ここがあなたがいるべき場所
@entotu869jw
200×年 4月某日
ここがあなたがいるべき場所
「ずいぶんさみしいところね」
その駅に降り立ったとき、昔、父の部屋で読んだ推理小説の一節が頭に浮かんだ。
私は今、この〇〇県の県庁所在地にあるとある駅、玄関口とも言える駅にいる。
たいていの駅なら併設されているコンビニも美容院も書店も、見事なまでに何にもない。
あるのは小さな定食屋と、何かの施設だ。
すごいところに来ちゃったなぁ…と私は思った。
私の名前は…ここでは、仮に自分自身を意味する英単語の“Me”と、仮の名前ということで、三井仮名(みつい かな)としておく。
本名とはかすりもしない名前だが。
それにしても見れば見るほどさみしいところだ。
まあ、もともと私が生まれ育った町もお世辞にも都会とは言えない、単なる地方都市だけど。
私が通っていた故郷の小学校は田んぼに囲まれていたし、実家のマンションからは山が見える。
だが地方都市ながら多くの店舗を構えた駅ビルや駅地下もまあまああったし有名ブランドを備えた繁華街やブランドショップの揃う通りもあった。
短大時代の私の楽しみは学校近くの駅地下での友達とのウィンドーショッピングだった。
バイト代が入ったらカラオケやカフェを巡って仲間内で騒いだ。
もう当分それも出来ないようだ。
出来れば地元で就職したかったが時世はそれを許さなかった。
30枚から先は覚えていないほどの枚数の履歴書を手書きで書いてやっとひっかかったのがこの○○県の中小企業“株式会社〇〇産業”だ。
基本給13万円。
都心の人が聞いたらひっくり返りそうな値段だが、地方の求人はどこも似たようなものだった。
私はこれまで○○県に訪れた事は一度もない。
親戚も知り合いも一人もいない。
孤立無援である。
おぉーい、と中年男性が手を振っていた。
年は50代ぐらいだろうか。
おじいさんになりかけのおじさん年齢だ。
この人が私が三ヶ月お世話になった株式会社〇〇産業〇〇支店の責任者である“支店長”である。
今じゃ本人の名前も覚えていない。
ここの人達はほぼ方言まじりの言葉で話していたけど今となってはいちいち覚えてないので彼らの会話文はすべて標準語で記す。
駅の隣に白い自家用車が止まっていた。
私と支店長はその車に乗り込んだ。
支店長が運転する車の中は、延々落語のカセットテープが流れていた。
平成生まれの私だが、カセットテープぐらいは父が持っているので知っている。
支店長は私を見て、
「あの駅、びっくりしただろ」
と言った。
まぁ…と薄い笑顔でかわしておいた。
「県外から来た人にはさぞかし驚きだったろうね」
良かった、良い人そうだ。
車で移動している間、なんとなくと外を見た。
教科書に載ってそうないかにも昭和な床屋さん、
看板がかすれて読めなくなってる、かろうじてブティックとわかる小さな事務所、
おじいちゃんおばあちゃんがやってるさびれかけた八百屋、
美容院というより「床屋」と呼びたくなる昭和感あふれるボロボロの理髪店…
子供の頃、親に一度だけ、親戚のそのまた親戚がやってるという昭和感あふれる床屋に連れて行かれて何時間もかけて(子供なのでそう感じただけで本当はもっと短時間だったのかもしれないが)出来上がった髪型が非常に昭和感あふれるオカッパ頭になってしまい流行のアイドルに憧れて伸ばしていた自慢のロングヘアが台無しになって一日中泣いたトラウマを思い出した。
これなら髪の毛もお盆の時に帰郷したときに行きつけの美容院でセットした方がよさそうだ。
「着いたぞ」
ぼろいプレハブ、としか言いようのない建物がそこにはあった。
周りは一面田んぼ、田んぼ、空地、田んぼ、畑…
裏手は崖、山、森…
あらためてすごいところだな…と思った。
中に入るとこじんまりとしている。
なんと表現したらいいのか、独特の匂いが漂っている。
書類がごみごみとたまっている。
「支店長おかえりなさい」
頬にほくろのあるふくよかな女性が走ってきた。
「あなたが三井さんね」
とにっこりと微笑んで言った。
よかった、優しい人そうだと思った。
この方は以降、元総務さんと呼ぶ。
今年、定年退職するという。
それまで微笑んでいた元総務さんはいきなり
「ちょっと!」
と叫んだ。
私が驚いていると
「んもー!」
といきなり私のスカートに手をかけた。
私はおもわず、ひっ…!と叫んだ。
元総務さんは私のバーバリーのスカートをシワになるんじゃないかというぐらいギュッと握り締め、スカートのすそを下に下げだした。
母が就職祝いに贈ってくれたバーバリーが…
スカートがずり落ちるかと思った。
だ、男性もいるのにうそでしょ!?
