ヨシツネ先輩と密室弁慶ガール 〜絶対にキスがしたい彼女と絶対に回避したい彼氏の密室攻防戦〜

1 はじめてのお家デート

「──あまり綺麗とは言えませんね」

　部屋に入るなり、大橋（おおはし）伍月（さつき）はわかりやすく顔を顰（しか）めた。

　彼女は高校の一つ下の後輩であり、付き合って半年が経つ俺の恋人だ。

　そんな彼女を、今日初めて自室へ招いたわけだが……

「悪いな、これでもかなり掃除したんだ。まぁ適当に座ってくれ」

　言いながら、俺は換気のために窓を開ける。

　伍月（さつき）は後ろ手にドアを閉めると、眉間に皺を寄せたままローテーブルの前にぺたんと座った。

「……なんか、ヨシツネ先輩っぽい部屋ですね」

「そうか？」

「クソ真面目で面白みがない感じがまさに」

「シンプルで飽きが来ないという意味か。ありがとう」

「ポジティブすぎてキモい」

　実の彼氏に対し、この刺々しい物言い。

　伍月はいつもこうだった。

　亜麻色の艶やかなミディアムヘアに、長いまつ毛に縁取られた大きな瞳……と、見た目はかなりの美少女なのだが、お世辞にも愛想が良いとは言えない。

　俺に対しては特に辛辣で、彼女から告白された過去を忘れそうになる程だ。周りからも「何故付き合っているのか」と常々不思議がられている。

　しかし、俺は……俺だけは知っているのだ。

　伍月の、可愛すぎる＂本性＂を。

「ていうか、親の不在を狙って私を家に連れ込むとか、下心丸出しすぎですよ」

　いつものようにツンと言う伍月。

　俺は麦茶の入ったグラスを差し出しながら、それに答える。

「伍月が『テスト勉強一緒にしたい』って言うから連れて来たんだろう」

「ご両親がいない日を指定した覚えはありません」

「それはたまたまだ」

「ほんとにぃ？　言っておきますけど、私そんな簡単な女じゃないので。家に連れ込めたからって上手くコトが運ぶと思わないでくださいね」

　やれやれ、また始まった。

　そう思いながら、俺は徐（おもむ）ろに立ち上がる。

「だいたい、私たちまだ高校生なんですよ？　付き合っているとはいえ、そういうコトはちゃんと責任が取れる年齢になるまですべきではありません」

　親が子に諭すように指を立てる伍月。

　その声を背中で聞きつつ、先ほど開けた窓へと近付く。

「ちょっと先輩、聞いてます？　私はねぇ、そういうのは将来を誓った相手とだけって決めているんです。だから……」

　カラカラと窓を閉め、隙間がないことを確認してから……

　ガチャンッ、と。

　窓の鍵を、閉めた。

　瞬間、

「だから先輩………… 伍月と結婚しよ？」

　伍月の声色が、がらりと変わる。

　そのまま立ち上がり、俺の腕にぎゅっとしがみつくと、

「やっと二人きりになれましたね、先輩……今日こそ伍月の初キス、奪ってくれますよね？」

　……と。

　猫撫で声で、甘えるように言ってきた。

　まるで別人が憑依したような変わり身だが、この姿こそが彼女の本性なのだ。

　要するに、伍月は──

　完全密室でないと素直になれない、内弁慶（うちべんけい）ならぬ＂密室弁慶（みっしつべんけい）ガール＂なのである。

　先ほどまでの刺々しい態度はどこへやら。うるうるとした上目遣いで見つめてくる彼女を、俺は静かに見下ろす。

「……簡単な女じゃないって言ってなかったか？」

「もちろん誰にでもこんなこと言うわけじゃないですよ。先輩だからですもん。ほら、ちゅー」

　目を閉じ、柔らかそうな唇を突き出す伍月。

　リップクリームでも塗ってきたのだろうか、ただでさえ血色の良い唇が殊更（ことさら）艶めいて見える。

　あんなにツンツンしていたくせに、最初からキスされるつもりでここへ来たのだろう。

　そう考えると、愛おしくていじらしくて、今すぐにでも目の前の唇を奪ってやりたくなる。

　しかし……

　俺は、よいしょと腕を伸ばすと。

　閉めていた窓を、ガラッと開けた。

　直後、密室を解かれた伍月は顔を真っ赤にし狼狽（うろた）える。

「ちょ、なにするんですか！」

「いや、暑いなと思って」

「はぁ？！　いま一月ですよ！？　暑いわけあるか！」

「俺は暑いんだよ。さて、ちゅーの続きをするか？」

「できるわけないでしょ？！　誰が聞いているかもわからないのに！」

「家には誰もいないが」

「ほら！　あの電線にとまってるスズメとか！　塀を歩いてる猫とか！　世界中が私たちのちゅーに聞き耳を立てているんですよ！？　恥ずかしすぎます！」

「いつものことながら考えすぎだ。第一、聞かれたって別に構わないだろう」

「いーやーでーすーっ！　ていうか私がこうなるのわかってて窓開けましたよね？！　先輩のいじわる！！」

　ぷいっ、と顔を背ける伍月。

　このように、少しでも密室状態が解除されるといつものツンツンした彼女に戻ってしまうのだ。なんでも、密室でないとどこの誰に聞かれているかわからないため落ち着かないのだとか。

