その昼は茹だるような暑さだった。そこに化粧をした女性が一人、疲れきった顔をして歩いていた。化粧は薄いらしく、崩れていない。

 アクジキジハンキに鼻はないがなんとなく、その女性が塞の匂いを纏わせていることに勘づいた。年齢からして、四十代くらいだろうか。だとしたら、塞の母親という可能性もある。

 塞に聞いた話によると、塞の母は看護師で、三交代という勤務形態を取っているらしく、夜勤という夜中に働くこともあるのだとか。時間帯から推測するに、その夜勤の帰りかもしれない。

 ふらふらと歩く女性の足取りは疲れからか、覚束ない。看護師がこんな暑い夏に熱中症なんて洒落にならない。アクジキジハンキはぽつんとそこに顕現することにすることにした。

 すると、アクジキジハンキの存在に気づき、女性は首を傾げる。

「こんなところに自販機なんてあったかしら?」

 不審を抱きつつも、渇いていたらしい喉を潤すために、女性は自販機に向かう。そこは例によって、変わり種な品揃えだった。そのうちの一つを見て、女性は顔をしかめる。

 その手はメロンコーラのところに当たっていた。ちなみに、先日アクジキジハンキがカスタマイズした影響でメロンコーラには「好きな人には堪らない」という触れ込みが書いてあった。女性は微妙な顔をする。やはりメロンコーラはまずかったのだろう。

「……塞はここで買っていたのね。……誰かしら、こんな性根の悪い品揃えにしているのは」

 その答えは一つである。アクジキジハンキ本人だ。

 しかし、性根が悪いのはメロンコーラくらいまずいのが一つあった方がいいとアクジキジハンキにアドバイスした球磨川だというのは、アクジキジハンキのみが知る話である。

 はあ、と溜め息を吐きながら塞の母は自販機にお金を入れ、缶のコーヒー牛乳ミルクたっぷりというのを購入する。

 そこで、彼女が声を上げた。

「お釣、いただきますね」

「え」

 顔を上げる塞の母。自販機のその奥でちゃりん、と鳴るはずの釣り銭の音はしなかった。代わりにしたのは、

 バリバリ、ゴリゴリ、クチャクチャ

 なんとも不気味な咀嚼音だった。

「ひっ」

 塞の母は悲鳴を上げる。無理もないだろう。自販機からするべからぬ音である。しかも硬質なものを噛み砕く音は看護師である彼女に、骨まで砕かれる、という発想を与えた。

 お釣、いただきますねなどという無茶苦茶な台詞などどうでもよくなるくらいの恐怖を覚え、塞の母は立ち去っていった。

「あーあ、食べられませんでしたね」

 アクジキジハンキが玩具を取り上げられた子どもを眺める人物のような台詞を一人吐く。

 夜勤帰りの奥様には、アクジキジハンキは刺激が強すぎたらしい。

 塞のためになるならば、もうちょっと懲らしめてやりたかったのだが……

 自分の思考回路にくすりと笑う。まだ、人間のため、なんて考える思考があるらしい。

 咲々、花、実、蓮、塞。様々な人間を見てきた。各々が各々に様々な問題を抱えながら、それでも強かに生き抜く様をアクジキジハンキとなった神様は見てきたのだ。

 アクジキジハンキという都市伝説になったとしても、神様だったときの記憶が消えるわけではないし、無くすつもりもない。今の人間くさい有り様を変えるつもりも毛頭ない。

 神様だった時代は、無名であるがために、誰の助けにもなれなかった。咲々や花も、ちゃんと救えていたかどうかわからない。

 都市伝説として名を得てきた今、元々神様だったアクジキジハンキは思うのだ。

 もっと人間に寄り添っていきたい、と。

 そうできたなら、神様時代に噛みしめた無力を返上できると思うのだ。

 そうして私は生きていく、とアクジキジハンキは誓うのだった。


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