第02話 辺境は遠すぎです
(まさか……辺境とやらに来るのに馬車の旅になるとは思わなかったよ)
馬車に乗ってすぐの時は、数時間この揺れを我慢すればいいのかと我慢していたが、ひたすら走り続けて、途中ご飯休憩とトイレ休憩のみ。夜になりやっとついたかと思ったら、集団で泊まる安宿に放り込まれたからビックリ。朝、寝坊したら置いていくと言われ、気合いで起きたエマだった。
そんな馬車の旅が一週間、一週間だよ!安宿だからかお風呂はないし、馬車の賃金はエマを馬車に押し込んだ誰かが払ってくれていたようだが、エマはお金を一銭も持っていなかった。もしかしたら忘れたのかもしれないけれど、私物だと渡された鞄にはお金らしきものは入っていなかったのだ。
つまりだ、安宿(朝食つき、但し固いパンと薄いスープ)は馬車賃に含まれていたからまだ良かったが、エマは朝食以外の食事がとれなかった。
(絶対に痩せた!いや、元からヒョロヒョロだけど、さらにもっと痩せたよ)
辺境についたエマが一番に考えたのは、「誰かご飯を恵んでください!」ということだけだった。多少汚かろうが、臭かろうが生きては行けるのだ。
花嫁として来た女子としては、先に風呂へ入れと言われるかもしれないが、別に好きな人に嫁いできた訳でもあるまいし、身綺麗にする必要がどこにある!とエマは言いたい。
とりあえずは、一番ご飯にありつけそうな辺境伯邸を目指すことにした。
馬車から下りた時に、辺境伯はどこにいるかと訪ねたら、遠くに見えた城のような物を指差された。
エマは「ヨシッ!」と気合いを入れて歩き出した。
気持ち的には全然歩ける距離だと思ったのだが、空腹のせいなのか一時間も歩かないうちに、足が思ったように前に進まなくなる。そんなに重くない筈の鞄すら、投げ出したくなるくらい腕がきつい。
(なんでこんなにヤワなの?おかしい……。こんなにヘナチョコな身体、とても自分の物だとは思えない。大学の体力測定の時の十キロ走だって、歩くことなく走りきった体力自慢の私が……)
と考えたところで、大学の体力測定って何だ?と、足を止めた。
(私は大学生だった?あれ?聖女で治療院で働いていた治療士だった筈だよね?……まぁいいか、どっちもよく覚えてないし、とりあえず今は食事だよ!)
あまり考え込まない性格なのか、エマはもう一度気合いを入れ直して歩き出す。
朝早くに馬車を下りたエマが辺境伯邸についたのは、太陽が真上を少し過ぎたくらいの時だった。
辺境伯邸は屋敷というより、城というか、要塞?
エマは、どこに声をかけたら門が開くのかも分からず、呆然としながら大門を見上げた。
王宮は綺羅びやかで実用的ではなく、権力を誇示する為の象徴のようだったが、辺境伯邸は防衛にも攻撃にも適した軍事施設だった。
これをただの屋敷と言ったら駄目な気がする。
「おまえ、お屋敷に用事なら通用門から入れ」
はるか頭上の見張り台から声をかけられ、エマは大きく息を吸い込んで声の主に返す。
「辺境伯様に用事で来ました!王宮からの手紙も預かってます」
「ちょっと待て」
騎士服の男が上から縄梯子を下ろし、それをスルスルと下りてきた。一番の近道なのはわかるし、この大門を開けるのがやっかいだったのだろう。
「ちょっとその手紙とやらを見せて」
エマが素直に手紙を手渡すと、騎士は封蝋を確認して頷いた。
「本物のようだな。上に取り次いでくるから、ちょっと待てるか?」
「もちろん、待てますよ」
実際には空腹で倒れそうなのだが、お腹に力を入れて、なんとか腹の虫がならないように頑張る。それが逆にまずかったのか、「グ〜ッ」とお腹が盛大な音を発した。
「ハハハ、腹が減ってるのか?こんなんで良ければ食うかい?俺の携帯食なんだが」
騎士はカッラカラに干からびた干し肉を取り出し、エマに差し出した。普通にポケットから出てきた物だったが、エマは満面の笑みで受け取った。
「ありがとう!いただきます」
エマが鞄を地面に置き、その上に座って固い干し肉に齧り付いたのを見届けた騎士は、素早く縄梯子を登っていき、大門の向こう側に消えた。
待つこと小一時間、大門の横にあるエマでも頭を下げないと入れないくらい小さな門が開いた。ちょうど干し肉の最後の一欠を飲み込んだところだった。
「エマ・ブランシェ様でよろしいでしょうか?」
門の中から現れたのは、黒い執事服に身を包んだロマンスグレーのイケオジだった。しっかりと筋肉がついているからか、執事服が良く似合っている。
「はい、多分」
「多分?」
執事の眉がピクリと動く。ここで不審人物扱いされたらご飯にありつけないと、エマは慌てて立ち上がり手を差し出した。
「いえ、エマ・ブランシェで間違いないです。初めまして」
「デュボン伯爵家の執事をしておりますセバスチャンです」
(執事でセバスチャン!なんてお約束なの?!……って、何のお約束なんだっけ?)
