第12話 2-4 航空機を造るための準備 その二

ー 吉崎視点 ー

 今一つ、従業員のために君津のとある商人を丸抱えして、製作所(事業所)構内で売店を開かせている。

 寮から金谷の店がある場所までは3キロほどもあるから、徒歩だと往来が大変である。


 まぁ、この時代の人は一里や二里を歩くことなど屁とも思っていないんだがね。

 でもあるものは利用した方が良い。


 特に寮のまかないのおばちゃんたちは、食料だけでも毎日かなりの量を運ばなければならない。

 一応社用車として小型車や小型バスを造って、運転できる者に一日に二度ほ近くの村若しくは町へ行かせてはいるんだが、やはり近場に商店があった方が便利なのだ。


 この商人には、運転手付きの小型バスの利用や軽トラックの利用も可能なように特典を与えている。

 新たに構内に設けた購買所は、雑貨店であって、何でも揃っているからさしずめ庶民の百貨店だな。


 従業員が増えるに従って、おそらく店の規模も大きくなるだろう。


 ◇◇◇◇


 取り付け道路の終端から浜金谷駅までの道路整備については村役場に陳情し、寄付金を委ねて舗装道路の建設を促しているところだ。

 我が社の私有地ではない場所の道路については、村役場若しくは私有地所有者の同意を得なければならないわけだが、面倒な作業は役場に任せて、その代わり村に多額の寄付金を出すことにしたんだ。


 そのために年額で40万円ほどを村役場に寄進している。

 当節、1万円で立派な豪邸が建つので、40万円と言えば結構な金額の筈である。


 地元産業の育成にもつながるだろうが、機密保持のために守衛を置いている検問所以降の道路には、業者や一般人の侵入を原則禁止しているのでね。

 少なくとも取り付け道路までは払い下げられた私有地だから出入りを制限しても何ら問題は無いのだけれど、元は国有地だったわけで、何となく公共の用地を私物化しているという負い目はある。


 浜金谷駅から隧道入り口までの距離は最短で300m足らず、遠回りになるが駅舎のある南側に回る道路を作っても1キロ足らずの距離だから、左程の工期は要らないだろうとは思う。

 私なら一日とかからずに終えてしまえるが、対外的にはおいそれと私の能力をひけらかさないようにしなければならない。


 まぁ、一年後ぐらいまでには何とかしてくれるだろうと期待している。

 恐らくは、私の作った航空機製作所及びその関係者がこの地区で最も高額の納税者団体になるだろうから、村としても絶対にウチの要望を無視できなくなるはずだ。


 ◆◇◆◇◆◇


 私は、群馬県高崎出身の佐山英二45歳だ。

 帝都にあった中小の商社に勤めていたが五年前に不況のあおりを受けて倒産したため、職を失った。


 40歳を過ぎて職を失うと後がきつい。

 今は臨時雇員で何とか食えるだけの金は稼いでいるものの、これで身体でも壊したら家族4人が路頭に迷う。


 五反田に小さいながらも自宅を構え、39歳の妻啓子がおり、長女洋子が16歳で昨年から仕事に就いて少し家系を助けてくれるようになったが、長男宗一がまだ14歳で中学校に通っている。

