交渉
二足の靴が石畳の床を叩く、硬質な足音が響き渡る。
話を聞いてもらえる、と安堵の息を漏らしたのも束の間のこと。継続する緊張感に、徹は手のひらに嫌な汗をかきっぱなしだった。
「この中に入るのは初めて?」
少し先を歩くクレアが、顔だけで振り向きながら問う。
「ええ」
まさか、騎士団本部に連れて来られるとは。
クレアが会合場所として指定したのは、騎士団本部の建物内にある団長室だった。それだけ大事な話だと認識してもらえたからこそなのだろうが、いきなり相手の本拠地というのはやはり緊張してしまう。
「というか、この街に来ることすらも初めてでして」
「グラスに住んでるのに?」
言ってからしまった、と徹は思う。会話をどうにか繋ごうとするあまり余計なことを口走ってしまった。
訝し気な視線を向けられ、動揺しながらも返事をする。
「あそこに移り住んだのはつい最近のことなんですよ」
「ふうん」
じろじろと、まるで観察されているようだ。
「ま、個人的なことは聞かないわ」
それだけで話は終わりのようで、徹は気付かれないようにほっと一つ息をつく。
後は団長室に着くまで特に会話は発生しなかった。
「入って」
「失礼します」
クレアに続いて中に入る。
整理整頓の行き届いた部屋だ。中央には赤い絨毯に木製のローテーブルとソファ、壁際にはいくつかの本棚があって、奥の窓際には長机が存在感を示す。
この建物の長の居室となるはずだが、調度品は特に豪奢というわけでもなく、最低限に執務室として機能する程度に備えられている。
ただ、それでも徹の目には「中世欧州風のレトロな部屋」として映るので、おしゃれだとは感じるわけだが。
クレアはローテーブルの奥側に着くと、向かい側のソファを手で示した。
「適当に座って。特にもてなしは出来ないけど……必要ないわよね?」
「はい。それはもう」
「あなた、遊びに来たという感じじゃなさそうだもの」
お前程度の人間はもてなす必要もない、という意味だと捉えていた徹だが、どうやら少し違ったようだ。
徹はクレアの向かいに腰かけると、やや身体を強張らせながら発言する。
「あの、本日は突然のお声がけにも関わらずこうしてお招きいただき、誠にありがとうございます」
「別にそういうのはいいわ。馴れ馴れしくするつもりもないし、それに」
クレアの眼光が一層鋭くなった。
「私に益のある話を持ってきたんでしょう?」
取引をしたい徹としては話が早くて助かるが、何故そういうことになるのかがよくわからない。
「どうしてそのようにお考えになられるのですか」
「あんな脅しじみたことをされた後に、ただお願いや食い下がりをしに来たとは考えづらいわ。下手をすれば斬られるわけだからね」
確かにあれは「逆らえば斬る」と取れなくもなかったが。しかしクレアの思考は理解出来た、と徹は一つ頷いた。
それに、向こうが何を望んでいるのかは不明だが、取引をしたい、という点で互いの思惑は一致しているらしい。
「仰る通りです。もちろん、いいお話を持って来たつもりです」
「そう。じゃあ早速本題に入ってもらえるかしら」
「かしこまりました」
徹はそこで敢えて一呼吸置いてから口を開く。
「端的に申し上げれば、何かお困りの案件を一つこちらで解決する代わりに、グラスへの接収を中止していただきたいのです」
「何ですって?」
明らかに気に入らない様子で、クレアの表情が険しくなった。
「騎士団でも困るような案件を、あなたが?」
「ええ」
「あなた、ただの農民でしょう?」
「ですが、腕力には自信があります」
「腕力って、辺境の村の力自慢を名乗られてもね」
鼻で笑い、嘲笑を浮かべるクレア。まあ無理もない。徹に何か冒険者としての実績でもあれば話は変わっていたのかもしれないが。
「では、どのような内容ならご納得いただけるのでしょうか」
「それを私の口から言わせるの? そうね。まあ、あなたが腕力以外のものを持っているのなら、さっさとそれを差し出した方が賢明、とだけは言っておくわ」
恐らくだが、クレアは物や金を出せ、と言っているのではないだろうか。
話があるといったらすぐにこんなところに連れて来て二人きりになったこと、しかし徹に対してトラブル解決を期待していなかったことを思えば、そう考えるのが妥当なのではないか。
いかんせん取引に対して前のめり過ぎるようにも感じる。一体、何が彼女をそこまでさせるのか、領主が実の父というのが何か関係しているのか。
しかし、今それについて考える時間は徹には用意されていない。
「申し訳ありませんが、私には腕力以外取り柄がありませんので」
クレアはわざとらしくため息をついた。
「話にならないわね。今日はもう帰ってちょうだい」
「お待ちください。どうか話を最後まで聞いていただきたい」
「これ以上何があるって言うの?」
「私が先ほど提案したお話です。もし私がお任せいただいた案件を解決出来なかったらその時は斬り捨てていただいて構いません。どうかここは一つ、騙されたと思って受けてはいただけませんでしょうか」
「悪戯に人を斬りたいなんて思ってないわ」
