第6話 「守り手の名乗り」
夜更けに辿り着いたヴェルダ・クローネの街は、外の荒れ果てた風景とは対照的に、灯りと人の声で満ちていた。
石畳を照らす灯火の下を行き交う人波。冒険者の笑い声や、屋台から漂う香辛料の匂いが夜気に溶け込み、まるで瘴気に覆われた世界の中心とは思えないほどの活気に包まれている。
リアンの横を歩くサラは、そんな喧噪の中にごく自然に馴染んでいるようだった。銀の髪が街灯に反射し、歩みは軽やかで、どこか楽しげに鼻歌すら混じっている。
「ねえ、約束覚えてる? 助けてあげたんだから、ご飯奢りなさいよ」
わざとらしい口調に、リアンは小さく肩を落とした。
「……忘れるはずないだろ」
声音には呆れと、諦めが半ば混じる。サラは満足げに笑みを浮かべ、その横顔には悪戯めいた光が宿っていた。
⸻
二人が入ったのは、大通り沿いの食堂だった。
梁の黒い影が天井を走り、吊り下げられた灯火が温かな光を放っている。鉄板で焼かれる肉の香ばしい匂いが漂い、酒に酔った冒険者たちの笑い声が賑やかに響いていた。
ざわめきに包まれた席に腰を下ろした瞬間、リアンはふっと息を吐いた。
「……一人で食べるよりは、まだ気が楽だな」
思わずこぼれた言葉に、サラは一瞬目を瞬かせ――すぐににやりと笑った。
「でしょ? せっかく奢らせたんだから、ちゃんと味わいなさいよ」
豪快に肉を切り分けると、湯気の立つ皿を彼の前へ押しやる。
「ほら、冷める前に食べなさい」
その気安さは、この無骨な導き手には不釣り合いなほどだった。だが、不思議と嫌悪感はなかった。
「……本当に、変な女だ」
小さな独白に、サラはわざとらしく眉を上げて見せる。
「なにそれ。褒め言葉のつもり?」
「さあな」
視線を逸らし、リアンは湯気の立つスープを口に運んだ。
サラはくすりと笑い、わざと聞こえるように呟く。
「ま、導き手の財布が軽くなった分、あたしは満腹で満足よ」
軽口のはずの笑みに、どこか安堵の色が混じっていた。
⸻
食事を終えると、二人は街の外れで別れた。
「じゃ、またね」
軽く手を振るサラに、リアンは返事をせず、ただ背を向ける。
夜の街を歩くたびに、灯火と人の声が背中を照らす。その温かさの中で、リアンは心の奥底に妙な感覚を覚えていた。
――ただ誰かと飯を共にしただけなのに、胸に残る冷えが、ほんの少しだけ和らいでいた。
⸻
翌朝。
まだ朝霧が漂う街道を歩き出したリアンの背に、靴音が重なった。
「おはよう。どうせまた外に行くんでしょ?」
振り返れば、当然のようにサラが立っていた。
大剣を背に、金の瞳に揺るぎない光を宿し、迷いのない足取りで近づいてくる。
「……なぜついてくる」
問いかけに、サラは肩をすくめる。
「決まってるじゃない。導き手が倒れたら、彷徨う魂が増えるだけでしょ。――放っておけないのよ」
皮肉を装ったその声色の奥に、偽りのない本心が透けていた。
リアンは言葉を失い、ただ前を見据えて歩みを進める。
サラは小さく笑みを浮かべ、その背に歩調を合わせた。
朝霧の中、二人の影が並び、静かな街道に淡く溶けていった。
――それからというもの、リアンが街の外へ出るたびに、サラは当然のように隣を歩く日々が続くようになった。
最初こそ鬱陶しげに感じていたリアンも、次第にその存在を拒まなくなっていった。
魂を導く旅路は、いつしか二人の足跡となって刻まれていく。
ヴェルダ・クローネの朝市では、サラが子供のように屋台を覗き込み、肉串を片手に歩き回る。
「ねえリアン、これも奢ってよ。守ってあげてるんだから当然でしょ」
「……昨日も奢っただろ」
呆れるリアンに、サラは悪びれもせず笑う。
「いいじゃない。あんたも一人で食べるより、誰かと食べた方がましなんでしょ?」
言い返そうとして、リアンは口をつぐんだ。もう否定する気にはなれなかった。
⸻
その日の午後、二人はヴェルダ・クローネの紋章教会を訪れていた。