 私の実家も妻の実家も既に世代交代しており、食うに精一杯で我が家に援助の手は差し伸べるほどの余裕はない。


 そんな折に新聞でたまさか募集広告を見た。

 年齢不問と書いてあり、条件は凄く良いんだが、45歳にもなった潰しの効かない私を雇ってはもらえないだろうな。


 そうは思いながらも一抹の期待を抱いて面接に行ってみた。

 臨時雇員は、2日に1日だけの仕事だから暇があるのだ。


 そうして創業者の方と面接し、幸いなことに私は吉崎航空機製作所東京事務所に雇われたのである。

 給与は月に60円もくれるらしい。


 昨今公務員の平均年収が概ね700円を超える辺りらしいから、恐らくはそれに匹敵する待遇である。

 55歳で定年を迎える公務員で45歳の者の給与が平均収入とは思えないが、それでも今の私の収入の4倍近くも有るのだ。


 これで妻にも少し楽をさせてやれる。

 勤め先は東京丸の内にある某ビルの一角で私以外にも男性3名女性3名が雇われている。


 女性は若い職員が多いのだが、男性は全員40歳を超えており、中には50に近い者もいる。

 因みに社長さんから言われて娘も面接を受けて採用してもらった。


 娘の方は尋常小学校高等科卒業だけの学歴だし、年齢も16歳と若いから給料は抑えられるのじゃないかと思ったが、娘も実は45円の月給をもらえることになった。

 仕事の方は、当面創業のための手続きが主であり、種々慣れないことが多いのだが、発足当初に社長さんがある意味で手取り足取り教えてくれたのが功を奏している。


 私にそんなに学習能力があったのかと思うほどに知識を詰め込み、僅かに二週間で普通に仕事をこなせるようになっていた。

 東京事務所の仕事は、応接と役所周りが圧倒的に多い。


 最初に社長さんと一緒に役所などの関係先を回り、つなぎをつけてからそれぞれの担当に指名されることになる。

 基本的に男はそうした対外的な仕事、娘洋子を含めた女性陣は事務所内での書類仕事が多い。


 最初の慌ただしさが収まると、仕事の9割が総務系統の仕事に移っていった。

 財務処理と労務管理である。


 殆どが初めての仕事であるはずの7人の職員でそれをきっちりとこなして行くのだから、当事者の私も正直なところ驚いている。

 いずれにしろ佐山家にとって社長さんの吉崎博司さんは福の神なのである。


◆◇◆◇◆◇


 私は、野瀬孝三郎29歳だ。

 応召時、海軍に徴用され陸戦隊の一員として支那に渡って、昭和7年に起きた上海事件で重傷を負った。


 左足に銃創を負ったが、激戦で治療が遅れたために左足を膝下ぐらいから切断されてしまった。

 出血を抑えるために太もも部分をきつく縛っていたのが悪かったのか、左足のひざ下が壊疽を起こし、軍医も切断しかないと判断したのだった。


 傷痍軍人となってみると、片足なわけだから松葉づえが手放せなくなり、当然に恩給は出るが左程の額ではないから食うには何とか食えるが贅沢はできなくなった。

 傷痍軍人とはいえ、軍隊に復帰できるわけでは無い。


 家族の厄介になるのが嫌で、私は仙台に出て一人住まいを始めた。

 片足が無い男に寄り付く女がいるわけもなく、私は当然のように独り身だ。


 応召前は国鉄で駅員として勤務していたのだが、帰還後は復帰もできなくなった。

 このまま無為に過ごすのは嫌だったが、生憎と片足で出来るような仕事は少ないんだ。


 そんな中でも知り合いから仕事の話が持ち込まれて私は面接を受けた。

 私の場合、尋常高等小学校卒業だから学があるわけでもなし、足が不自由なわけで就職には極めて不利なのだ。


 だが、知り合いが言うには今回の募集は年齢が45歳以上の男性、若しくは手足が不自由な者に限定して募集をしているそうなのだ。

 そんな者を集めて一体何をさせるつもりだ?


 ひょっとして詐欺カタリじゃないのかとも思ったが、そもそも資産の無い私を騙しても左程の利益は得られまい。

 仙台市内の面接で会った社長さんは、ごく普通の人でとても詐欺師には見えなかった。


 社長さんの話では、航空機の部品などを作る仕事であり、座ってでもできる仕事らしいのだ。

 但し、工場は千葉県の田舎にあるのでそこで生活しなければならないようだ。


 色々くと、工場の近くに寮が整備され、食と住まいは保証されるそうだ。

 給料は何と月に50円以上が貰えるらしい。


 傷痍軍人恩給は就職していようがいまいが支給されるから、恩給と給与があれば結構ぜいたくな暮らしも無理じゃない。

 私はすぐにこの話に飛びついて、千葉県に向かった。


 着いたところは、本当に千葉の片田舎だった。

 私の出身の村も小さいが、金谷という集落はそれとどっこいどっこいだった。


 その上、工場は人里離れた山の中にあったよ。

 まぁ、立派な道路が整備されているから、不便ではないんだが・・・。


 用意されていた寮も新築の立派なものだった。

 六畳二間に台所と便所に風呂までついている。


 こういった寮では普通共同便所が普通だろうが、ここには個別に便所と風呂が付いている。

 一応共同の大浴場も有るんだが、切断された足の傷を他人には見せたくない私にとって部屋にある風呂はとてもありがたかった。


 寮では水も電気もガスも無料だ。

 但し、一定の制限はあるようで使いすぎたりすると管理人のオバさんから盛大なお小言を貰うことになる。


 何時だったか風呂の水張をしているうちに蛇口を閉め忘れたことがあって半日近く流しっぱなしになっていて、オバさんに叱られたよ。

 水道だってただじゃないんだから当然だよな。


 驚いたことにここの男手は本当に40歳以上の年寄りと身体障碍者しかいなかった。

 流石に両脚切断の人はいないだろうと思っていたんだが、車椅子というものに乗って動き回っていた人が居たのにはびっくりだ。


 両手が無い人はいなかったが、左腕が二の腕半ばから無く、右腕も手首から切断されている御仁も居たのにはさすがにびっくりだ。

 両手の指が無いわけなんだが、特殊な義肢をつけて人並みの作業ができるんだそうな。


 私も実は取り外し可能な木製の義肢をつけてはいるんだが、自前の脚と違って松葉づえは手放せない。

 だが、驚いたことに特殊な義足をつけて走っている先輩がいたのにはびっくりだった。


 社長さんに造ってもらった義肢であって、流石に義足に指は付いていないんだが、普通に歩けるようになるらしい。

 私も千葉の寮について1週間後には立派な義足を貰ったよ。


 普通に靴が履けるようなやつと、走ったりできる様な特殊な義足の二つだ。

 整備・維持に少し金は掛かるが、貰う給料に比べると安いものだ。


 義足を作ってもらって以後は、足を失う以前のとおりとまでは行かないが、生活には困らなくなり、松葉づえもほとんど不要になった。

 本当に吉崎社長には感謝している。


 採用されてすぐに仕事とは行かず、取り敢えずは研修が続き、それが終わって航空機の試作が始まった。

 私は、航空機のエンジン開発部門に回された。


 研修で多くの知識情報を詰め込まされたが、それ以上に現場の先輩たちは色々と手取り足取り教えてくれた。

 何より、ここの職場には花がある。


 おばさんもいるけれど、若い女性が結構多いんだ。

 此処じゃあ、女性は男性の補助をしているわけじゃない。


 男と並んで仕事をしている。

 因みに私の属する機関部第二課の第二班班長は綾田園子さんという30歳の後家さんだ。


 彼女は師範学校出の才媛だったようだが、先生にならずに結婚、子供のできないうちに旦那さんが出征して支那で戦死したらしい。

 実家に帰るわけにも行かず、東京で内職をしていたらしいが、社長さんに見込まれて金谷に来たらしい。


 仕事でもリーダーだが、女性陣の中でもリーダー役をしているらしい。

 私も女性の上役にしごかれるとは予想していなかったが、別に不満はない。


 綾田さん美人だしね。

 先輩や同僚にも恵まれ、この航空機を造る仕事が生きがいになりそうなんで、此処に拾われて本当によかったと思っている。


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