街からの使者

 徹が村に来てから数日が過ぎた。

 グラスには相も変わらず穏やかな空気が流れていて、村民たちもようやく徹の顔と名前を覚え始めてくれた。

 徹の方もこの世界やこの生活に慣れてきたし、お金も貯まってきたので、そろそろパティの元を去ろうと考えている。


 だが、そんな頃に唐突に変化が訪れた。


 いつも通りに仕事に勤しんでいた昼下がり。

 陽光とそよ風が肌に心地よく、耳を澄ませば鳥のさえずりが聞こえる。ここ最近は他の村民たちと同じペースで開墾を続けていたが、今日は敢えて早めに仕上げて休憩を長く取っていた。

 林の中の適当な場所に座って瞑想まがいのことをするのが徹のマイブームだ。まるで自然と一体化したような心地の良さが、都会生活で疲れた身体にはよく効く。

 いい機会だし仕事をし過ぎるとまた心配されてしまうので、休める時はしっかり休むという考えに切り替えたのだ。


 そんな時、徹の元にロブがやってきた。

 徹は首を傾げる。今は昼休憩の時間ではないし、終業の時間も近くはない。一体何をしに来たのだろうか。

 しかも、後ろには見慣れない顔の揃った一団を連れている。全員が騎士のような格好をしていることからも、明らかにグラスの人間ではない。

 徹が立ち上がり、彼らを迎え入れる態勢を作った。


「よう、シキガミ。ちょっといいか」

「こんにちは。ちょうど休憩をしていたところですので大丈夫ですよ」

「こちら、オリオール騎士団の団長を務めていらっしゃる、クレアさんだ」

「クレアです。よろしくお願いします」


 ロブが手で示した、一団の先頭にいた女性が徹の前に出て来て挨拶をする。

 第一印象は、いかにもパティと同じ年頃の女性という感じだ。

 勝気な瞳を彩る、艶のある美しい赤髪を後ろで一つにまとめている。背格好もパティと同じか少し高いくらいで、大変失礼ではあるが、身に纏っている軽装の鎧がなければとても騎士だとは思えない。