白石造りの大聖堂の中は、静謐な空気と魔紋の光に包まれ、外の喧噪が嘘のように遠のいている。
導き手として任務の報告を済ませ、リアンは次の浄化依頼の内容を確認しようとした――その時だった。
奥の扉が開き、荘厳な気配が流れ込んでくる。
白基調の装束に金銀の刺繍。紋章教会の使者たちが現れたのだ。
見慣れた顔が並ぶ。
《白翼の導き手》セラフィナ・ユール。
《暁鐘の祈り手》マリア・セフィリカ。
《灰眼の鎮魂者》イオ・クローヴ。
そして――燃える赤髪、琥珀の瞳の少女。
「……!」
リアンは息を呑む。夢の中で見た少女の姿が、目の前の彼女と重なっていた。
「ルディア・フェルシア。導き手のひとりよ」
マリアが穏やかに告げる。ルディアは元気よく「よっ」と手を振った。周囲には彼女たちの守り手も控えている。
「街に来てたんだ? 私たち、数日後に南の戦跡に行くの」
リアンが返事をするより早く――
「君が……例の、単独行動の浄化者か?」
イオが冷ややかな声で切り込んだ。
「……リアン。紋章師で、魂の導き手でもある」
名乗ると、イオの眉がわずかに動いた。
「導き手を名乗るなら、集団行動に従ってほしい。単独の浄化では範囲も足りない。足手まといになる」
「前線では数百の魂が一斉に彷徨っているんだ。君の力だけでは収まりきらない」
ざわめく空気。セラフィナやルディアが宥めるように視線を送るが、イオの眼差しは冷たく揺るがなかった。
リアンが言い返そうとした、その横から――
「──少し言い過ぎじゃない?」
金の瞳が光を帯びる。サラだ。
「足手まといって決めつける前に、まず話を聞いたらどう? あんたが魂を鎮めるのは立派よ。でも、魂に触れる力って、一つのやり方だけじゃないでしょう」
イオが鋭く睨む。「君は……?」
「サラ=レイヴェル。通り名は……まあ、知ってる人は知ってるわ。“死を運ぶ鳥”」
一瞬、空気が凍った。
戦場で名を馳せた剣士。その名は、すでに伝説の域にある。
「このリアンの――守り手よ」
あっさりと、彼女は言い切った。
「えっ――」リアンは思わず声を上げる。「ちょっと待て、それは……」
「……違うの?」サラは首を傾げる。笑みは悪戯めいていたが、その奥にはかすかな寂しさが滲んでいた。
リアンは言葉を失う。
(かつて守り手がいた。だが、もういない。自分のせいで失った。だからこそ、一人で歩くと決めたのに――)
「彼に必要なのは力だけじゃない。背中を預けられる“誰か”よ。で、私がそれになる。……文句ある?」
「……強引だな、本当に」
呆れを口にしつつ、胸の奥で小さな温かさが広がっていくのをリアンは感じていた。
「……もう言ってしまったなら、仕方ないか」
「ふふ、よろしい」
ルディアが小さく拍手し、セラフィナは静かに頷き、マリアは目を細めて微笑んだ。
その日から――サラ=レイヴェルは正式にリアンの守り手として登録された。
セラフィナは告げる。
「数日後に我々、導き手たちが向かうのは、南部に広がる旧戦争跡地――激戦の地で、未だ多くの魂が彷徨う場所」
荘厳な言葉に、場の空気がわずかに張り詰める。
「サラの戦闘能力は記録にも残っている。同行に異議はない」
セラフィナはそう断言すると、視線をリアンへ向けた。
「君も、来るか?」
リアンは一瞬だけ迷い、隣のサラを見る。
大剣を背負った彼女は、悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
「どうせ断っても、ついて行くけど?」
「……なら、一緒に行こう」
「了解。じゃあ今日から本当に“背中”、預かるから」
失ったはずの居場所の感覚が、ほんの一瞬、戻ってきた気がした
覚悟は定まった。
魂の導き手として。
そして――守り手と共に歩む者として。
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