた目と声音でバーナードの名前を呼ぶ。

 笑みを消し、つい先程の狂気を孕んだ目ではなく、冷徹な戦士の目で、アレクはバーナードを射竦める。


「ウォーカー大尉…貴様っ…」

「大佐殿、申し訳ありませんが、先程のを叶えることは出来なくなりました」


 忌々し気に自身を睨みつけるバーナードを睨み返しながら、アレクは言葉を続ける。


「今の俺の命は、リガール中尉に救われた物です。故に、俺の一存で捨てることは叶わないようです。もしそれでも、不当に奪おうと言うのなら…」


 アレクは、生気の戻った瞳で、己に向けられた憎悪の視線を真っ向から否定する。


「我が全力を以て、抵抗させて頂きます」


 それは、戦争で全てを失い、最早戦う理由すら見失ってしまった亡霊が再び得た、人としての矜持。そのためなら命を賭けるこすら厭わない、矛盾した覚悟だった。



 しばしの間、アレクとバーナードの視線が交錯する。永遠にも感じられるごく僅かな間の睨み合いの末に、先に目を反らしたのは、バーナードだった。



「……勝手にするがいい」

「はい、そうさせてもらいます」


 視線を切ったバーナードはアレクとエリカに背を向け、部屋の出口へと体を向ける。


「エリカ、軍医にはウォーカー大尉が目を覚ましたと伝えておく」

「あ、はい。ありがとうございます」

「…それと、明日からは軍務に戻れ」

「え、えーっと…それは…」

「フィデック准尉から、お前でないと処理できない書類が溜まってきたと報告が上がっている」

「ハイ、すぐに終わらせます…」


 そしてバーナードは振り返ること無く、部屋を後にした。


 バーナードの足音が十分に遠くなった事を確認して、エリカはゆっくりと息を吐き、アレクに尋ねる。



「ねぇアレク…師匠せんせいも、貴方も凄い殺気だったけど、一体何があったのよ?」

「ちょっとした憂さ晴らしに煽ったら、無理矢理毒薬を飲まされそうになった」

「ほんとうに何したのよ!?」

「一応建前上は、獣国と停戦するのに邪魔だからだったんだが…あの大佐殿石頭は俺が殺す理由があればなんでも良かったのかもな」


 皮肉げに嗤うアレクに、エリカは形の良い眉毛を寄せて渋面を作る。



「……ごめんなさい」

「なんでお前が謝る?」

「…師匠せんせいが来たって事は、貴方を殺すように命令したのはリガール家うちなんでしょう?」

「おそらくな…お前の実家も含めて、戦争を終わらせたい王党派からすれば、無駄に生き残らず”悲劇の英雄“として死んでくれるのが、一番理想的な展開だからな」

「でも、貴方はそれを拒否したんでしょう?」

「………どうかな。俺はついさっきまで、ここで死ぬことに納得していたよ」



 アレクの言葉にエリカが息を飲む。

 

