第三話「街は大騒ぎ!」4

「な、なんなんだよこれ!」

 ユーリが驚いて叫ぶ。

 街に出た私たちの前に飛び込んできたのはめちゃくちゃな世界だった。真っ直ぐだった道は粘土細工みたいにうねうねと曲がりくねり、植木鉢や看板がぴょんぴょん好き勝手に飛び跳ねている。

「ど、どうするのよ?」

 リリーも動揺しているみたいで、声がうわずっている。

 気丈に息を吐いて、私が答える。

「でも、行かないと」

 足を踏み出して、教会へと目指す。

 街では大人たちが怒号を上げている。

 そうは言っても、何もすることもできないので、ただ跳ねているものにぶつからないようにするしかない。

 空を見る。

 太陽が、動いていた。

 いや、動いているのは私たち、街のほうだ。

 大人たちは地上の騒がしさに気を取られて、まだ街が回転しているだなんて思いもよらないのだろう。

 私たちは、教会の前にやってきた。まとわりついているツタがまるで生き物のように波打っている。けたたましく時計が鳴り響いた。

「カルミナ!」

 時計塔のそばの出窓から、カルミナの後ろ姿が見えた。

「よし、行こう!」

 ユーリが先頭となって塔の階段を上る。塔の中は街の外とは違いうってかわったように静かだった。物音もせず建物もしっかりとしている。

 呼吸を乱しながら最上階、カルミナのいたところまで上り詰める。

 カルミナは、箒を片手に窓に腰をかけていた。

「どうして街の外へ逃げなかった?」

 彼がためいきをつく。

「もう遅い。手遅れだ」

 それに答えられないでいると、彼は私たちに向かい直した。

「あなた、魔法使い、なの?」

 ためらいながら聞く私に、カルミナは目を伏せてうなずいた。

「そう。よく知っているね。僕は魔法使い。人々がかつて羨望し、崇め、そして虐殺の限りをつくした、その魔法使いだ」

 小さな声で、落ち着いた声で、ずしりと重くのしかかる言葉だった。

 リリーが声を震わせて、カルミナに問う。その手には、青い石が握られている。

「虐殺って、殺した、ってこと?」

「そう。彼らは、私たち魔法使いだけが使える魔法を誰もが使える技術にするために、魔法使いを利用した。もちろん最初は協力、という優しい言葉だった。僕たちだって、魔法を独占すべき、なんて考えてもいなかったし、それで常に歴史の表舞台から弾かれてきた僕たちは認められる機会が欲しかったというのもあるのだろう。しかし、魔法石による魔法の再現が実現されるにつれて、彼らは僕たち魔法使いが怖くなった。意志の力だけで、彼らが苦労して使える以上の魔法を難なく使いこなす彼らに。そして、実験と称して、幾人もの魔法使いの命を奪った。ただ不思議な力を持っている、というだけで、私たちは人間扱いされなかったのさ」

「でも、それは」

「確かに、魔法は魔法石を媒介とすることで、単なる技術となった。その結果、人々の生活は豊かになった。だが、それが誰かを犠牲にしても良い理由になると? 多数のためなら少数の声なんて無視しても良いと?」

