第2話 シャルの手作りの贈り物 ②乙女心

「おお、マリーナ。お帰り。早かったな。国境まで、大変だったろ?」


 クレインが嬉しそうに満面の笑みを浮かべて妻を出迎えた。手にしている布袋をいそいそと持ってやる。


魔法陣とびらを使って瞬間移動したの。案外、早く用事が片付いたから、夕食は家で取ろうと思って。それにしても酷いわね」 


 粉々に割れた卵がいくつも入ったボウル、流しに散乱する調理器具。床や壁のあちこちにへばりついた小麦粉らしい白い粉やバターらしき黄色い塊、ジャムかもしれない赤や黄色の飛沫。マリーナが術で軽く凍らせた、扉が壊れた調理機オーブンの中には、炭と化した何かが弾けて散らばっている。


 まるで爆撃でも受けたような悲惨な有様に、マリーナ・ベルウエザー子爵夫人は秀麗な眉を顰めた。


「奥様、お帰りなさいませ。あの、その・・・えええっと、本当に、予想外に、超お早いお帰りで。サミュエル様と先代様のお屋敷にお泊りになる御予定だったのでは?」


 エルサが引きつった笑みを浮かべた。


「予定より早くシャルの魔道具うでわの調整が済んだから、早く渡そうと思って。サミーは父上のところに泊まるって言うから置いてきたわ。で、エルサ、あなた、私が留守の間にシャルに料理をさせたのね?危ないからダメだって言ってたはずよ」


「母上、どうか、エルサを責めないで。私がどうしてもって頼んだの」


 シャルが慌ててエルサを庇う。ちなみにスモックエプロンを着たシャルの頭や顔は粉だらけ。元は真っ白だったエプロンは赤、オレンジ、黄色のしみだらけだ。


「どうしても手作りの品を贈りたかったの、アルフォンソ様に」


 アルフォンソとは、つい1か月ほど前に知り合ったシャルの『運命の人』とでもいうべき人物である。『黒の皇子』の異名を持つ彼は、シャルにとって前世からの並々ならぬ因縁で結ばれた相手であり、この大陸一の大国、ローザニアン皇国の第二皇子でもある。


 いろいろあって、二人はお互いの気持ちを確かめあったのだが、肝心の子爵家への正式な婚姻の申し込みは、シャルが誘拐されたり、皇子が暗殺者に殺されかけたりと、これまた諸事情で、中途半端に終わったまま、とりあえず延期中。


 意識を取り戻してから、ある程度、体調を持ち直した皇子が、父王陛下に直接仔細を報告しにいったん帰国することになったので、とりあえずはベルウエザー一家も領地に戻ることになった。今のところ、領地で皇子からの再度の正式な結婚申し込み待ちといったところである。


 つまり、現在、本国で療養中の皇子とシャルは、いわば遠距離恋愛中のなり立てカップル状態。

 遠距離通信用の魔道具<飛文>を使って毎日のように、#彼らなりに__・__#だが、それなりのお熱いメッセージを交わしている。


「来月、エレノア様が公爵様と、帝都におられる伯母様のところへ行かれるそうなの。それで、もし、アルフォンソ様に何か贈り物があるなら、預かるって言ってくださって」


 シャルが恥ずかしそうに俯いた。


「来月の、『みっつめの月』の最後の日は、アルフォンソ様の誕生日なの。だから・・・私、何かプレゼントしたくて・・・せめて、クッキーくらいならなんとかなるかと思って、エルサにどうしてもって頼んだの。でも・・・」


 黙り込んだ娘に、マリーナは優しく言った。


「別にあなたが作ったお菓子を贈る必要はないでしょ?アルフォンソ殿下は、料理に関してはプロ以上の腕前。あの方へお渡しするなら、ベルウエザー特産の魔物がらみの素材を使った、珍しいお菓子でも珍味でもよいでしょう?」


「奥様、大切なのは、#お嬢様が手作りする__・__#ってことなんです。世の殿方は手作りって言葉に弱いんですから。愛する令嬢が一生懸命作ってくれたってところが大切なんです。できはどうであれ。ええ、どんな珍妙なものであれ」