「正直、もうやることが無かったからな。家族の仇も討ったし、借金も返済した。それにエリカ、



 穏やかに笑うアレクが、エリカの大きく開かれた金色の瞳に目を合わせる。


「だからまあ、最後に嫌いな奴に嫌がらせをして死ぬつもりだったんだが…お前が見事にそれを阻止したわけだ。だからありがとう、エリカ。ほんとうに感謝している」

「そんなの…単なる偶然じゃない。感謝されても…」

「いいや、それは違う。今だけじゃない、お前は何度も、俺が諦めた時に、俺の命を繋いでくれた」

「ねえ…余計な事をしたと…思ってない?」


 普段の自信に満ち溢れた彼女からは想像できないほど弱々しく、どこか怯えた様子でアレクに問う。

 アレクは首を横に振り、エリカの不安を否定する。


「言っただろう、感謝していると。別に好き好んで死にたい訳じゃなしな」


 アレクの言葉を聞いて、エリカは目を伏せる。


「私は…私の我儘でアナタを助けたわ。単にアナタに死んで欲しく無かったから」

「ああ、そうだったな」

「私の実家が、それに師匠せんせい達が何かしようとしても、きっと何とか出来るって…そう思ってた」

「実際、助けてくれただろう?」

「私が出来たのなんて、寝ぼけて先生の手を弾いたこと位じゃない…」

「ついでに俺の顎を殴ってなかったか?」

「それは今関係ないでしょ!?」


 茶化すアレクに、エリカはしおらしい態度をかなぐり捨てて叫ぶ。



「人が真面目に悩んでるのよ!?」

「クク…っ、すまない。だが、お前がそんな風に悩むのは似合わないだろ」

「なにおぉ!?」


 髪を逆立てて怒るエリカを楽しそうに眺めるながら、アレクは説明する。


「正直お前が面倒な陰謀に対して何か出来るとは思って無いからな」

「馬鹿にしてない…?」

「してないしてない。単に適性の問題だ」

「…じゃあいいわ」


 実際、大貴族の子女として教育を受けているエリカは、それなり以上に謀略にも理解はあるが、アレクが巻き込まれた状況に手を出せるほど腹黒くも、謀略に特化している訳でも無かった。

 その事はエリカ本人も薄々理解しているので強くは反論出来なかった。


「でも…大丈夫なの? アナタはこれからもきっと命を狙われたり、不当に貶められる。私じゃアナタを、守ってあげられない…」

「まあ、何とかするさ。むしろ十分過ぎる位に助けてもらった。これ以上は貰いすぎだ」


 不安そうにするエリカに、アレクはなんでも無さそうに首を振る。

 そのアレクの、達観した様子に不安を覚えたエリカが問う。


「ねえ、アレク…

「大丈夫だ。言っただろう? 今の俺の命はお前が救ってくれたものだ。俺の勝手でむざむざ捨てる気はない」


 はっきりと、濁すこと無くアレクが答える。

 

 エリカはその整った顔をアレクへ、鼻と鼻がくっつきそうな程に近づけ、アレクの傷だらけの顔を覗き込む。


「じゃあ、しなさい」

?」

「ええ。絶対に、命を粗末にしないで。諦めて、自分が死ねば丸く収まるなんて考えちゃ駄目よ。頼りにならないかもしれないけど、誰かを頼りなさい…もう、ステュクス川みたいなことを、しないで」


 真っ直ぐに、泣きそうな顔で自身を見つめるエリカに、アレクもまた真剣な瞳で答える。 

 

。何があろうと、俺はこの命を諦めない」


 この日、アレクサンダー・ウォーカーは、彼の生涯で最も大切な誓いを結んだ。彼がその数奇な運命の果にどのような選択をして、例えその結果として再び全てを失ったとしても、それだけは決して破ることのない誓いを。



 アレクの答えに満足したエリカは、輝くような笑顔で頷く。


「よろしい! いいわね、絶対に忘れちゃ駄目よ!」

「分かった分かった」


 念を押すエリカを、アレクは疲れた様子であしらう。

 

「というか…そろそろお前も安め。目に隈が浮かんでるぞ?」

「え? ちょっ…ぅう〜」


 顔を赤くして遠ざかるエリカに呆れた視線を向けて、アレクは溜息をつく。


「それにドクターが入りづらそうにしている。明日から書類仕事の山が待ってるんだろう、 早く安め」

「わ、分かったわよ!! アナタも、ちゃんと身体、治しなさいよ!」

「ああ、わかっている」

 

 エリカは入口で所在なさげに立ち尽くしている軍医に頭を下げ、病室から出ていこうとして、立ち止まりアレクに振り向く。


「そうそうアレク、ちゃんと私以外にもお礼言いなさいよ。エバンスもバグラム軍曹も、それにエクトル中尉も心配してたわよ?」

「エクトル中尉…あいつ生きてたのか」

「ええ、アナタの中隊も何だかんだで怪我はしてるけど半分近くは生き残ってるわ!…戦務参謀は残念だったけど」

「そうか…」

「そうよ」


 少しだけしんみりした雰囲気で、エリカはアレクが眠っていた間の状況を伝える。

 それを聞いたアレクは真剣な顔で考え込み…


「……リゼルの奴に仕事をさせれば俺は寝ていられるのか?」

「「そんな訳ないでしょだろ!!?」」


 アレクの割りと外道な発言に、エリカと軍医が息を合わせて、夜の寝静まった軍病院に響き渡るほどのツッコミを入れた。






~後書き~

ちょっと悩んだのですが、区切りがいいのとハーメルンの方での執筆が滞っているので、一旦完結とさせて頂きます。

続きはハーメルンの方で書いている王都編が一区切りついたらこちらに投稿する予定です。



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