第21話 皇子の療養休暇 ⑬成すべき決心

 外見に似合わぬ剣の天才だと評されていることは知っていたが、これほどの腕前とは。

 アマリアーナは目の前で繰り広げられ始めた戦いに息を飲んだ。が、すぐに気がつく。

 いや、これは、戦いとは言えない。


 ドレスの裾を翻しつつ、手れのはずの護衛たちを翻弄している相手の剣に殺意はない。ただ、彼女アマリアーナを連れ去ろうとする男を足止めするために、立ちふさがる邪魔者たちを排除しようと剣を振るっているだけだ。

 口々に女主人を侵入者から守れと叫びながら、挑みかかる忠実な護衛騎士たち。その全ての攻撃をなし、向けられた剣を叩き落してはいるが、彼らに深手を負わすつもりはないように見える。いや、手加減してるからこそ、しつこく追いすがる騎士たちを蹴散らすのに手間取っているのだろう。


 ほんの一言でいい。口を開けさえすれば、彼らの誤解は解けるのだが。


「お静かに。バカなことはお考えにならないように。少しでも声を出された場合は、どうなるかおわかりですね」


 騎士たちからは見えない位置、左わき腹に移動した刃の感触に唇を噛む。


 おそらくこの男の技量をもってすれば、一瞬で彼女の心の臓を串刺しにすることは可能。そうなれば、いかに優秀な治癒者ヒーラーといえども、蘇生させることは難しい。たとえ、深手は免れたとしても、彼女がこの場所で大怪我を負わされたという事実が残る。


 辺境伯の妻であると同時に、彼女は王の娘、皇国の第一王女だ。自分の所有する場でみすみす怪我を負わせたとなれば、夫たる辺境伯は当然責任を問われる。


 絶対にそんな事態を引き起こしてはならない。ならば、自分がすべきことは・・・


 アマリアーナは、気づかれないように背後の柵に注意を向けた。


 生木でできた柵自体はさほど高くはない。そう頑丈でもないはずだ。この下にあるのは、灌木や植物で覆われた土地。高さは7メートル足らず。

 たとえ、#恐怖のあまり我を失って勝手に落ちたとしても__・__#、即死することはない。ぜいぜい足を折るくらいだ。


 ローザニアン国王アルメニウス一世は、どんなものであれ、好機を逃す男ではない。第一王女を守れなかったことを口実に、辺境伯側に自分の利となる条件を飲ませることは間違いない。


 しかし、王女自身の愚行ゆえに起こった悲劇だとしたら・・・


 アマリアーナは、昔から父が嫌いだった。多分、これは同族嫌悪だ。外見が母親に似ていても、自分の内面が誰よりも父に似ている自覚はある。


 公平無私な、偉大な統治者だと称えられるアルメニウス一世。

 彼は、実際のところ、大切な存在以外には興味がないからこそ、王として偉大なのだ。だからこそ、誰にでも公平で寛大でいられる。無関心ゆえに。


 自分の大切なものを守るためなら、あの人は、誰よりも自分勝手になれる。そのためなら、あの人は何でも、自分の命さえ利用する。


 彼女自身がそうであるように。  


 そして、アマリアーナは知ってもいた。父王にとって、本当の意味で大切なのは、現世では二つだけだと。すなわち、ローザニアン皇国ともうひとつは・・・


「これでは身動きがとれん」


 彼女の背をさりげなく抱え込んで身動きを封じている男がいらいらと呟くのが聞こえた。


「メニエラ殿、一番近い転移可能な場所はどこだ?」


「このフロアでは、大テーブルの中心、料理用リフトがある場所かと」


 アマリアーナの右腕を抑えているメニエラが答えた。


反魔法障壁アンチマジックバリアのせいで、他の場所では無理です」


 そう。この温室は、万が一に備えて、うかつに術が使えないように、ほとんどの場所が反魔道装置による特殊な磁場で覆われている。このように足止めされている状況では、転移魔法は使えない。時間が経つにつれて、誘拐犯たちに不利になる。


 男の目に焦りが浮かびだしていた。


「申し訳ありません。今夜、茶話会が終了し次第、お連れできるはずでしたのに」


「いや。メニエラ殿のせいではない。あの侍女は始末したはずだが、どこからか、情報が漏れたのだろう」


 侍女?


