問題はそれからだった。

 人間には神様である私が見えない。そのため、少年の言うことには信憑性が欠落していた。

 だが、この村の人間も純真無垢な子どもの言葉を信じられないほど落ちぶれてはおらず、すんなりと少年の意見は聞き入れられた。

 そこから村人が問題にしたのは、私の処遇である。

 というのも私には御神体なるものがないのだ。人間の世界に降り立つ際の体というか……別にそんなものはなくとも、私は力を行使できるのだから問題はないのだが、村の衆からすると初めてこの土地についてくれた土地神様だから、丁重に扱いたいのだという。実体のない私に丁重も何もないと思うのだが、人間というのは神様を祀り、讃えることで祈りが通じると思っているらしいのだ。なんとやりにくいことか、と思う。

 つまり、私を人間の適当な御神体に縛りつけよう、というのだ。神社といって、お社を設けてもらえるのは嬉しいが、そんな祀るとか言われても……私は数百年放置されていたのだ。戸惑うばかりだ。

 それに、聞いた話によると、神社を建てられると、御神体のところから離れづらくなり、今までのように自由気ままに出歩くということができなくなるのだ。

 建てられる場所にもよるが、咲々に会いにいけなくなるのは惜しいところである。もちろん、咲々の地縛霊が人柱のところにいるのは村人には知らせていない。村人には咲々の心象はよろしくないからだ。咲々をお気に入りの身としては大変残念なことなのだが、村人を味方につけるには咲々の存在は障害にしかならなかった。

 咲々を蔑ろにするような村人を助ける、というのも考えものだが、一応、この地の土地神として生まれたのだから、ある程度役目は果たさなければならない。今までのように存在を認知されていなかったわけではないのだから。これからは村人からお祈りごはんを正式にいただくことになるだろうし、土地のものを蔑ろにするわけにもいかなかった。

「どうしようなあ。私、咲々に会えなかったらつまらないよ」

 この土地で私の姿が見えるのは、少年と咲々だけだ。少年は普通に人間の世界で暮らしているから、私の話し相手にはなってくれない。だから、暇で暇で仕方なかった私の話し相手は咲々しかいないのだ。

 そう愚痴をこぼすと、咲々は仄かに笑った。

「そんなことを言ってはいけませんよ。せっかく皆様がお社を建ててくれるというのですから」

「まあ、それもそうだけどさ」

 私としては咲々との日常はかけがえのないものだ。何故生前の咲々に私が見えなかったのかわからないくらい、咲々はいい子なのだ。親に先立たれた上に地縛霊になってしまった咲々を哀れに思い、親のように親身になっている自分もいる。

 それがお別れとなると、神様だって、少しは寂しいのだ。

「そうお悲しみにならないでください、土地神様。毎年雨季になれば、この川の水を食べに来ることになるでしょう。そうなれば、自ずと私と会うこともできましょう」

 なんて咲々は頭がいいんだ!

「とはいえ、ずっと咲々を地縛霊にしておくのも心苦しいというか。私がなんとかできればいいのですけれど」

「……いいんです」

 地縛霊である咲々は、穏やかに言った。

「私は、この村が好きなのです。地縛霊になったのは、誰にも助けてもらえなかった未練からですが……決して果たされることのない未練でも、この村を見つめていられるのならば、私はそれでいいのです」

 なんて心の澄んだ子なのだろうか。自分を取り殺した村を憎まないなんて、なかなか地縛霊にできることではない。理不尽に人柱にされたのなら普通は、村全体を祟るものだ。

 もしかしたら、咲々も無意識の心の奥底ではそんなことを思っているのかもしれないけれど、それはあったとしても、今の咲々の心情を重んじて、目を瞑っておくことにしよう。

 もしも、咲々が本当にこの村を恨むようになって、祟りをもたらす存在になったとしたら……辛いけれど、それをきちんと弔ってあげるのが私の役目だと思っている。咲々もきっと、自分のせいで村に危害が及ぶようなことは望まないだろうから。


 咲々とのお別れは存外すぐだったが、再会もすぐだった。

 何故なら建てられたお社が貧相この上なかったからだ。貧相というか、小さいというか。道端に作られた小さなお社だったのである。

 村にはそれまで神を祀るという文化がなかったのだから、風聞程度の知識では、それが精一杯だったのだろう。大人の膝丈くらいしかないような小さな建物が私のお社だった。

 もちろん、へどろまみれの私がそこに無理に入ろうとすれば、せっかくのお社がぼろぼろになるだろうことはわかった。故に、私はお社に入れない。

 それに、私をお社に縛りつけない理由はもう一つあった。

 御神体がないのだ。

 御神体というのが神様をそこに根づかせる最も大きな要因なのだが、この村の者は私という存在に対して、何を御神体にしたらいいかわからなかったらしい。少年に御神体は何がいいか、と訊かれたのだが、私もまともに取り合わなかったせいもあるだろう。

 御神体なんて人間が勝手に決めるものだ。例えば、剣だったり、鏡だったりが一番無難なところか。私は戦う神でもないし、飾り立てるような神でもないため、剣も鏡も似合わないだろう。

 そこが難関だったのだ。人間にもたらされた私の情報は「悪いものを食べる神」だということ。我ながら非常にぼんやりとした存在だと思う。それに対して、適当な御神体というのがこの村の無知さ加減ではどうにも上手く思い浮かばなかったらしい。「食べる」なのだから、台所とか、食材に関係するものとかでよかったんじゃないか、とも思ったが、口にしなかった。わざわざ私が自分を縛るような真似をする必要はないのだ。

 御神体がないことで、お社に縛られない私は、やはり村をふらふらと出歩くことができた。となると、土手にいる咲々にも会いにいける。それが一番嬉しかった。

 咲々は地縛霊である。地縛霊とは読んで字の如く、その地に縛られた霊である。つまり、地縛霊は縛られた場所からあまり動くことができないのだ。故に、咲々の方から私のお社に尋ねることはできない。

 咲々の祈りはもう昔から叶え続けているから、別に咲々はいいのだろうが、私は話し相手がいる方が断然いいのだ。

「そんなことを言って。神様がお社にいなかったら村の人が困るでしょうに」

「大丈夫ですよ。私がこの村の中にいれば、村の方々の祈りは聞こえますから」

「神様ってすごいんですねぇ」

「咲々、もっと褒めてもいいんだよ」

 そんな面白おかしい日々は長く続いた。

 簡潔に言うなら、お社を建てたというのに、ただの一人も、私に祈りを捧げることがなかったのだ。

 少年は父の悪い心を喰ってほしい、と来たが、それ以外、誰も私に祈りを捧げることはなかった。

 あんなに祀るといったくせに、やつらは私の存在を全く信じておらず、雨季になると、私にではなく、やはり天に祈ったのだ。


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