第1話 大いなる旅立ち
拝啓、お母さん、お父さんへ。
早いもので、私が聖女様に憧れたあの日から9年が経つのですね。
あれから色々ありましたが無事、魔法学園に入学する運びとなりました。
身も心もすっかり大人になった私は今、エルバドル王国の王都からほど近い森の中で。
「…………ぐすっ」
泣きそうです。
「うう……地図だとこっちのはずなのに……」
目元に浮かんだ滴を拭って、もう一度地図を広げる。
9年経っても相変わらず小柄な体躯、病的なまでに白い肌。
地図の上で視線を彷徨わせるたびに、腰まで伸びた灰色の髪が揺れる。
背中には身体に見合わぬ大きなリュックサックが背負われていた。
ユフィ・アビシャス、15歳。ただいま絶賛迷子中。
この日のために何度も地図をおさらいし、入学式もまだの癖に何回も魔法学園へ訪れ道順を確認した。
入学式を明日に控えた今日、余裕を持って早朝に家を出たにも関わらず道中の森で見事に自分の所在を見失った次第だった。
「なんでいつもこうなるのかなー……」
力無い言葉と一緒に項垂れる。
自分の無能ぷりがつくづく嫌になった。
「このまま学園に辿り着かなかったら……」
ごくり……。
頭の中にいくつもの影が生えてきて、恐怖の言葉をユフィに突き刺し始める。
『道一つ満足覚えられぬ奴に聖女になる資格はない!』
『映えある魔法学園の入学式を欠席とは、不敬に値する!』
『死刑! 死刑!』
入学前に退学!
不敬罪で処刑!
娘の墓標の前で泣き崩れるお母さんとお父さん!
「いやああああああああぁぁぁぁぁあああああああぁぁぁぁぁ!!! それだけは……!! それだけはあああああぁぁぁぁぁあぁぁぁあぁぁぁあぁぁぁあぁぁぁ!!」
ごろごろごろごろ!
地面をのたうち回るユフィの頭に、人懐っこそうな声が響き渡った。
『ユフィ、大丈夫?』
ぴたりと、ユフィの動きが止まる。
「シ、シンユー……」
『落ち着いて、大丈夫だから。ほら、深呼吸、深呼吸』
ユフィの唯一の話し相手にして友達の『シンユー』が励ましてくれる。
「すー……はー……」
たくさんの酸素を頭に送り込んでいたら、だんだんと落ち着きを取り戻してきた。
『うんうん! 深呼吸できて偉い! 流石だよ、ユフィ!』
「えへへ……? そうかな?」
褒められて、頬が緩む。
シンユーの激励のおかげで、ユフィは一瞬にして平静を取り戻すことができた。
シンユーは自分のことを全部肯定してくれる、とても貴重な存在だ。
なお特定の姿形はない。頭の中にいるから。
え? それは友達って言わない?
アーアーキコエナイ。
とにかくシンユーはユフィの大切な友達で、心の拠り所だ。
これだけは、絶対だった。
「でも……」
そろそろ実体を伴う友達が欲しいと思うお年頃。
「学園に入ったら、人間の友達も作って、それから……」
にへらっと口元を緩ませて、妄想する。
「立派な聖女になって、みんなの人気者になって……うふふふふふへへへへへへ……」
『ユフィならきっと出来るよ、頑張って!』
シンユーの後押しもあって、頭の中にキラキラと光り輝く光景が広がっていく。
この国で一番大きくて美しい建造物、王城のバルコニーに自分は立っていた。
柔らかく微笑みを浮かべ、優雅に手を振る姿はまさに聖女そのもの。
身を包んでいるのはもちろん、例の天使の羽衣だ。
『聖女様、聖女様!』
何万人もの人々に注目され慕われている場面を想像し、多幸感に浸っていると。
ガサガサッ!
「ひいっ!」
びくうっ!!
「ごめんなさい調子乗りました私みたいなミノ虫が本当にごめんなさい……!」
突然響いた草が揺れる音に仰天し、反射的に地面へと頭を擦り付ける。
十五年生きる中で身につけた全面降伏のポーズだ。
『にゃー』
思わず頬が綻ぶような鳴き声が、鼓膜を震わせる。
頭を上げると、視界に黒のもふもふ。
「……ねこ、ちゃん?」
野良だろうか、迷ったのだろうか。
どちらにせよ、見た者を問答無用で癒しの天国へ誘ってしまう猫ちゃんに無関心でいられるほどユフィの心は強くない。
「よ、よしよーし……」
縫って作ったような笑顔を浮かべ、ぎこちない手つきで腕を伸ばすと。
ぷいっ。
「あっ……」
グサリと、ユフィの胸の奥に刺さってはいけない鋭利な刃物がめり込んだ。
「そうよね人間にも好かれない私がお猫様に好かれようだなんて虫が良すぎるわよねわかってたのでもちょっと期待したっていいじゃないこんなにも理不尽な世の中なんだから……」
顔に暗鬱とした影を落とし三角座りでブツブツと呪詛を呟くユフィ。
そんな彼女を見かねたのか、やれやれと言わんばかりに猫ちゃんがユフィの前に腰を下ろした。
「……撫でさせて、くれるの?」
『にゃ』
はよ撫でろと言わんばかりだ。
恐る恐る小さな頭を撫でると、ふわふわで温かい感触が伝わってくる。
ゴロゴロと喉を鳴らして掌に顔を擦り付けるその仕草に、胸がどきんと高鳴った。
「か、かわいい……」
思わず夢中で撫でる。
さっきの素っ気ない態度とは大違い。
猫ちゃんは気まぐれである。
「私もこんな風に……自由気ままに振る舞えたらな……」
ぽつりと、そんなことを呟いたその時だった。
『グォォォオオォォォオオォオオォォォォオオォォオ!!!!』
「な、なにっ……!?」
脳を揺らすような咆哮にユフィは思わず耳を押さえた。
どすん、どすんと大きな足音を響かせて、向こうのほうから巨体が姿を現した。
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