第三話「街は大騒ぎ!」6

『でも、どうするの?』

 リリーの声だ。

『物理的に街を戻せる魔法があればいいんだけど、あいにく僕が使える魔法では無理だろう。だから、僕は街にかけられた魔法を上からかけ直して、街の『時間』を止めようと思う』

「そんなことができるの?」

『それが僕の使える、時の魔法だからね。ただ戻すことはできないから、それは覚悟してほしい』

「戻せない?」

『今はね、あくまで浮き上がるのを阻止するだけだ』

 私はとっさに学校の方角を見る。

 学校の壁の向こうにあるはずの森は、すでにかなり学校とは離れてしまっていた。

 それどころか私のいる加工場にかなり近づいている。半周近く回転してしまっているのだ。

 彼の言葉が正しいのであれば、これを戻す方法がないというのだ。

「じゃあ、完全に一周するまで待つわけには?」

『その前に街が地面から離れてしまう。そこまでは待てない』

『わかった。それはもう仕方ないな。それで、俺たちは何をすればいいんだ?』

『ええ』

『大丈夫、それも難しいことじゃない。みんな、教会の塔を見て』

 彼の合図で、私は塔を見る。私の位置と塔の高さはほとんど同じくらいだった。

『ガレット、出番だよ』

 カルミナが彼の猫に話しかける。石を持たないガレットの声は聞こえないけれど、きっとにゃあと鳴いただろう。

『わあ!』

 最初に声を上げたのはリリーだ。

 塔のてっぺんから、花火のように光の球が弾きだされて、高く高く空へと登っていった。

『じゃあ、魔法をかけるよ。こんな大がかりなのは僕も久しぶりだけど。まずはみんな、魔法石を空に掲げて』

 言われた通り私は左手の緑に染まった石をかざす。落ちかけた太陽の光を吸い込んで輝いた石は、真っ直ぐに一筋の光を放ち、教会の遥か上に飛びたって行ったガレットに向かっていた。

 三人も同じようだ。

 ユーリからは赤色が、リリーから青色、カルミナから黄色が、合計四本のカラフルな線が一箇所に集まっている。

『それから、どうするの?』

 不安というよりは楽しげなリリーが、カルミナに聞く。

『目を閉じて、今起きていることを忘れて。そして、普段の街を、いつも家から学校へ行く景色を、放課後、休日に街を歩く気分で、一つ一つ丁寧に思い浮かべて』

 しみわたるような優しい声に、戸惑いながらも私は従う。

 毎日を、街で暮らす日々を思い出す。

 朝目が覚めて、制服に着替えてからお母さんに会って、甘い匂いのする家を出る。レンガの地面は堅く、履き慣れた靴がカツンと鳴る。風を感じてフードを被る。ひざに当たる風が冷たかった。

 途中でパン屋のおじさんに挨拶をして、ひさしが傾いた花屋の前にいつも座っている黒猫をなでる。

 すぐにユーリと会って教会まで一直線に歩く。時計の音が鳴って私は塔を見上げる。

 緑のツタが絡まった塔は、時間だけでなくもう春を告げていた。急がなくちゃ、と学校まで走っていく。

 教室に入ってみんなと顔を合わせる。先生がやってきて、少しだけ退屈な授業を受ける。窓から大きな桜の木が満開の花を咲かせているのを見る。

 それから、放課後には図書館に行って、リリーと会う。図書館は広くて、本の多さに圧倒される。

 今まで慣れ親しんだ街を、出来る限り、余すところなく思いだす。リリーも、ユーリも、同じように、『私の街』を思い浮かべているに違いない。

『よし、もう大丈夫だ。目を開けていいよ』

 ぎゅっとつむった目を開ける。

 広がっていたのは、見たこともないきれいな光景だった。

 街の中心に向かっていた四人の光が互いに結ばれているだけじゃなく、複雑に組み合わさって夕暮れの街を照らしている。はっきりとしたたくさんの光線が、幾何学模様になって幾線も幾線も繋がっていた。

 それは私の緑色であったり、彼らのそれぞれの色であったり、またそれらを足し合わせたような色をした。

 合間合間に、昨日リリーと見た本に書かれた文字のようなものが見えた。丸みを帯びた文字が線の隙間を縫うように散りばめられている。

 きっと、街にいる人々も好き勝手に散らかる道具のことを一瞬は忘れてこの空を見上げていることだろう。

『それじゃ、行こう』

 軽く返事をして、すう、とカルミナが息を大きく吸い込んだ。

『命じる!』

 今までの軽い声とは正反対の太く、強い口調で彼が続ける。

『命じる!

我は仮初の時の王なり!

時の代行執行者なり!

 自覚せよ!

 水のごとき流れる時を!

 時は汝ではなく!

汝は時ではない!

 我は一切合切より切り離す!

 永劫に時は汝に接合することはない!』

 耳に残るカルミナの声がどこか遠くなっていくのを感じるのと合わせて、入り組んだ線も淡い光になって薄く消えていってしまった。

 体が細かく振動している。

 ずずず、と地鳴りがした。

街が沈み込んでいっているのだ。浮きかかった街が元の高さまで一気に戻ろうとして、その衝撃が街全体に響いているのだろう。

 それから一呼吸置いて、お祭りのような騒ぎだった街が急に静かになった。

 魔法の残り香の影響でてんでめちゃくちゃに動いていたものたちが、本来の無口に戻ってしまったからだ。

『どうやら上手くいったみたいだ』

 カルミナが少しだけほっとした声で全員に報告する。

『ええ、ほんと』

『一件落着だな』

「よかった」

『さあみんな、教会に再集合しよう。足元に気をつけて』

 太くなったツルに腰をかけて、街を見下ろす。小さくなった人々がこまごまと動いているのが見えた。

 あちらからこちらを見ても、大きな植物がそびえ立っているようにしか見えないだろう。道具が転がっている足元の方が今は関心が高いはずだ。

不思議と怖いとは思わなかった。瑞々しい緑に囲まれて、不安なんてどこかに飛び去ってしまっている。

「あれ?」

 手のひらに重さを感じる。その小さな円錐の赤い実を見て、この植物の名前を思い出す。

 図鑑だけでしか観たことがない、もうこのあたりでは絶滅してしまったといわれる植物だ。いつかまた栽培できるかもしれないと、おばあちゃんが種を保存しておいてくれたのだろうか。

どこか懐かしく思いながら口に運ぶ。

 若くて甘酸っぱい、春の味がした。

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