　この＂密室モード＂と＂ツンツンモード＂のギャップが可愛くて、俺はつい意地悪をしてしまうわけだが……

　そっぽを向き、頬を膨らませる伍月を見つめ、俺はこう切り出す。

「伍月」

「……なんですか」

「俺も、伍月と結婚したいと思っている」

「ふぇっ？！」

　俺の言葉に素っ頓狂な声を上げる伍月。

　が、俺は構わず続ける。

「お前との将来を真剣に考えているからこそ、無責任な行動は取りたくない。だから、ちゅーは結婚するまでお預けだ」

「えっ……ちゅーって、そんな無責任な行動ですか？」

「ちゅーというより、それに付随して引き起こされる事象が責任を伴うものになるな」

「……先輩。まさかとは思いますが…………ちゅーで子どもができるとでも思っています？」

「できるだろ」

「うそでしょ？！」

「考えてもみろ。大好きなお前とちゅーなんてしようものなら……」

　ばんっ。

　……と。

　伍月の後ろの壁に手をつき、彼女を腕の中に閉じ込めて、

「……ちゅーだけで、止まれるわけがない」

　聞いた瞬間、顔からぼっと湯気を吹き出す伍月。

　言葉を失い大人しくなった彼女に、俺はぐっと顔を近付ける。

「俺の夢は、伍月と結婚し、たくさん金を稼いで、オートロック式・防音設備万全・リモコン一つで窓の開閉が可能な＂完全（かんぜん）密室（みっしつ）御殿（ごてん）＂を建てることだ」

「完全密室御殿？！」

「そう。そんな家に住むことができれば、お前を好きな時に密室へ閉じ込めることができる。ちゅーもし放題だ」

「ちゅー、し放題……」

「そんな将来のために、少しでも良い大学へ入りたいと考えている。だから、今日は真面目にテスト勉強をしよう。無論、窓は開けたままな」

　そこまで言って、俺は伍月から離れる。

　しかし伍月は、「はぁ？！」と声を上げて、

「私の将来を勝手に決めないでもらえます？！　嫌ですよ、そんな家に住むなんて！　だいたい結婚とか考えるの早すぎ……」

　ピシャッ。

　と窓を閉め、鍵をかけ。

「俺と結婚、しないのか？」

「しゅるっ」

「密室御殿には？」

「住むっ」

「そうか。お前の本音が聞けて安心した」

　カラカラカラ。

　と窓を開け、密室を解除する。

「遊ばないでくださいよ！！」

「遊んでなどいない。お前の素直な気持ちを確かめただけだ」

「もうっ。どーせ密室じゃない時の私は意地っ張りで可愛くないですよ！　だから先輩も密室御殿なんか作ろうとしているんでしょ？！」

　再び顔を背け、口を尖らせる伍月。

「……わかっているんです。先輩は、素直で甘え上手な私の方が好きなんだって。だから、素直じゃない私と長く過ごせば過ごす程、いつか嫌われちゃうんじゃないかって……そう思うから、結婚の約束なんて、怖くてできないんじゃないですか」

　聞き逃してしまいそうな程の小さな呟き。

　その言葉に、俺は思い出す。

　半年前、伍月に告白をされたのも、手違いにより鍵をかけられ完全密室となった体育倉庫の中だった。

　確かに、あの時の伍月は素直で可愛かったが……

　彼女は、大きな誤解をしているようだ。

　膝を抱え、拗ねた様子の伍月に、俺は言ってやる。

「…… 伍月。俺は、お前に告白される前から──密室モードのお前を知る前から、お前のことが好きだった。だから、普段のお前を嫌いになることなどありえない」

　伍月は「へっ？！」と声を上げ、目を見開く。

「う、嘘だ！」

「嘘じゃない。俺は元々、ツンツンした伍月が好きだったんだ。そこへ密室モードのお前を知って、さらに好きになった」

「なっ……」

「密室御殿を建てたいのも、密室モードからツンツンモードへの切り替えを自在に楽しむためだ。だから窓はリモコン操作で開閉可能にする」

「はぁ？！　ずっと密室モードでいるんじゃないの？！」

「当たり前だろう。俺は、密室モードを解除された時の恥ずかしそうなお前の顔を見るのが何より好きなんだ」

　伍月は顔を茹で蛸のように火照らせ、ぷるぷると震えながら、一言。

「ヘンタイ！！」

「そうだが？」

「開き直るな！」

「要するに俺は、どんな伍月も好きなんだ。お前の恥じらっている顔を見ると興奮するし、キス一つで軽く理性を失えるほど好きでたまらない。誰にも渡したくないから、将来は物理的にも社会的にも囲う気でいる。こんな変態な本性を知って、嫌いになったか？」