「そうじゃ、ないけど」

 非難するような口調にリリーが声を落としていく。

「もっとも、その魔法石でさえも使えなくなった世代の君たちにどうこう言うつもりはさらさらないけどね」

 やけに大人びた言いまわしのカルミナに、疑問をぶつける。

「あなた、本当は、何なの?」

 あごを上げて、カルミナは息をもらす。

「僕? 僕はカルミナ。時の魔法使い。数ある魔法の中でも、最後まで魔法石で再現できなかった特異な魔法である『時間』を操る魔法使いだ」

「時間を、操る」

「そう、時を操り、君たちの何十倍も長生きをしている魔法使い」

「ええっ!」

 頬杖をついて、さらりと正体を明かす。

 冗談を言っているようには思えなかった。少なくとも、空を飛んでいる段階で彼が魔法使いであることは間違いないのだから。

「さて、僕のことよりも、そろそろこの街の心配をした方が良い」

 カルミナが座っているのとは別の窓を指差して、のぞくようにうながす。私たちはそこへ駆け寄って、外を見た。

「なんだ、これ」

「すごい」

 ユーリは眉をひそめ、リリーにいたっては喜んでいるようにも思えた。思っていたように街が時計回りにゆっくりと回転をしている。でも、それだけじゃなかった。少しずつ、本当に少しずつ、地上にいる分には全く気がつかないくらいに、街がせり上がっているのだ。

「カルミナ、どういうこと?」

「街が、本来の姿を取り戻そうとしているだけだ」

「だから……」

「あっ!」

「リリー?」

 何かを思い出したようで、リリーが声を上げた。

「街の歴史、ずっと前に授業でやったわ。『霧が晴れ、乾いた大地に一晩で街が出来上がった』って言っていたじゃない」

「そんなの、おとぎ話だろ」

 ユーリが一蹴する。

 そう伝えられているだけで、実際には魔法石の採掘のためこの街が出来たと誰もが思っている。そうでなければ、こんな辺境に街を造ろうだなんて思うはずもないからだ。

「でもユーリ、それが本当なら」

「この街を、魔法の街、と呼ぶのだろう? その言葉の通り、この街は魔法で動く、可動式の街だ。空を飛んでやってきたのさ」

「まさか!」

 落ち着いた声で、むしろ微笑んでいるかのような表情で、カルミナが続ける。

「本当だよ、僕が保証してもいい。なにせ設計の一部を担当したのは僕だからね」

「ええ!」

 数百年の歴史を持つこの街ができたときには、すでにカルミナはいた、ということだ。

「そもそも僕がこの街にやってきたのは、魔法の不規則な乱れを感じたからだよ。魔法使いもいない、魔法石も力を失っている今、設計者として早晩こうなることは目に見えていたのもあるけどね。もうずっと、誰もメンテナンスすらしていないのだろう?」

「だから、カルミナは街を色々歩いていたの?」

「あまり人目に触れないように気をつけていたけどね。存在に違和感を抱かせないという魔法を使っていたのだけど、完全ではなかったみたいだ」

 いることを当たり前に錯覚させる、そんな魔法がもしあったとして、カルミナが使っていたとしたら、珍しい転校生に教室のみんなが質問責めにしなかったのもわかる。

「街のあちこちにほころびが出ているのは確認していた。ただ、それを直せるかどうか、まだ街の構造の全体が把握できていなかったんだ。僕が一部を設計したと言っても、わかっていない部分が多かったからね」

「じゃあ、このあとどうなるんだ!?」

「たぶん、設計通りなら空に浮かぼうとするんだろう。それだけの力は残っていたってわけさ。本来ならどこかに移動してまた地に根を張るのだろうけれど、それに耐えるだけの魔法はすでに効力を失ってしまっている。良くてどこかに不時着かな」

「悪くて?」

「空中で分解して、みんなバラバラだ」

「じゃあ、みんなを避難させないと!」

 ユーリの提案に、リリーが返す。

「だめよ! もうそんな時間ないわ!」

「でも……どうすればいいのカルミナ教えて!」

「さあ、どうしようか。僕は空を飛べるからいいとして」

 カルミナはどこまでものん気に姿勢を崩さず、自立している箒をなでる。

「そうだ、リリーの石を戻せば……」

「いいや、それは決定的ではないよ。いろんなことが重なって起きただけだし、こうなるのは時間の問題だった。今さら戻したところで役には立たない」

「じゃあ、どうすれば……カルミナの魔法で何とかならないの?」

「無理だ」

 ぴしゃりと言い切る。

「せめて魔法使いがもう一人いれば、街の魔法の時間を止めることができるかもしれないけれど、僕だけの魔力じゃもう太刀打ちできないね。だからその前に何とかしたかったんだけど」

