第3話 二章 保健室に、瞬間記憶素質保持者はいらない

二章 保健室に、瞬間記憶素質保持者はいらない

 白根澤と加藤は、音竹の発言を聞き、互いに顔を見合わせた。


 なんですと!


 自宅以外で横になると

 死んでしまう病気?


 知らんよ、そんなの。

 聞いたことないよ。


 電波か?

 メンヘラか?

 その両方か!


 加藤は、ぼさぼさの前髪をかき上げた。

 切れ長の目、といえばカッコいいが、加藤はいつも眠そうな目をしている。

 その糸目がキラリ光った。


「音だけ君だっけ」

「音竹、です」

「気分悪いとこすまないけど、一回立ってみ?」


 音竹は素直に立ち上がる。

 立ちあがると同時に、彼は右手で側頭部を押さえた。


「頭も痛いか?」

「はい、少し」


 加藤は再度、音竹の血圧を測る。


「座っていいよ。あと、白湯のんだら、スポドリやるから、そっち飲んで」


 もともとは、熱中症予防のために用意してある補液を、ボトルごと加藤は手渡した。

 苦痛をこらえている表情の音竹であったが、補液を飲み進めると、顔色がやや改善した。


「少し良くなりました。クラスに戻ります」


 音竹は律儀に頭を下げると、少しふらつきながらも退室した。


 白根澤は、保健室のドアが閉まると同時に、書庫の鍵を開け、新入生の健康調査票を取り出した。身体に似合わず、俊敏な動きである。


 健康調査票には、生徒本人の既往歴や予防接種歴以外にも、家族の構成や緊急時の電話番号など、個人情報が存分に記載されている。そのため、通常は鍵付きの書庫にしまってある。


「ええと、あったあった。音竹伸市おとたけしんいち


 白根澤が音竹の調査票を見つけた瞬間、加藤がべらべら喋り出す。


「音竹伸市。S区在住。家族は母のみ。

予防接種は定期、任意、すべて済み。

食物アレルギー、既往、特になし」


「あら、せいちゃん、さすがね。うふ」

『うふ』はいらねえ、と加藤は思ったが口には出さない。


 加藤は記憶力と観察力だけは、べらぼうに良い。

 彼は一回目を通せば、その内容を記憶できる。

 所謂、瞬間記憶素質保持者、なのであろう。


 だが……


 はっきり言って、無駄な能力としか思えない白根澤である。

 その記憶力が、何の役に立っているのか、分からないからだ。

 


「確かに、呼吸器も循環器にも、これといって記述がないわね、あ、骨折の既往はあるわ」


 たとえば、慢性心臓疾患を持つ場合、仰向けに寝ると、苦しくなる。

 それは肺に向かう静脈にうっ血が起こり、呼吸困難に陥るためだ。喘息の発作時もまた、同様である。


 しかし

 死ぬのか、それで?

 しかも自宅以外の限定付き。


 まあ、いいや。


 加藤はあくびをしながら白根澤に言う。


「音明け君だっけ」

「音竹君」


「顔色と体型見た限り、ODじゃねえの? 立位の血圧は、座位より下がってたし」


 白根澤も同意見ではある。


 OD(Orthostatic Dysregulation)

 起立性調節障害。


 自律神経系の病気の一つである。

 小学校高学年から中学校あたりの、思春期の子どもに多く見られる。


 通常、人は立ち上がるときに交感神経が働き、下半身の血管を収縮させ、心臓に戻る血液量を増やし血圧を維持する。だが、この働きがうまくいかないと、心臓への血液量が減少し、血圧が低下する。そのため、気分不快やめまいなどが生じやすくなる。

 治療薬は特になく、生活習慣の改善やストレス軽減の他、なるべく水分と塩分を摂ることが推奨されている。


「自宅以外で横になったら死んじゃう病気なら、保健室に来たら、座らせて、水分補給で良いんじゃねえの」

「通常の学校生活なら、ね」


 白根澤が顎に手を当てて、ふうっとため息をつく。

 その手の置き方だけは、イイ女風だ。


「自宅は管轄外だろ? それに自宅なら、大丈夫みたいだし」

「せいちゃん、来週何があるっけ?」


 来週?

 健康診断はまだ始まらないぞ。

 だって、新一年生の合宿が……


 うん?


 がっ

 合宿?


「あっ!!!」


 葛城中学校の一年生は、来週、二泊三日の合宿が予定されている。

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