夏のお話をいたしましょう

橙 suzukake

第1話 空を描く

「蚊取り線香、持ったかい?」


「あ、忘れてた」


「待ってれね。今、線香、灯してやっから」


 しめじ君のおばあちゃんは、そう言うと、ガラス戸をガラガラと音をさせて開けて土間から居間に入っていった。

 しめじ君は、もう一度、忘れ物が無いか確かめた。

(スケッチブックに、色鉛筆に、普通の鉛筆と消しゴム…)


「しっかし、宿題とはいえ、あんたも、毎日、頑張んね~」


 そう言いながらおばあちゃんが、鼻から煙を出しているぶたの蚊取り線香入れを持ってきた。


「持てっかな~ あ、こうやって持てば… 大丈夫そう。じゃあ、いってきます」


 しめじ君は、そう言うと、土間の格子戸をガラガラと音をさせて開けて外に出て行った。


朝飯あさはん、目玉焼きらっけね~」


 おばあちゃんの声が後ろでしたので、右手に持ったぶたの蚊取り線香入れを少し高く上げて返事の代わりにした。



 しめじ君は、小学校1年生。夏休みの科学研究の宿題で、朝夕に西の方角にある山の頭上の空のスケッチをしている。スケッチする時間は、朝は7時、夕方は6時と決めている。毎日、空の様子をスケッチしたからといって何が分かるというのか、しめじ君にも見当もつかなかったが、科学研究のお題をいつまでも決められなかったしめじ君に、お父さんが提案してくれたお題がこれだった。


 西にある山を見渡せる場所は、向かいのお寺さんの墓地の一番端だ。しめじ君は、おばあちゃんに教えてもらった通りに、山門をくぐる前に本堂に向かって一礼してから本堂の裏にある墓地へと進んでいった。墓地は、杉木立がうっそうと茂っているので、とっくに東から昇っていた太陽の光をさえぎっていた。木陰の道を歩いて行くと、ほんの少し暑さが弱まることをしめじ君は感じた。墓地の西側の端に着くと、誰かさんの家のお墓に持ってきた物を置いて座り、スケッチブックを横向きにして、今朝、描くページまで紙をめくった。


「ぼっちゃま、おはようごぜえます。また、今日もお空描いてたんの~」


 墓地の一番端の向こうは田んぼで、見回りに来ていたおばあちゃんがそう声を掛けた。

 しめじ君は「おはようございます」とだけ挨拶を返して、いつものように、紙の下五分の一くらいのスペースに西山の輪郭を描いた。


(今朝も、雲は無くて、空は真っ青だ)


 しめじ君は、他の色よりもだいぶ短くなった青色の色鉛筆を横向きにして大雑把に空を塗り始めた。


「わ、びっくりしたあ」


 突然、しめじ君の左側から、ぴょんと一匹の小さな雨蛙がスケッチブックに乗ってきたのだった。

 雨蛙は、その小さい喉をひくひくさせながらしめじ君が持った青色の色鉛筆の方を見つめるようにじっと座っていた。


「カエルくんが、そこにいると、お空の色が塗れないんだけど」


 しめじ君はそう雨蛙に言ったが、雨蛙は、目を閉じたり開けたりするだけだった。


「ふう~」


 しめじ君が、ため息をついて顔を上げて空を見ると、薄く白い満月が空に浮かんでいることに気が付いた。


「そっか。カエルくんは、お月様があることを教えに来てくれたんだね」


 雨蛙がスケッチブックに乗っかったのと同じ場所に月が浮かんでいたのだった。


「カエルくん、ありがとう。今日は、青空のそこにお月様を描くね」


 しめじ君は、大層、満足げに雨蛙にお礼を言った。





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