異世界トリップしたら知らない男が恋人になっていた
伊予葛
第1話
ㅤ才能が無い。
ㅤそんな言葉で片付けられるほど、世の中は甘くない。努力を怠るな。その通りだ。時間が無い。体力が無い。精魂付き果てた。もう疲れてしまった。言い訳。言い訳。
ㅤ冷たいフローリングに落ちている俺は、今日も未練がましくパソコンを立ち上げる。ブルーライトに目を細めながら、Wordを開き、文字を打ち込んでいく。空腹を感じる気もするが、そんなこと、数分後には忘れているだろう。睡魔が忍び寄ってくる。明日も仕事だ。
ㅤ暗転。
ㅤ目が覚めた。本当は眠ってなどいなかったのかもしれない。記憶の片隅に夢の残滓が揺蕩っているが、夢の記憶などというものは起きた瞬間に生成されるものらしいので、夢など見ていなかったのかもしれない。とにもかくにも重苦しい思考と体を持ち上げたとき、それが目に入った。数メートルほど先に、人がいる。座り込んだその人物は、目が合うと微笑んだ。さらりと銀髪が揺れる。銀髪。そうそうお目にかかることの無いその髪色に気を取られていると、その男は立ち上がった。
「おはよう。気分はどうかな? 君は車に轢かれたのだけど」
ㅤなんだって?
ㅤ向けられる柔和な笑みと、耳に馴染む柔らかい声色。それらと告げられた言葉の意味が噛み合わず、聞き返しそうになるが、それより早く男がこちらに歩み寄ってきた。勝手に人の体をベタベタと触る。
「うん。大丈夫そうだね。安心した」
ㅤそう言って、あまりにほっとしたような表情を見せるものだから、お前は誰なんだと問いかけるタイミングを見失う。
そもそも、轢かれたとはなんだ。俺は、家の布団で寝落ちた、はずだ。
「君の魂と肉体は剥離している」
ㅤペラペラと、男はわけのわからないことを喋り続ける。
「ここは異世界ってやつだ」
ㅤ呆気に取られている俺を見て、男は、満足気に頷いた。まるで、理解が早くて結構とでも言わんばかりに。待て待て何もついていけてはいない。
「君の幸せは保証するよ! なんてったって恋人は俺だからね!」
「はぁ?」
ㅤそれが俺とこいつの出会いで、もしかしたらそれは夢だったのかもしれないし、何百回も繰り返した現実なのかもしれなかった。
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