「ったく、だらしないでしょ、気を付けなさい」と、太ももと腰をぽんぽんと叩かれた。
けっきょく、なにが「だらしないでしょ」で、何に「気を付けなさい」だったのかは未だに謎である。
という騒ぎを経て、やっとお茶が出た。
「びっくりしたでしょう、あの駅。今年改築したのよ」
元総務さんは何事もなかったように私にお茶を出した。
ここは愛想笑いで軽くいなす社交辞令ぐらいはわきまえている。
元総務さんは言った。
「あんな都会的で近代的で整った駅、あなたみたいな若い人、初めて見たでしょう」
ぽかんとしている私をしり目に総務さんは続けた。
「すごいでしょう。私達もね、あんな便利な駅になるなんて思ってもみなかったのよ。なんたって駅にオンバイケンがあるのよ! なんか東京みたいよね」
「わが県もだんだん東京に近づいてきたな、ははは」
支店長が笑った。
今なんてった?オバケ?
「オンバイケンって…何ですか?」
「うそーーーっ!?」
後ろから素っ頓狂な声が聞こえた。
振り向くと中学生ぐらいにしか見えない子がいた。
ここにいるということは社会人だろうけど、顔立ちは中学生ぐらいに見えた。
化粧っ気もなくすっぴんなのもますますそう見える。
彼女はショートヘアなので以降彼女を“ショー子”と呼ぶ。
はっきり言って今となっては、この人の名前も忘れたのだ。
「オンバイケンも知らないんですかぁ!?」
ショー子さんは目を真ん丸にして私をまじまじと凝視していた。
それは、本音で、心の底から、信じられないものを見たと言う顔だった。
周囲の人達が驚きの顔で口々に言った。
―――おいおい、嘘だろ。
―――どうやったらオンバイケンを知らずに生きてこれるの。
他の知らない人達もわらわらと
「あれが新人さん?」「えらい子が来たもんだね」と出て来た。
まずい。
何だかわからないがもしかしてとんでもない無知を晒してしまったのか。
周囲の人は私を取り囲んでまじまじと見ている。
来たばかりで波風立てるのは得策じゃないし、ここは穏便に済まそう。
私は
「えっと…まだ若輩者で…世間知らずで…」
とごまかした。
我ながら、父が読んでる時代劇小説みたいな言い方だなと思った。
ショー子さんは「本当に世間知らずなのね…」と、呆然を絵に描いたような顔で言った。
こんな物知らずが実在するんだ、信じられない、といった顔だった。
「1万円ですか」
「1万円よ」
その後、私は元総務さんが運転する車に乗り、私の住みかとなる社宅にむかった。
社宅の家賃は給与に込で1万円である。
友達が住む関東のアパートは安くても数万円はするとなげいていたから安いのはいい方なのかもしれない。
この時の私は、家賃1万円というのが世間的にどう思われる金額なのかまったく知らなかった。
確かに世間知らずというのは合ってたのかもしれない。
そんなこと言われたって仕方ない。
こちとら短大出たての二十歳だ。
元総務さんが運転しながら色々おしゃべりした。
もうすぐ退職して娘さんと同居するとか、娘さんは就職で〇〇産業隣県支店に勤めているとか。
社宅の場所は私の住む株式会社〇〇産業〇〇支店から車で3分、徒歩10分のところにある二階建てのアパートだ。
道中には古い民家と田んぼしかなかった。
二階建てアパートの初見の感想は、なんというか、年季が入っているなあ…と思った。
私の部屋は二階にあった。
開けてみると、ムッとかび臭い匂いが鼻を襲った。
いちおう、1LDKの間取りだった。
なんというかこっちも、年季が入っているとしか表現できない部屋だった。
畳間があったが畳は黄色くけば立っていたし壁もボロボロで虫食い、台所のフローリングの床もかなり変色している。
「あなたみたいな新人にこんな立派なお部屋を用意してあげられるなんてうちの会社はほんとにすごいわ。あなた幸せ者よ。会社に感謝しなさいよぉ。娘の社宅なんか寮で他の人と一緒なんですって。息がつまるわよねぇ。私も娘にこんな豪邸を用意してあげたかったわ」
ニコニコと笑う元総務さんの足元を、カサコソと黒い虫が走っていった。
「あ、それとあんた」
元総務さんは最後に言った。
「くれぐれも言っとくけど、変な事するんじゃないよ」
