第18話 十七章 兄弟姉妹を比較しても、きっと誰の得にもならない
チャイムが鳴り、授業は終了した。
生徒らの頬は紅潮し、互いに授業内容について話をしている。
研究授業としての完成度はともかく、命というものを、生徒が真面目に考えた証である。
教壇を降りる加藤に向かい、教頭が声をかける。
「ああ、加藤先生、こちらは……」
加藤はちらっと教頭の横にいる文科省の課長を見る。
「なんだ、来てたのか」
「こ、こら、加藤! このお方を誰だと心得る!」
教頭は、加藤の口調に慌てて、時代劇調の科白を吐く。
「文科省私学行政課の課長だろ?」
「知っているなら、もっと敬意を払わんか!」
教頭は顔を真っ赤にしながら、再び課長に向かってぺこぺこ頭を下げる。
「あのお、課長。校長室で今回の授業についての感想など、お聞かせいただきたく……」
課長はメガネをすっと上げ、にっこり笑う。
「いえ、これから、私学の保健室実務の見学を希望します。加藤養護教諭にも、何点か、お聞きしたことがありますので」
「来んな!」
加藤は口を尖らせてスタスタ保健室に帰る。
その後を、課長は早足で追いかける。
深いため息をつきながら、教頭は校長室に顛末を告げに行く。
すると校長室には銀髪の老婦人がお茶を啜っていた。
「り、理事長先生!」
文科省の役人の次は、
教頭は、昆虫のように手をこすりあわせながら、動揺を抑え挨拶をした。
「理事長先生、今日はまた、何の御用でございましょう?」
理事長にお茶出しをしていた校長が、仏頂面で言う。
「もちろん、文科省の課長に挨拶をするためだ」
銀髪の上品な婦人、学園理事長の葛城志鶴は目を細め、うふっと微笑む。
「あら、だって
理事長は文科省の役人と知り合いなのか。
怪訝そうな教頭を見て、校長が仕方なく、とんでもないことを告げた。
加藤が保健室に戻ると、先ほど授業を受けていた一年生たちが数人、白根澤を取り囲んでいた。
白根澤は、「避妊」の指導を教える時の教材の一つ、男性性器の模型を手に取り、朗らかに教えている。加藤の姿を見て、生徒らは手を振ったり、親指を立てたりする。
「へえ、すごい教材だね。僕も一つ欲しいな」
加藤のあとから保健室に入ってきた文科省の役人が、きょろきょろと保健室内を見て廻る。
「あら、文科省の方に、性教育への関心を持っていただいて嬉しいわ。なんなら、妊婦さんの苦労を体験できる、妊婦さんジャケットとか、骨盤胎児モデルなんかも如何?」
「いや、それは次の機会で」
爽やかに笑う文科省。
「次はない! ってか、もう帰れよ、憲章」
「そんなこと言うなよ、せいちゃん。ようやく久しぶりに会ったのに。全然ウチにも帰ってこないから、こうやって僕が来たんだぜ」
「お前がいるから帰りたくないんだよ、俺は」
「相変わらずツレナイなあ」
文科省の課長、加藤憲章は、男性養護教諭、加藤誠作の頭を、わしゃわしゃとかき回す。
「僕たち、たった二人の兄弟じゃないか!」
校長室では、教頭が、素っ頓狂な大声を上げた。
「えええ!! 実の兄弟なんですか! 課長様とウチの加藤が!」
「あら、教頭先生、ご存じなかったかしら? 加藤さんの一族のこと」
理事長はレースのハンカチで、口元を押さえる。
加藤一族。
政界と官界に強いパイプを有する、ひらたく言えば名門の一族である。
「加藤一族は聞いたことありますけど……。でもあの加藤ですよ。お兄さんが国家上級の出世コース。弟は、公立の教員にはなれない男。賢兄愚弟の見本のような……」
「そうね、憲ちゃんは公式通りの優等生。せいちゃんは、うーん。天才的野生児、かしら」
それは絶対「天才ではなく、天災」だと、教頭は思った。
休み時間が終わり、生徒が教室に帰っていったあと、保健室では白根澤が、加藤兄弟にどら焼きをふるまっていた。
「うわあ、このどら焼き、中にお餅が入っているやつだね」
嬉しそうに食べる憲章を見て、白根澤にも昔の思い出が過ぎる。
加藤家の賢兄愚弟。
世間はそう言っていた。
「違うよ、僕なんかより、せいちゃんの方がずっと頭良いんだ」
幼い頃、憲章はよく白根澤にこぼした。
「いいから、それ食ったら帰れ」
憎まれ口をたたきながらも、どら焼きをぱくつく加藤の表情は、なぜか昔の可愛らしかった、少年時代を彷彿とさせた。
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