 言う割には深刻そうには見えない。

「もう一人いればいいの?」

 カルミナはふるふると首を振る。

「魔法使いはもうてんでばらばらに散らばってしまったし、いたとしても正体を隠して生きているよ。少なくともこの街にいるとは思えないし、探す時間はないと思うな。君たちを街の外に運ぶくらいならしてもいいけど」

「そんな……」

 それじゃあ、街のみんなを見捨てることになってしまう。そんなことはできない。

 でも、もう私たちに出来ることはない。

 私たちは肩を落として、諦めかける。

「わ!」

 地響きがして、塔が揺れた。まるで大きな地震が来たみたいだ。

 街が、地面からはがれようとしているのだ。

 私は体がよろめいて前につんのめり、カルミナの箒をつかんでしまった。

「にゃあ!」

 と箒が鳴いて、猫の姿に戻った。

「どうした? ガレット」

 元箒の茶猫のガレットが、首を傾げたカルミナの膝に乗る。ガレットはカルミナの正面に向かって、首を縦に振りながら鳴いている。

「本当に?」

 カルミナは目を開いて驚いている。それから、私をじっと見た。

「君の先祖は、ずっと街に住んでいる?」

「え? うん、私の知っている限りは……」

 私の家族は、代々スイーツショップをやっているはずだ。確かかどうかはともかく、この街ができたときから、と言われている。

「そうか、それならもしかしたら」

 うんうんカルミナが何かに納得するかのようにうなずいている。

「なに?」

 それに答えたのは、ユーリだった。

「魔法の、匂いがするって、そいつが」

 ユーリが伸びをするガレットを指す。

「ユーリ、聞こえたの?」

「うん、いや、なんとなくだけど、そんなふうに言った気が……」

「そうか、君もか。ひょっとして、君も?」

 カルミナがリリーに視線を移す。

リリーも大きくうなずく。

「私の家は、歴代街の代表を……」

 それは私も知っている。

 歴史があるといえば、リリーの家が一番はっきりとしている。

「だから、魔法石が反応したのか。なるほど、これは賭けてみる価値はあるかもしれない」

「……カルミナ?」

「やっぱりその石を、僕に貸してくれないか?」

 カルミナが、リリーが胸元に握りしめた魔法石を見る。

「えっ、でも……」

「街を戻す方法があるかもしれない」

 三人に見られて、リリーはそっとこぶし大の石をカルミナに渡した。

「やっぱり、そうだったか」

 透き通った青だったはずの魔法石は、カルミナの手に収められると次第に濃い黄色に変わっていった。

「どういうこと?」

「君たち、この石には触った?」

 私とユーリが顔を合わせる。

「私は、ほんの少しだけ」

「俺は、全然だ」

「これは魔法石の中でも特殊な、原形種と呼ばれるものだ。つまり、色なし。技術としての魔法を使うときに使うんじゃなくて、魔法使いが自身の魔法を増幅させるときに持つものだ。街にかけられたたくさんの魔法をひとまとめにするのに使ったんだろう」

「……だから?」

「ガレット、箒に」

 カルミナに命令されて、一声鳴いたかと思うと、また箒に姿を変えた。

 箒を右手に持つと、カルミナが床に魔法石を転がす。カルミナの手を離れた魔法石は、今度は無色透明に変わった。そして箒の柄でつぶすかのように思い切り上から叩く。ガリ、と音がして魔法石は四つに割れた。

