第24話 皇子の療養休暇 ⑯エピローグ ~アマリアーナ~

それから、二日後。

ローザニアン皇国皇王アルメニウス一世と翼人族ハルピュイア族長ル・ボウの初顔合わせは驚くほど穏やかにスムーズに行われた。


 公的には、アルメニウス一世は、サリナス辺境領に自治権を与え、義理の息子にあたるエドモンド・サリナス辺境伯による特別自治区とする旨を公布した。


 隣国マルノザ帝国と手を組んで現国王に対してクーデターを起こそうとした一派の企てをいち早く察知し、それを未然に阻止した辺境伯の忠義への褒章として。


 いかなる手を使ったのか。


 で帰国したマルノザの王子一行を追うように慌てて退去しようとしたマルノザの商団の荷物から、クーデターを示唆する数々の証拠が発見され、ちまたを騒がせていた違法薬物までも大量に押収されたのだ。


 世間には、別邸に入り込んでいたメニエラをはじめとする間者たちによる麻薬取引やアマリアーナの誘拐未遂事件、ビーシャス令嬢を騙って茶話会で騒ぎを起こした人物の存在等の不都合な事実は、完全に伏されたわけだ。


 もちろん、今や辺境伯の配下になり、皇国の庇護対象となった山岳の民の多くが、滅んだはずの魔族の子孫であることも。


 長きにわたる双方の根深い遺恨を考えれば、これですべての問題が解決したわけではない。が、少なくとも、アルメニウス一世とル・ボウが存命である限り、約束は守られる。


 皇国は近い未来に来るはずの厄災に備えて最強の軍勢を味方に付け、ル・ボウ率いる魔族の末裔たちは安息の地を手に入れたわけだ。


 一筋縄ではいかない策略家という点では似た者同士である二人の指導者は、お互いに納得できる妥協点を見つけてそれなりの盟友関係を築くことに一先ず成功したらしい。


 すべてに父アルメニウス一世の思惑が働いていたのかもしれない。

 アマリアーナにはそう思えてならない。


 誘拐計画を知りながらあえて手を打たずにその情報を辺境伯側に流すことで、辺境伯の意向を、アマリアーナへの想いを試す。さらに、治癒能力を持つアルフォンソとその優秀な部下を潜入させることで、アマリアーナの身の安全を図る。


 父として、娘の引くに引けない恋情を応援し、同時にその身を守ろうとしてくれたのだと、少しは考えていいのだろうか?


 自分は考えていたより、父に大切に思われているのかもしれない。

 二つの優先事項ほどではないにしても。


 アルフォンソに事のいきさつを聞いた後、夫を問いただした結果、アマリアーナはそう思った。

 そして、温室クリスタルハウスに設置されていた魔道録画機に映っていた弟の女装姿を何枚か、後でこっそり父に贈ってあげようと、思ったりしたのだった。

 

*  *  *  *  *


「・・・というわけで、父と母は恋に陥り、俺が、いや私が生まれた。翼人族ハルピュイアは完全な女系民族だ。男子が生まれることはめったにないため、他民族と交わること自体は珍しくない。だが、そんな時でも、子供には一族の血が強く出るはずなんだ。なのに、族長の子であるにもかかわらず、私は父似で、一族らしき能力がほとんどなかった。とりわけ子供の頃は。・・・山岳で暮らすには虚弱すぎたし、羽も痕跡程度しかなく飛ぶこともできなかった。一族なら誰もが保持しているはずの魔力も全くなかった。成長速度が人間並みに早いのに気づいた両親は、やむなく私を人間として育てることにした。父の故郷に連れて来られた私は、そこで人として生きるのに必要な知識を学び、剣術を磨いたんだ。時々、一族と連絡を取りながら」


 アマリアーナは、重い口を開いた『彼女の夫』が語るに任せ、時折、頷いたり、あいづちを打ったりして話を聞いていた。


 ここは、皇都の辺境伯別邸の一室。

 アマリアーナが作らせた夫婦の寝室だ。あまり大きな部屋ではないが防音が施され、巨大な天蓋付きベッドにナイトテーブル、隅には酒類などが保管できる戸棚、隣には独立した浴室やトイレもついている。

 この4年間、残念ながら使う機会がなかった部屋だが、今日はきれいに掃除され、完璧に整えられている。


「父の指導の下、徐々に傭兵として身を立てる術も覚えた。貴族間の小競り合いや他国との攻防戦に参加するうちに、功績が認められるようになり、辺境伯の地位を得るチャンスに飛びついた。前辺境伯の傍系の娘と結婚することで。母が、族長が皆に公言したんだ。辺境伯の領土は山岳地帯に接した、最も都合の良い領土だと・・・辺境伯領にまず一族が移住し、他の魔族をも取りこんで、たとえヒト族が再び我々を迫害しようとしても対抗できるだけの力を蓄える。最終的には我らの国を作る足掛かりとして・・・つまりは、そういうことだったんです、アマリアーナ様。私はあなたをずっと騙していたんです」