 エルサが口を挟む。


「その通りだ。見かけや味は全然関係ない。その気持ちこそがうれしいんだ。たとえ、危険だとわかる物でも、愛する者が作ってくれたものなら、命がけでも口にするし、身に着けるものさ、男ってもんは」


 クレインがしたり顔で頷いた。


「手作りが大切っていうなら、ハンカチに刺しゅうするとかはどうだ?貴族令嬢の間では流行っていると聞いているが」


「旦那様、刺繍はすでに試みました。というか、やろうとしてみましたが」


 エルサがちらりとシャルを見やって、言いにくそうに言った。


「まずは、そのう、それ以前と言うか、刺繍針自体に問題が。針が弱すぎて・・・」


「弱い?金属製の針が?」


 聞き返したクレインはエルサの答えを聞く前に、状況を理解したようだった。


「あ、そうだな・・・確かに今頃の針は軟弱すぎるな」


「ええ。10本ほど折れたところで、あきらめていただきました」


「では、編み物はどうだ?セーターは無理でも、マフラーくらいなら初心者でもできるだろう?」


「編み物も試みられはしたのです。でも、お嬢様の怪力に耐えられる、いえ、お嬢様が使えそうな編み棒がなくて。やはり10本折ったところで中止しました」


 二人は顔を見合わせると、シャルに同情に満ちた視線を向けた。

 シャルは常になく気落ちした様子で、いじけきって地面を見つめている。


「エレノア様が教えてくださったの。皇国には、想い人たちがそれぞれ手作りの品を、相手の生まれ月の色の箱に入れて、贈りあう習慣があるって。婚約したい相手なら、そうするのが普通だって。どんな、ささいな物でもかまわないからって。だから、私・・・」


 エレノア・フォン・ビーシャス公爵令嬢。

 ビーシャス公の末の娘で、現ブーマ国王の従妹にあたる。シャルと同じ16歳で、誕生日まで同じ。正直、初対面の際の印象は最悪だったが、今では彼女はシャルにとって初めての令嬢友だちになっていた。


「そういえば、ビーシャス公の妹の一人がローザニアン皇国の貴族に嫁がれていたわね」


 マリーナが少し考えこんだ様子で呟いた。


 想い人への手作りの品か。確かにロマンチックな風習ではある。

 しかしながら、はたしてあの皇子がそんな風習を知っているだろうか?皇子自身が、そのつもりで、つまり婚約へ繋がる特別な品として、手作りの料理やお菓子類を送り続けてくるわけではなさそうだが。

 数日おきに。すさまじく大量に。


「アルフォンソ様は、いつだって美味しいお菓子や珍しい料理をお手ずから用意してくださるのに、私、何もお返しできなくて。だから、今回、何かお渡しできればと思ったのです。けれど・・・」


 いや、それに関しては、別に気にする必要はないんじゃないか?

 悄然とうなだれるシャルを前に、その場にいる三人は一様に思う。


 別に見返りが欲しいわけではないだろう。シャルが恋するあの男、ローザニアン皇国の第二皇子アルフォンソ・エイゼル・ゾーン、皇国の『笑わない黒の皇子』は。


 二人がこの世で出会ってまだ一か月ほど。

 ベルウエザー子爵家としては、まだ正式に皇子の一人娘シャルへの求婚を受け入れたわけではない。いや、皇子自身が言い出した条件、『王族の籍を抜いてベルウエザー家に婿入りすること』が確約されない限り、結婚を許す気はない。が、王都での出来事を通して、彼がいろいろな意味で普通ではないことは理解している。皇子のシャルに対する想いが普通の恋情以上であることも。


 また、皇子のシャルに捧げるために磨いた、今なおせっせと磨いている料理の腕前のすごさも、彼らはまさに実感している最中でもある。


 シャルはもっと自分に自信を持つべきだとも、一同は思うのだ。

 20歳の若さで騎士団を率いる美貌の皇子。ダンジョン攻略からお菓子作りまでこなす彼が、シャルを熱愛しているのは、誰の目にも明らかだったから。

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