「え!」

 叫んだのはリリーだ。

「どうして」

「どうしてもこうしても。ほら」

 カルミナは当たり前だと言わんばかりに、腰をかがめて石を拾いそれぞれ一つずつ、私たちに投げた。小さくなった欠片を、三人が大事そうに持つ。

「強く、握りしめるんだ」

 指示通りに、痛いくらいにぎゅっと石を両手で包み込む。なんだか石から熱が伝わって、全身が温まる気がした。

「開いてごらん」

 うながされて、私は手を開く。

「これ……」

 透明だった石は私の手の中で濃い緑色に輝いている。ずっと昔からその色だったみたいに自然な色をしていた。

「うわっ」

 ユーリを見ると、ユーリの石は燃えるような赤い色をしていた。リリーは持ってきたと同じ淡い青色をしていた。

「これは?」

「この石は、魔法使い用の石だから魔法使いに反応する」

「君たちには魔法使いの血が流れている。とても薄いものだけれど。きっと、君たちはこの街に残った魔法使いの子どもたちなんだろう」

 私が、私たちが魔法、使い?

「色が違うのは」

「魔法使いはそれぞれ、固有の色を持っている。そして、その色に即した得意魔法を持つ」

 魔法の、色。

「たとえば、リリー、君の淡い青は理知の色だ。魔法を探究し、発展させることを得意としている。街の設計の中心メンバーになったのも君の先祖のはずだ。ユーリ、君の灼熱の赤は創造の色だ。魔法を利用して様々なものを創り出す。街を実際に組み上げて、様々な紋様を描き街に命を吹き込んだのは君の祖先だろう。君がガレットの声が聞こえるのも、そのためだ」

 カルミナが私の目をとらえて、どきりとする。

「ニーナ、君の色は深い緑、調和を表す。自然物との相性が良い。おそらく、街にかけられた魔法を安定させることに尽力したのだろう。三人とも、都合が良い」

 ふむ、と彼が言う。

「え?」

「街を何とかしたいんだろう? 君たちに魔法を使ってもらおう」

「俺たち、魔法なんて」

 銀髪を揺らして、出来の悪い子どもたちをなだめるような顔つきでカルミナは微笑む。

「大丈夫さ。素人でも三人揃えば、まあ、一人分くらいの力は出してくれるだろう。僕が魔法を使うから、君たちはその力を貸してくれればいい」

「でも、どうやって?」

 魔法を使うといっても、イメージが全くわかない。二人も私と同じ気持ちのようだ。困惑した表情をしている。

「そうだな、君たちは三手に別れてもらおう。ユーリは学校の屋上へ、リリーは自分の屋敷の塔の上へ、ニーナは魔法石の加工場跡地の一番高いところへ行くんだ。僕は採掘場の入り口だったところまで行こう。ガレットはここでお留守番。あとで魔法の起動点にするからね。全員がそろったら、そこで僕が魔法を唱える。上手く街が落ち着いたら上出来だ」

「でも、着いたかどうかどうやればわかるんだ?」

 ユーリの質問は当然だ。

「そうか。みんな、石を握ったまま手を前に出して」

 言われるまま、私たちは閉じた手を合わせる。そこへ、同じようにしてカルミナが左手を置き、空いた右手で上から空中に文字を描きはじめた。

 ぼうっと、指先から出た青い文字が残る。触れてもいないのに、指でなぞられているようで背中がくすぐったかった。

 最後に円で文字を囲って、ちょんと、その紋様を押す。

 紋様は回転しながら、私たちの手の中に吸い込まれて消えていった。

「これでよし」

 と満足げにカルミナが言う声が、頭の中に響いた。

「わっ、なんだこれ」

 ユーリが石を持ったまま耳をふさぐ。そのユーリの声も、耳からではなく直接頭の中に聞こえるようだった。

「これで、当分石を持っている間は全員の声が聞こえる」

「これが、魔法?」

 すごく不思議な気分だ。自分の中に、みんながいるような気もする。

「そう、非常に初歩的なね」

「魔法石が使えた頃は街同士で言葉のやりとりが出来たって、聞いたけれど」

 リリーが本の知識をなぞる。

「もっと大掛かりにやればね。とりあえずは今はこれくらいでいいだろう。さ、そうと決まれば話は早い。さあ出発だ」

 カルミナが出発を急かし、私たちは階段を下りる。私とリリーはフードを被り、ユーリは自分のゴーグルをつけた。

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