「欲を出さずに、あの女が逃げた時点ですぐに計画を実行すべきだった」


 アマリアーナは前触れもなく辞めた侍女のことを思い出した。

 長年皇都で侍女をしていたという彼女は、無口だがよく気がつく、繊細な指の持ち主だった。身寄りがないと言っていたので、突然やめて帰郷したと聞き、怪訝に思ってはいたのだが。


 そういえば、彼女はメニエラが連れてきたのではなかったか?


「あの裏切り者。ともにバイオレッタお嬢様の無念を晴らそうと誓ったのに、あと一歩と言うところで怖気づくなんて」


 バイオレッタ?バイオレッタって、まさか、前辺境伯夫人の?


 思いがけない名前に驚いて、アマリアーナはメニエラをまじまじと見た。


 その視線にたじろぎもせず、むしろ誇らしげにメニエラが言った。


「私たちは不当な扱いから、アマリアーナ様、御身を救うために手を組んだのです。アマリアーナ様は不幸になってはなりません。バイオレッタお嬢様のように」


 その瞳が微かに潤み、アマリアーナの右手を握る指に力がこもる。


「誰よりも美しい、繊細なバラのようだったバイオレッタお嬢様。お嬢様はあの下賤な男に耐えられずに死を選んだのです。始まりの王家の血を引くアマリアーナ様をそんな目に遭わせるわけにはまいりません。アマリアーナ様にはもっとふさわしい相手がいらっしゃいます」


 ふさわしい相手?

 いったい、この女は何を言っているのだろう?


 アマリアーナが反論しようと口を開けかけた時・・・


「どけ!」


 怒声が響きわたり、眼前の動きに変化が起きた。


 侵入者を取り巻いていた人垣が崩れたかと思うと、男が怒涛の勢いで突っ込んでいた。

 ピンクのドレスが床をくるりと反転し、羽扇が男の顔をめがけて飛んだ。

 首をかすかに反らせてそれを躱して、男は、イ・サンスは、さらに勢い良く踏み込むと、剣を一閃した。

 ガシャン。

 刃が交わる音が響く。イ・サンスの刃を侵入者が手にした細身の剣で受け止めたのだ。


 その肩から白いショールがポトリと落ちた。

 デイドレスの肩口が切り裂かれ、白い肌から血がしたたり落ちていた。仮面が転がり、喉を覆ったチョーカーが舞い落ちた。

 

 白い喉と珍しいほどの漆黒の瞳があらわになる。


「あれは、まさか」


 傍らの男が目を見張った瞬間、アマリアーナは全力で男を突き飛ばした。

 そのまま、身をひるがえし、前方でなく背後の柵に体当たりする。


「奥様!」


 慌てて引き留めようとするメニエラの手を渾身の力ではねのけた。


 柵はあっけなく破れた。驚くほどあっけなく。

 足下の感覚が消え、勢いのついた身体が宙に飛び出した。


「アマリアーナ!」


 思わず目を瞑ったアマリアーナの耳に、風音に混じってよく知っている声が届いた。


 妙に冷静に思う。敬称なしに呼ばれたのは初めてだと。


 腕を掴まれ、身体がぐいっと引き寄せられた。たくましい両腕で強く抱き込まれるのがわかった。


 バサバサバサ・・・

 これは羽音?

 大きな鳥がすぐ近くを羽ばたいているような。


 予想外にゆっくりと落ちていく感覚。

 恐る恐る瞼を開いて、彼女は目を瞬いた。驚愕のあまり、喉がヒュっと鳴ったのがわかった。


 彼女を大切そうに抱きしめている男の背から広がり、ゆっくりと上下しているもの。それは猛禽類を思わせる大きな黒い翼だった。

 

 


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