セバスチャンはエマの手を取ることなく、華麗な礼をしてから地面に転がっていたエマの鞄を拾った。握手は無視された形になったが、より丁寧に挨拶をしてくれたということで良しとした。
「他のお荷物はどこに?」
「あ、それだけです」
「さようですか、失礼しました。では、中にご案内致します」
セバスチャンの後について門をくぐると、中は庭園……ではなく鍛錬場に改装された中庭になっていた。
「こちらは辺境騎士団の鍛錬場になっております。お目汚し失礼いたしました」
「いえ、全然。皆さん熱心に鍛錬してますね」
「ええ。サボれば命に関わりますからね。自然と鍛錬に熱がこもるというものです」
鍛錬場を走る者、剣の素振りをする者、組み手をする者など、皆それぞれに自主練をしているようだった。
「辺境はそんなに危険ですか?」
「まぁ、王都に比べれば。隣国とは平和条約が結ばれていますから、戦争になることはないですが、北の森は魔獣も多いですし、定期的にスタンピードも起こります。盗賊や違法な魔獣狩りをするならず者達が住み着くこともあるので、その討伐もありますからね」
魔獣とは、魔力を持つ獣のことらしく、定期的に大量発生し、大暴走を起こすそうだ。その暴走の先に街や村があれば全滅してしまうから、スタンピードが起こると辺境騎士団はスタンピードが収まるまで増え過ぎた魔獣を駆除する。数日で収まる時もあれば、数ヶ月単位の時もあり、騎士団も無事ではすまない。
また、そんな森に住む盗賊やならず者達は、魔獣並みにやっかいだそうだ。
「エマ様、こちらにて入浴とお着替えをお願いいたします」
中庭を抜け、石造りの巨大な城に案内されたエマは、その中の広々とした一室に通された。
「入浴ですか?」
できれば先に食事を……と言いかけたエマだったが、セバスチャンの有無を言わせぬ雰囲気に口を閉じた。
さっき貰った干し肉くらいでは、到底腹の足しにもならず、またもや腹の虫が騒ぎそうだ。
「こちらが浴室になります。」
すでにはられた湯船からは湯気がたち、お湯には綺麗な花びらが浮かんでいた。
「美味しそう……」
色とりどりの花びらから甘い香りがし、エマは思わず唾を飲み込んでつぶやいていた。
「あれは匂いづけのソープフラワーですから、食さないでください」
ソープということは、石鹸ということだろうか?シャンプーなどはおいてなさそうだから、あれで身体や頭を洗うのかもしれない。
それにしても、エマが持っている常識は中途半端だった。
お金という存在は知っていたが、金貨をお金だとは認識していなかったし、魔法という言葉は知っていたが、どうやって魔法を使うのかは知らなかった。ちなみに長ったらしい詠唱が必要らしい。このお風呂だって、シャワーの存在はわかるのだが、お湯の出し方はわからない。もしかして水で流すのが一般的なんだろうか?
(真冬に水浴びとか、地獄だろうな。湯船は温かいからお湯も出る筈なんだけど)
ちなみに湯船のお湯は、ソープフラワーで身体を擦ったり頭を洗ったりしたので泡だらけだ。水のシャワーで冷えた身体を温めるのにはむいていない。
エマは風呂から出ると、鏡に映った自分の姿をマジマジと見る。
(可愛いな……じゃなくて、何度見てもなれない。自分はこんなキラキラした髪の毛をしていただろうか?しかも床につきそうなくらい長い。洗うのにどれだけ時間がかかったことか。それに、菫色の瞳とか、瞳の中に星が散ってそう。目も大き過ぎるから、玉ねぎとかは絶対に切りたくないよね)
鼻を指で上げてブタ顔を作れば、鏡の中の可愛らしい少女も同じことをする。
当たり前なんだが、自分だ。
鏡を見ていると、ふいにショートカットの黒髪に茶色い瞳の日に焼けた少女の顔がダブった。
「アーッ!」
その瞬間、全てを思い出した。
アスリートのような靭やかな筋肉を持つ少女は、体育大学の二年生で、小さい時から体操をやっていたこと。小さい時はサーカスの軽業師に憧れ、母親の目を盗んで弟子入りをお願いしたこと。その人に「沢山運動しなさい」と言われたことをきっかけに近所の運動クラブに入ったこと。いつしか夢は体育教師になって運動部の顧問になることに変わっていたが、体育大学に入り、教職課程を取りながらスポーツ運動学を学んだり、体操部の部活やバイトに励んでいたこと。
(これって異世界転生?)
見た目が違うから異世界転移ではなさそうだ。しかし、日本人、相良キララとしての記憶が復活したが、エマ・ブランシェの記憶はすっぽりとない。それにキララだった時の最後の記憶を探ってみたが、どっかの穴に落ちたとか、階段から落ちた、トラックや電車に轢かれたなどの、転生にありそうな死んじゃうからそれ!という記憶もない。
(なんだろね?……まぁ、わからないものを考えてもしゃあないか。今はご飯だ!)
脳筋少女と呼ばれていたキララは、どんな見た目になってもやはりキララで、水浴びで冷えた体温を上げるようにブルリと身体を震わせると、「ご飯、ご飯〜」と歌いながら身支度を始めた。
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