「シキガミと申します。よろしくお願い致します」

「今回、オリオール騎士団の皆さんは例の樹を見に来てくださったんだ」

「ああ、なるほど。そういうことですか」


 先日、誰もいないはずの時間帯に不自然に折られた樹を発見したロブたちは、オリオールという街の騎士団に通報すると言っていた。

 犯人を知っている徹としては、わざわざこの村まで足を運ばせて非常に申し訳ない、という気持ちしかない。何せあれは人間が折っただけのただの切り株なのだ。


「それで、問題の樹はどちらですか?」


 クレアが周囲を見渡しながら一歩前に出ると、ロブが離れたところにあるものを手で示した。


「あちらです」


 話の流れ的について行くべきだろうと判断し、徹も後に続く。

 クレアは件の樹の前に着くと、断面をまじまじと観察してから言った。


「う~ん、確かにこれは妙ね。まるで人間が素手で折ったみたいだわ」


 ご名答です。と徹は心の中で呟く。


「この村に魔法が使える人は?」

「攻撃系統の魔法が使える者はいません。教会のシスターが回復系統の魔法を使えるくらいだったと記憶しています」

「魔法の線もなし、か……」


 二人のやり取りを聞いて、初めて魔法の存在を知る。今度機会があれば調べてみようと思う徹であった。

 しばらく考え込んでいたルミアが顔をあげて口を開く。


「この件は一度持ち帰って領主様に報告するわ。それから判断を仰いでどうするか決めることになると思う。それまではこちらの人間を数名常駐させておくから」

「わかりました。よろしくお願いします」


 ロブが腰を折るので、徹もそれに倣う。用件を済ませると騎士団は早々に街へ戻って行った。


「騎士団が出入りするっちゅうのはあんまり穏やかじゃねえが、これでひとまずは安心ってところだな」


 無骨な鎧たちの背中を見送りながら、ロブはそう呟いた。 


 ところが、それから数日後のこと。再び村を訪れたクレアが告げたのは、予想だにしないものだった。


「領主様の判断で、問題の樹があった辺りの地域をオリオールの管轄地として接収することになったわ」


 その瞬間、場は静寂に包まれ、次第に緊張感が漂い始める。

 ロブの家で行われた会議に参加しているのは、クレア他騎士団二名、グラスからは徹とロブ、他村人二名だ。

 ロブがわなわなと腕を震わせながら抗議をする。


「そんな。接収ってのはどういうことなんですか」

「言葉の通りよ」

「あれは私らが汗水流して切り拓いている土地です。それを何故街のものにされなきゃならねえんですか」

「元々この辺りはオリオールが所有している土地、ということになっていたの。今まで見過ごされていただけで、実はこの村だってそうよ」


 オリオール側に立っているように振る舞ってはいるが、クレアも納得はしていないらしく、表情や語気の曖昧さからもそれがありありと窺える。

 上に逆らえないのはこのファンタジー世界でも変わらない理のようだ、と徹は心の中で何度も頷いた。


「そんなこと初めて聞いたし、本当だとしたら今更でしょう。どうしてもっと早くに教えてくれなかったんですか」

「それは……」


 クレアはわずかな動揺の色をその顔に浮かべる。


「これじゃあ私らはわざわざ自由を奪われる為にあんたらに金を払ったみてえじゃねえですか!」


 グラスの村には戦力がない。そこでオリオールの騎士団にお金を払い、有事の際には動いてもらうという契約、と聞いている。

 ロブの気持ちは大いにわかるが、ここは冷静にならなければいけない。しかし徹が諫めようと腰を浮かせるよりも早く、眉を吊り上げたクレアが立ち上がった。


「領主様の判断には逆らえないわ。それに、あまり過ぎた口を利くようなら」


 そう言いながら、腰に帯びた剣の柄にそっと手を触れる。


「この剣を抜かないといけなくなる」


 暴力で抑えつけられたロブは悔しそうな顔をしたまま口を噤んだ。他の村民もそれは同様で、場には行き所を失った悲しみや怒りが漂っている。

 結局、会議はそんなどうしようもない状況のままで終わってしまった。




『戦うわけにもいかねえ。農地を拡げるのは諦めるしかねえな』


 騎士団が去って行った後、そう結論を出したロブは全く納得のいっていない表情をしていた。

 先祖代々の悲願だ。そう簡単に諦めるわけにもいかないが、騎士団や街が敵として立ちはだかってはどうしようもないというところだろう。

 徹はお世話になっている教会のリビングでテーブルにつき、一人でどうしたものかと考えている。


 恩人たちが悲しんでいるのだ。是非とも何とかして差し上げたい。だが、どうやって解決するのかが問題だ。

 正直、今なら暴力で解決出来るような気はしている。大きな力を手にしたからと言ってそれは安直過ぎるかな、と徹は自嘲気味に笑った。


 子供の頃、周囲からはよく「お前は頭のネジが外れている」とよく言われていたが、こういうところなのだろうか。

 徹は頭を軽く横に振る。今は関係のない話だ。


 とにかく、暴力で済ませるのはだめだ。仮に自分一人で勝ったとしても、村の反逆と捉えられて報復されては村に迷惑がかかる。

 恩返しの為なら信念を曲げる覚悟はある。だから、力のことはばれても構わないのだがどう使うべきか。それともこのまま大人しくしておくべきか。


 悩める徹の前にパティがやってきた。すでに礼拝の時間は終えているので家着に着替えてリラックスムードだ。


「おや、悩める子羊さんがいらっしゃいますね」

「パティさんこんばんわ」

「こんばんわ」


 ここ数日で徹に慣れて来たのか、段々と口調がくだけて来ている。


「シキガミさんもお夕飯の前に間食をするべきか悩んでいるのですね」

「ええ。まあそんなところです」


 パティは上機嫌で鼻歌でも歌い出しそうな雰囲気だ。本当のことを話してこの笑顔を曇らせることもないだろう。


「その罪、神に代わって私が赦しましょう」

「ありがとうございます」


 何故か得意気な顔のパティは、そこで表情を引き締めると、人差し指をびしっと立ててから言った。


「ただし、それには条件があります!」

「条件ですか?」

「はい。シキガミさんが持っているおやつと私のおやつを交換してください」


 間食をすべきかどうかで悩んでいなかった徹は、当然おやつを持っていない、と思っていたのだが。

 隣の椅子に置いてあるものを思い出し、それを持ってテーブルの上に置いた。


「これでいかがでしょう」

「わ、フランですか? いいですね!」

「ロブさんの奥様からいただきました」


 会議が終わってからロブの家を去る際にもらったものだ。悩むべきことが多くてすっかり忘れていた。

 パティはますますご機嫌な様子で、どこからか取り出した自分のプレッツェルとフランの一部を取り替える。


「これで交渉成立です。あなたの罪は赦されました」

「ありがとうございます」


 くだらないやり取りだがそれがいい。こんなに心温まるのも久しぶりな気がする。

 しかし「交渉成立」と「罪を赦す」という言葉が隣合うとは何ともまた奇妙な感じが……交渉成立? 交渉成立。

 そうか、取引をすればいいのか。何か騎士団でも困るような案件を解決する代わりに農地の接収を取りやめてもらえばいい。

 腕力で解決出来るものなら、今の徹なら何とかなるはずだ。


「そうか、これだ」

「へ?」


 前後の繋がりが見えない徹の発言に、早速と言った感じでフランを頬張りながら目を丸くするパティ。


「パティさんのおかげで希望が見えてきました。ありがとうございます」

「確かに美味しそうなプレッツェルですけど。そんなに今までのお菓子に絶望していたんですか?」

「というよりも、もっと素晴らしいお菓子がこの世にはあるはず、という感じです」

「変わった人ですねぇ」


 パティの言い方に則って例えたら変わった人扱いされてしまった。お菓子をもりもり口に放り込むシスターに言われるのも中々に趣がある。

 これだけ食べて夕食は入るのだろうか。そんなことを心配していると、ふとあることを思い出した。


「そう言えばパティさん」

「はい」

「シスターがお菓子を食べるのは罪ではなかったのですか?」


 ちょっとしたからかいの意味も込めての発言だったが、意外にもパティはお菓子を食べる手を止め、また得意気な表情になる。


「よくぞ聞いてくださいました」


 またお菓子を食べるのを再開し、口の周りにフランの欠片を付けながら語った。


「実は私のプレッツェルはですね、村の人からもらったものなんです」

「はい」

「そして、シキガミさんのフランもそうですよね」

「そうですね」

「人からもらったものを無下にするのは罪です。もらったものは食べなければ」


 そしてパティは片目を瞑りながら言った。


「ですからこれは、罪ではないのですよ?」

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