第115話 無名仙人

 カルルク帝国は国土のほとんどが砂漠である。


 人が住める場所は大陸北部の山脈沿いに流れる広大な大河のほとりにある首都ベラサグンと、山脈を挟んだ北方にある魔物の住まう森との防衛線である迷宮都市タラス。


 それ以外は全て砂漠という過酷な環境である。


 もっとも砂漠にもオアシス都市が点在しており、大陸の最南端にある西グプタまでの中継地点となっている。


 逆を言えばオアシス都市以外の砂漠はほとんどが未開の地であり人の住処などない。

 それに砂漠には魔物がいるため、あえて未開の地に住もうとするものは人間の世界に生きられなくなった犯罪者か世捨て人だけである。


 当然だが未開の砂漠にもオアシスがある。


 その未開の小さなオアシスに一人の老人がひっそりと住んでいた。


 小さなオアシスは巨大な岩山の側にあり、老人は岩陰に一人用のテントを張り、砂ぼこりを避けながら鍋を焚火の上に吊るす。


 その老人は自給自足をしている訳ではない。

 今日の食事も事前に持ち込んでいた乾燥させた肉や野菜を鍋で煮込む、彼の故郷の鍋料理であった。


 仕上げに固形の調味料を鍋に落とす。調味料が溶けると赤茶けたコクのあるスープが完成した。


「いかんな、ついに調味料が無くなってしまったか。フリーズドライのミソスープの素が無いと食事にならんわい。一度、街に買出しにいかねばのう」


 そう老人が呟くと、突然岩山が振動をおこした。


『何だ、もう行ってしまうか? 人間とはせっかちよな、もう少し話し相手になってくれると思ったのだがな……』


 その岩山から老人に向かって地響きの様な声が洩れる。


「ミソが無いのですよ、儂は魔物の肉は口には合わんのです。しかし、バーテミウス様だけですな、儂をまだ人間と呼んでくださるのは……」


 バーテミウスと呼ばれる喋る巨大な岩山、大地のドラゴンロード・バーテミウスはゆっくりと老人のテントを破壊しないように少し上体を持ち上げると、その巨大な顔を老人に向ける。


『ふっ。我としてはお主はありがたい人間よ。お主はこうしてたびたび会いに来てくれるしな、人間よりも良い奴であるのは認めているのだよ』


「いやいや、儂が人間よりも良いというのは言い過ぎですな。まあ、気が向いたらまたここに来るとしましょう、次は何年後にしましょうかの?」


『我はいつでも構わん。お主が生きているうちに来てくれればそれでよい。まあ今回の一件、面白かったぞ。

 だが、ルシウスの小僧はまだ大地に還っておらんようだし、まあ近いうちに奴もなにか面白いことをするかもしれんな』


「面白いですか……。まあ、儂の知る限りではそれは面白いとも思えませんがな……。

 まあ、儂も簡単に引退できんということですかな?」


『ふ、それで良いではないか。お主にはもう少し長生きしてくれないとな。

 お主との会話は面白い。我も寝る以外の楽しみが持てたようだよ、おかげでお転婆ベアトリクスの言う人間との交流も少しだけ理解できたしな……。

 では、我は寝るとしよう。お主の客人が近くにいるようだしな、ではさらばだ。無名仙人よ』


 大地のドラゴンロード・バーテミウスは再び岩山になり、オアシスの周囲は静寂に包まれた。



 ◇◇◇ 


「師匠、やっと見つけましたよ。まさかこんなところで隠居生活をしてたんですか?」


 無名仙人の前に現れたのはメイド服を着た女性だった。


「なんじゃ、客人とはセバスティアーナじゃったか。まあ、ここまで来るやつはお前しかおらんか。

 で? どうしたのだ? 旦那では満足できぬから儂を探していたのかのう? だが残念、儂は年増には興味がないわい。ピチピチのギャルでないと話は聞けんのう」


「師匠、相変わらずのセクハラですね。非常に不愉快ですが、まあ私は夫婦円満で娘との仲も良好ですので余裕で聞き流しましょう。

 ですが、私の話が聞けないならこの手紙を受け取ってください、娘のセシリアが師匠に向けて書いたのですよ?」


 無名仙人はセシリアの手紙を受け取ると中身を読む。

 第七皇子呪い事件の解決に向けて無名仙人の知識を得たいとの内容である。


「……そうか、お主の娘はたしか12歳だな? うむ、よい、承ったぞ。ではベラサグンまで行くとしようか、はっはっは」


「まったく、師匠は相変わらずですね。……そう言えば、この香り、ミソスープですか? 懐かしい香りですね……」


 セバスティアーナは無名仙人が食べていた鍋から懐かしい匂いを感じた。


「うむ、セバスティアーナよ。故郷の味は大切だぞ? ミソスープの味は母の味、そう、我らモガミの里の創始者であるユーギ・モガミの味なのだからな。

 そうだ、お前の旦那は飲食店の経営者だったな。ならばついでに、ミソという調味料を教えてやろうではないか……でだ、セバスティアーナよ。儂はセシリアちゃんとはどういう関係かの?」


「……はぁ、分かりました。師匠は私のおじい様です。セシリアには曾祖父ということにしましょう。セシリアを甘やかす権利をあげます。でもさすがにセクハラはだめですよ?」


「分かっておるわ。さすがに12歳には何もせんし、儂はもう年齢的に何も出来んわい、ただ癒しが欲しいだけじゃ。ところでセシリアちゃんには同級生のお友達は居るのかの?」


 それはどういう意味で言ったのか、セバスティアーナは、あえて聞き流すことにした。

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