「何度も申し上げたはずです。様付けは、止めてください。敬語も必要ありません。私はあなたの妻なんですから」


 話が終わりに差しかかったのを確信して、アマリアーナがぴしゃりと言った。


 特別に用意させたワインをグイッと飲み干すと、ナイトテーブルに置かれた夫のグラスが空なのをちらりと確認する。


「二人だけのときは、エドモンドと呼んでもかまいません?それとも、イ・サンスと?旦那様?」


「あの、アマリアーナ様、本当に契りを結ぶおつもりですか?私は、半分、人間ではない。あなた方、ヒト族が魔族と呼ぶ・・・いわば、化け物なんですよ?私はあなたを、皇国を、謀ってきたんですよ?」


「そんなこと、気にしなくてもいいですわ。父、アルメニウス一世はそれくらい予測しておりました。私も、その可能性を知った上であなたに嫁いだわけですから。お互い様です」


 そう、ようやく訪れた二人きりの時間。 

 アマリアーナは、貴重な時間を無駄にする気は全然なかった。


「それに、あなたは化け物なんかじゃありませんわ。私から見れば。動機がなんであれ、皇国を周辺諸国から守り、王の治世を助けてきた立派な英雄です。それとも、あなたご自身が、あなたの母上の一族を化け物だと疎んでいらっしゃいますの?」


「いいえ、決してそんなことはありません。むしろ、私は一族の血を引いていることを誇りに思っている。翼人族ハルピュイアは、ヒト族の昔話に出てくる野蛮な化け物ではない。我らは、ヒト族と何ら変わらぬ誇り高き民なのです」


 アマリアーナは、それまでと打って変わった男の力強い答えに満足そうに頷いた。


「その通りですわ。現に、あなたは、魔族のル・ボウ様を母に、人間の男を父として生まれた。つまり、魔族と人間は子孫を残せるほどに近い種族だということ。多少、種族的違いがあるとしても。どちらかが劣っているとか、優っているとか言うのは、単なる思い込み、偏見に過ぎません。別にあなたが自分を卑下する必要もないし、私を必要以上に敬う必要もありません」


 薄い夜衣姿のアマリアーナは、ここまで来てなお躊躇する夫の手を握り、彼女としては精いっぱい、甘く誘いを向けた。


「遠慮はいらないと申しておるのです。今の私はあなたの妻。王族として扱う必要はありません。私は、あなたに、、正当に扱ってほしいのです」


「私たちの子どもの背に羽が生えているかもしれなくても?」


「素敵じゃないですか。空を飛べるかもしれないなんて。あなたもご存じでしょう?異なる植物を掛け合わせることで、さらに強く美しい花が生まれることを」


 たとえ、その子に魔族の特性が強く出たとしても、とりあえずは他の者に知られなければいいだけのこと。状況に応じて、不利になりそうなことは隠し、状況が変われば、有効に使う。それは、王家にとってごく普通のことだ。


 父王の予測では、ごく近い未来に魔族と人間はともにこの地のために戦うことになる。魔族と人間がお互いを尊重し、並び立つ世界だって、決して夢物語ではない。


「あ、一つだけ、お伺いしても?」


 徐々に熱を帯びてくる灰青色ブルーグレイの瞳に勝利を確信したアマリアーナは、気になっていたことを尋ねてみた。


「あなたが辺境伯の爵位を継がれたのは15年以上前でしたわ。それにしては、随分お若く見えますが、ひょっとして、外見を変えることができるのですか?」


「いや。変えられるのは目の色だけだ。こんな見かけだが、今年、数えで55歳になる」


「まあ、とてもそんなお年には・・・」


 アマリアーナは目をパチクリさせて、夜衣姿の夫の鍛えられた無駄のない肉体を見つめる。


「一族の血のせいか、成人後、急に年を取るのが遅くなった。翼も多少大きくなって、短時間なら空中に留まれるようになった」


 そのおかげで、なんとかあなたが落下するのを防ぐことができたわけだが、と呟く夫の背には、すでに黒い翼はない。どうやら、彼らは、翼は何らかの方法で隠すことができるらしい。

 容貌は隠せなくても。


「だから、常に仮面をかぶり、ひげを生やしておられたのですね」


 いくら鍛えていると言っても、15年以上もほとんど年を取らない領主なんていうのは、確かにまずいだろう。


「わかるだろう?あなたの夫になるには、私は年寄り過ぎる。年齢が離れすぎている」


 そんなことを気にしていたとは。

 途端に決まり悪そうに視線を逸らした夫に、アマリアーナは苦笑した。


「肉体的にはとても若くていらっしゃいますわよ?全然、問題ありません」


「しかし、アマリアーナ様、どう考えても、私はあなたにふさわしくない」


「アマリアーナ、ですわ。エドモンド。あなたの考えは、この際、関係ありません。私があなたを夫として望んでいると言っているのです」


 なおも躊躇う夫に、アマリアーナは畳みかけるように言った。


「もう私は4年待ちました。これ以上、『初夜』を待たせるつもりですの?あなたは、王家の血を引く私がお嫌い?」


 青灰色ブルーグレイの瞳が苦し気に瞬き、固く閉じられた。

 その喉仏がごくりと上下した。


 しばしの沈黙の後、辺境伯が動いた。再び開いた双眸には、明らかな情欲が浮かびあがっていた。


「愛してる、アマリアーナ。もうずっと前から」


 耳元でささやかれた睦言に、アマリアーナは頬を染めた。


「私もずっと昔からお慕いしておりました」


 たぶん、あなたに初めてお会いした時から。


 ようやく手に入れた男の背中に、アマリアーナはしっかりと両腕を回した。

 



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