　そう尋ねると……

　伍月は、唸るように奥歯を噛み締めて、

「……嫌いになんて、なれるわけないでしょ。むしろ大好きですよ！！」

　と、真っ赤な顔でやけくそ気味に叫ぶので。

　俺は、思わずニヤリと笑いながら言い返す。

「おかしいな。今は密室ではないはずだが？」

「うるさいヘンタイ！　通報しますよ？！」

「何故通報される？」

「侮辱罪と監禁罪とわいせつ物陳列罪で！」

「言いがかりはよせ。まだ陳列していない」

「『まだ』とか言うな！」

「結婚したあかつきには思う存分陳列させてもらうからな。その時は自ずとお前も陳列することになるぞ？　つまり俺たちは、＂未来の共犯者＂だ」

「全然上手くないんですけど！　何そのドヤ顔、腹立つ！！」

「とにかく、まだ何もしていないのに罪（つみ）に問われるのは心外だ」

「そういうヘンタイな思考を曝け出すことがわいせつだって言っているんですよ！　このむっつりすけべ！！」

「人のことを言える立場か？　密室になった途端にちゅーを迫ってきたくせに」

「そっ、それは……」

「どうなんだ？　本当はお前も、あんなコトやこんなコトをしたいと思っているんだろう？」

　言いながら、俺はピシャリと窓を閉め、鍵をかける。

　いつものように密室モードの伍月に本音を吐かせ、すぐに窓を開け揶揄（からか）ってやるつもりだった。

　しかし……

「ぐほっ」

　密室になるなり、伍月は無言のまま、タックルするような勢いで俺に抱き付いてきた。

　そして、倒れた俺の身体にのしかかると、切なげな顔でこちらを見下ろし……

「……そうですよ。先輩のことが大好きだから、触りたいし、触ってほしいって、いつも思っているんです……っ」

　そのセリフと、潤んだ瞳に、心臓がドキリと跳ね上がる。

　伍月は、柔らかな身体をぎゅうぎゅう押し当てながら、吐息混じりにこう続ける。

「先輩……ほんとに結婚するまで、ちゅーしてくれないんですか……？」

　ねだるような、懇願するような瞳。

　ピンク色の唇が、目の前で震えながら誘っている。

　結婚するまでは触れないと、大切にすると誓ったはずの理性が、情けないほどに揺さぶられる。

　あぁ、くそ。

　好きな女にこんな体勢で、こんなセリフを囁かれて、正気を保てるわけがない。

　揶揄（からか）って諦めさせるつもりだったのに、これじゃあ……

　ミイラ取りが、ミイラになってしまう。

　俺は、伍月を支えながら身体を起こし、彼女の両肩に手を置くと。

　目を閉じ、ゆっくり顔を近付けて……

　彼女の額（ひたい）に、ちゅっと、キスをした。

　俺だってキスしたいに決まっている。しかし、唇になんてしたら歯止めが利かなくなる。

　そんな相反する欲望と理性が脳内で緊急会議をおこなった結果、導き出された折衷案が額（これ）だった。

　やってみると案外キザな感じがして、俺は無性に恥ずかしくなり、窓をガラッと開ける。

　すると、密室モードを解かれた伍月が、目の前でにんまり笑い、

「……先輩。顔、真っ赤ですよ？」

　そう、揶揄（からか）うように言ってくる。

　思わず「うるせえ」と返すと、彼女はほんのり頬を染めて、

「えへへ。もう……こんなことされたら、しばらくおでこ洗えなくなっちゃうじゃないですか。どうしてくれるんですか？」

　と、はにかんだ笑みを見せながら、最高に可愛いことを言ってのけた。

　それに俺は、ズキュンッ！　と胸を射抜かれるが……

　伍月は満足したように俺から離れ、

「さて、そろそろ勉強しましょうか。あ、寒いんでもう窓閉めてもらえます？　こっちのドア開けておくので」

　などと、けろっとした口調で言う。

　こっちは中途半端に高ぶった熱のやり場に困っているというのに、随分と薄情なやつである。

　密室のオン・オフで彼女を弄（もてあそ）ぶつもりが、逆に翻弄（ほんろう）されてしまうとは……これではいつまで我慢が続くかわかったものではない。

　＂密室御殿＂に囲う、なんて言ったくせに、彼女という名の密室に囚われているのは、他でもない俺の方なのかも知れないな……

　……なんて、また上手くもないことを考えながら。

「先輩寒いですよー。早く窓閉めてくださーい」

　人の気も知らずに文句を垂れる彼女を、ジトッと見つめて。

「おでこ、洗っても大丈夫だぞ」

「え？」

「……明日もキス、してやるから」

　そう言い捨てると。

　唇に残った熱を冷ますべく、北風が吹き込む窓を、大きく開けてやった。