「それだけ自信があるということです」
ここで引いては全てが終わり、村の人々の悲願が途絶えてしまう。徹にしては大分強く推したので肝が冷える。緊張で身体は震え、手には冷や汗が滲んでいた。
会話はここで途切れる。
クレアは何事か考えているのだろう。徹は息を呑んで次の言葉を待つ。
「いいわ。ただし、条件がある」
一瞬緩みかけた徹の表情が再び引き締まった。
「あなた、今日ここに来ることは誰かに言った?」
徹は即座に首を横に振る。
「いえ、誰にも」
「そう。なら都合がいいわ。今日この場であったこと、そしてこれからあなたに任せる案件に関わる一切を口外しないこと。これを約束して」
「わかりました。約束します」
これも即座に首肯する。
田舎村の農民にトラブルを解決されたとあっては騎士団の名折れだからだろう。徹にとっても非常に都合がいいので断る道理はない。
しかし、クレアも容易く自分を信用するものだ、と徹は思った。根はいい人なのかもしれない。
「その上で一人、協力させたい人がいるの。ちょっと待ってて」
そう言って、クレアは部屋から出て行った。
すぐに戻って来るつもりなのだろうが、よく初対面の人間を団長室という場に一人に出来るものだ。むしろこちらが落ち着かない。
そわそわしてしまう徹だが、クレアはやはりすぐに戻って来た。後ろには男性の騎士を一人連れている。
「待たせたわね」
しかし、部屋に入るなりすぐに訝し気な視線を徹に向けた。
「何で立ってるのよ、座りなさい」
商談相手が部屋に入って来たので思わず立ち上がった徹だが、こちらの世界にそういう流儀はないらしい。
言葉通りに着席すると、クレアと男性騎士も徹の向かい側に並んで座った。
歳は二十代後半から三十代前半といったところか。
陽光を反射して輝く金の髪は、前髪の一筋だけを残して全てを後ろに流している。背は高く眼光も穏やかで、全体的に落ち着きのある雰囲気が漂う。
クレアはその男を手で示しながら紹介した。
「オリオール騎士団の副団長、セドリックよ」
「セドリック=マクウェルです。よろしくお願いします」
「式上徹です、よろしくお願いします」
互いに軽く首肯をしつつの挨拶が終わると、クレアはすぐにこれまでの経緯をセドリックに説明した。
聞き終えたセドリックは静かに頷く。
「状況はわかりました。それで、私は何を」
協力すればいいのか、とクレアに問うている。
「私について来てくれればいいわ。必要なことは追って説明するから」
「わかりました」
「それと、あなたもこの場のことや事件に関することは口外禁止よ」
「心得ております」
これで良し、とばかりに頷くと、クレアは徹の方を振り向く。
「それじゃあ準備も出来たし話を進めるわ」
「お願いします」
「あなたに任せようと思っているのは、近くの洞窟に住み着いた盗賊の一団の殲滅よ。その一団は名前をマデオラファミリーって言うんだけど」
「お待ちください」
セドリックが割って入る。
「何?」
「この方にあれの殲滅をさせると言うのですか?」
「そうよ」
「無茶です。我々でもマデオラには手をこまねいているというのに」
「話聞いてた? シキガミがそれを望んでいるのよ。それに、私たちが苦戦しているような案件じゃないと取引にならないわ」
「しかし……!」
そこでセドリックは徹の方に身体を向けた。
「あなたも。マデオラは普段農業を営んでいる方が勝てる相手ではありません。間違いなく殺されてしまいますよ」
「はい。むしろ望むところです」
「望むのですか!?」
調子に乗った言い方に聞こえるかな、と心配した徹は慌てて訂正する。
「あ、すいません。望むというのはその依頼を受けることを望むという意味であって、殺されることを望むという意味ではないのですが」
「私としてはどちらでも大した違いは……」
「ちょっと、話が脱線しかけてるわよ」
クレアに止められ、セドリックは明らかにまだ何かを言い足りないような表情をしつつも口を噤んだ。
「依頼達成の条件は首領であるマデオラの討伐もしくは捕縛。生きたまま捕まえるのが理想だけど、無理そうなら殺して構わないわ」
「かしこまりました」
「首領以外も同様よ。で、私とセドリックはシキガミが依頼を遂行出来たかどうかを見届けつつ、やつらを生け捕りに出来そうな時は縄をかけておくわ」
「私は戦闘に集中していればいいということですね」
「そういうこと。私たちの方も色々と準備があるから、出発は明後日の朝で、西門を出てすぐのところにある馬車の停留所に集合しましょう」
「かしこまりました」
それで会議はお開きとなった。
騎士団本部の建物を後にし、宿屋への帰路につく。交渉が無事まとまったことに安堵した徹の足取りは軽い。
帰り際に黒いローブをもらった。当日はこれで全身を覆うことで正体を隠すらしい。朝からこれを来て歩くのは逆に目立つ気もするが、まあいい。
空を見上げれば、青はそのほとんどが朱に染まりつつあった。
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