この「変な事」が何を意味するのかいまだにわからない。
今思えば、恐らく、男を作って連れ込むなよ、という意味だったんだろう。
…私、そんなに遊んでそうに見えたのかな。
そんなこんなで初日が終わった。
明日は引っ越しトラックが来て実家から荷物を持ってきてくれる。
夕方、私は母に電話をかけた。
この当時はまだまだガラケー全盛期で私もガラケーを使っていた。
まずは、母に今日のことを色々話した。
でも、初日の感想は微妙でしかないから、あんまり話す事はなかった。
私は最後に母に、
「お母さん、オンバイケンってなに?」
と聞いた。
「え?オバケ?…どういう時に使う?」
だめだ、と思って話を切り上げた。
私はそのあと友達に近況報告のショートメールを送った。
なんか、どっと疲れた。
改めて新居を見ると、すごい昭和感だ。
年季が入りまくっている。
田舎のおばあちゃんの家の畳間だってここまで黄ばんではいなかった。
私はもうすでに実家のマンションが恋しくなっていた。
そんな状況でもおなかは空く。
てっきり近くにファミレスかコンビニ、あるいはスーパーの一軒でもあると思っていたがそんなものはこの周辺に影も形もなかった。
とりあえず地元を出る時に駅のコンビニでで買ったパンの残りを食べた。
これからずっとここで過ごすのか…
やだなぁ…
あ、そうだ。
もうすぐ今日から新しく始まる月9ドラマの時間だ。
ドラマの主題歌を担当するのは私がデビュー当時から応援していたバンド“legacy”だ。
主演も私がわりと好きな女優さんだ。
同性から見ても爽やかで好感が持てる。
すぐに携帯のワンセグを立ち上げる。
今日一番興奮した時間だった。
しかしその興奮は一気に崖の底に突き落とされた。
「すっくな…」
ワンセグ画面に映ったテレビ欄は、私が住んでいた県より民法の数が遙かに少なかった。
「うっそ…」
楽しみにしていた月9ドラマの情報が影も形もない。
――やってないの!?
番組欄を見てみたが時代劇やサスペンスドラマ、あとは国営放送しかなかった。
月9ドラマって全国で見られるとばかり思っていた。
途端に疲れがどっと押し寄せてきた。
楽しみにしていたクリスマスプレゼントを取り上げられたような気分だ。
DVDになるのを待つか実家で録画してもらおう…
そういえばここってレンタルショップってどこにあるんだろう?
GEOもTSUTAYAも一軒も見かけなかったけど。
ガラケーを使ったついでにメール画面を開いて
「オンバイケンって何か知ってる人、いたら教えて。今日会社で知らないのって言われてめっちゃ恥かいた」
と送った。
お風呂に入ったあと
「マジで!?あんたオンバイケンも知らないの?」「ウケるー、仮名やばすぎ」
と返事が来たのを確認した
――カリカリカリカリカリカリカリカリ
「!?」
急に変な音がした。
なんだこの音!?
ま、まさか…
一瞬、オカルトな想像をしてしまった。
別の県に引っ越した友達からいわゆる事故物件の話は聞いたことがある。
カリカリカリカリ
カリカリカリカリ
音が増えていく。
背筋がぞっとする。
私は急いで外に出た。
隣の部屋に明かりが点いている。
私は急いでインターフォンを連打した。
中から若い女性が出て来た。
「今日、となりに引っ越してきた者です、あの、あの」
「ど、どうしましたか?」
「あの、カリカリって変な音が」
女性はあぁ、と言って「ネズミですよ。ここ多いですから…」と言った。
ね…ネズミ…!?
野良ネズミなんて想像上の動物だと思っていた。
いや、さすがにそれは大げさだけど。
短大の時バイトしていたファミマでもゴキブリはたまに出たけどネズミはいなかった。
その晩、ネズミ音と蚊におびえながら私は寝た。
寝るしかなかった。
蚊取りグッズもないので布団にくるまるしかなかった。
耳元で蚊の特有の音が響いてうるさかった。
これなら、短大時代バイトしてたファミマで、バイトしながら就活した方が良かったんじゃないかなぁ…
それにしても、今思えば、なんで4月に蚊がいたんだろうか。
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