「は? 神? 何言ってんだ、化け物のくせに!」

 むむむ、ちょっと神様傷つく。

 確かに今の私は人間のような姿ではなく、黒くてどろどろしたへどろの塊みたいになっている。けれど、それは毎年毎年、咲々の祈りに応じて、川の水を食べていたからだ。人間は川の水をよく使う。それが汚染になっているとも知らず。だから私はへどろまみれにならなくちゃならなかったわけだ。

 それを化け物とはひどい言い様だ。神様怒る。……と言いたいところだが、彼は何も知らない様子。私が見えるということは、そこそこに清らかな目を持っているようだが、親が人殺しだ。どんな歪んだ育て方をされただろうか。

 それでも尚、私の姿が見えるということは、元々そういうことに向いた血筋だったのだろう。

「化け物とは失敬な。私は土地神です」

「嘘つけ! そんな身体中口ばっかりのやつを化け物と言わずして何というか」

 ……それも否定しがたい事実。

 私は自分の姿を見たことがないわけではない。そんな無知な神ではないのだ。ただし、水は濁り、神の姿を映すには適さないもの。他の光を返すものも人工物だから、なかなか私の姿を映さない。映さないが、全く映さないというわけではない。ちら、となら映るのだ。

 初めて見たときは私も自分の目を疑ったものだ。黒くてどろどろしたへどろの塊というだけでなく、私は──おそらく「食べる」神だからだろう──全身口まみれだったのだ。手足はなく、目、鼻、耳もないその姿は、化け物と言ってしまってもあながち間違いではないのかもしれない。

 ただ、それだけで神ではないと言われるのも、業腹が煮えるというものだ。

「いいですか。醜いというだけで神ではないというのは些か暴論です。古事記の神のお話はご存知ですか。木花咲也姫このはなさくやひめ岩永姫いわながひめのお話でもよろしい」

「知ってるけど……」

「岩永姫は醜女ですが、岩のように強く長く命をもたらす善き神として有名でございましょう? 醜いことが神ではないという根拠にはなりませんのよ」

「でも、岩永姫だって、人間の姿はしていた!」

 なんということだろう。あっという間に論破されてしまった。頭の回る男児に育ったようだ。……不安なのは、その頭のよさが父親のような狡猾な方向に向かなければ良いのだが。

「とにもかくにも、私は誰が何と言おうと、この土地に宿る神なのです」

「聞いたことないぞ」

 そうだろうとも、誰にも今まで見つけてもらえなかったのだ。初めて見つけてくれたのが咲々で、初めて見つけてくれた人間が目の前の男児である。

 今日見つけてもらうまで果たして何年かかったことか……

「涙なしには語れないくらい私は孤独だったんですからね」

「え、あぁ、そう」

 引かれた。

 しかし、まあ、ようやく見つけてもらえたことだし、ちゃんと話しておくべきだ。この子はまだ大丈夫そうだから、村の衆に伝えてくれそうだし。

 私は語る。

「ここ数年、全く水害に遭わないでしょう? 何故だと思います?」

「風鳴を人柱に立てたからだろう?」

「そんなことで水害が収まるなら、あちこちで人柱が大量発生していますよ」

「……そういうものなのか」

「そういうものなのです」

 大体人柱という文化を神様が受け入れているわけではない。人身御供というものがあるが神様が神様、全員それを受け入れるわけがない。まさか食べるわけでもなし。

 神様が水害に対処するのは、そういう祈りをたまたま聞き届けたからだ。それに神様が対処したってどうにもならないこともある。例えば、決壊寸前のところで雨を止めたって、川が決壊してしまうこともあり得る。

 そんな、天の神様まで行き届かないところをどうにかするのが土地神だ。私はなんでも食べればどうにかできるため、結構有能だと思うのだが。

「私が川の増水を食べていた──止めていたんです。もちろん、無償ではありませんよ?」

「神様なのに、代償が必要なの?」

「あなたたちだって、神様にお祈りするときは何か捧げるものでしょう? そんなものです」

 そこでふと、少年が眉を寄せる。

「誰かあんたに何か与えたか?」

「まさか。生きている人は私が見えないようですしね。私は生きている人からは何ももらえてませんよ」

「じゃあ、誰から……あ」

 気づいたようだ。

 楚々として静かだったが、ここには咲々がいる。咲々は人柱にされた人間だ。生きたまま、埋められた。生きたまま埋められて、無事でいる人間などそういない。

 つまり、咲々はもう幽霊で、生きている人間ではない。けれど、先に言った通り、神と幽霊は近いものがある。だから、幽霊になった咲々には私が見え、咲々は私にごはんをくれたのだ。

 それに咲々は少年に見えている。

 ここでようやく自分がさらっと異様であることに気づいたらしい少年が青ざめる。

「……俺、幽霊が見えるのか」

「人のこと散々化け物とか言っておきながら今更ですね。そうですよ。風鳴は幽霊です。それが私が神霊の類だという証明にはなりませんか?」

 少年はこくりと小さく頷き、唾を飲んだ。

「風鳴から、一体何をもらったんだ?」

 恐る恐るといった様子で問いが放たれる。私は間髪入れずに答えた。

「祈りです」

「……へ?」

 少年は拍子抜けしたようだった。祈りなんて、ここの民は毎日のように捧げている。それは、咲々を人柱にする前から。

 少年の表情に怒気が滲む。

「なんだよ、神様のくせに風鳴の願いは叶えて、他のみんなのは蔑ろか」

「違いますよ? 何を勘違いされているのですか。この村の皆様は天に祈られたのでしょう? だったらその祈りは天の神様のものです。たかが土地神ごときが横取りするなぞ烏滸がましい」

「え……」

「簡単にはっきり言いますと、あなたたちは祈りを捧げる先を間違えていたんですよ。まあ、そもそも私の存在を知らないのですから、私に祈れないのも当然ですが」

 少年は混乱したようだ。目が回っている。まあ、いきなり天だの神だの祈りだのの仕組みを話されたって、そう簡単に人間が解せるものではないのだ。

「まあ、理解はしなくてもいいですよ。今私にとって、最も大事なことは、あなたに『見えている』ことですから。こんな化け物みたいな姿でも、ね」

 少し混ぜっ返しながら私は答える。

「あなたが私の存在を村の方々に伝えてくだされば、私はようやく土地神として働けるようになります。やっとです」

 感慨のようなものが湧いてくる。そう、こんな姿になってまでも、私がこの村を守ってきたことも、ここでようやく意味を成すのです。今までどれだけ苦しかったことか。咲々が祈るまではこの村を害する水を食べることさえできなかったのですから、なんと心苦しかったことか。

「え、待って、なんで、風鳴が村のためなんかにあんたに祈ったんだ?」

 私を神と知りながら「あんた」呼ばわりとは、この少年、相当肝が据わっている。──というのはさておき。

 咲々のことを悪く言われるのはあまり心象がよろしくない。ここで汚名返上させておかなければ。

「風鳴は無実ですよ。あなたの母親を殺してなんかいません。風鳴が人殺しをした、というのは、どこからともなく生まれた、根も葉もない噂です。

 だから、風鳴は信じていました。誰かがこの無実を明かし、自分を助けに来てくれるのを。──誰も来ませんでしたが」

 村の空気は咲々贔屓の私としては好ましくない。厄介者がいなくなって清々した、みたいな。咲々は何の罪も犯していないし、他人に迷惑もかけない、人畜無害な子だと思うのだが、人間の「村八分」という文化はそこにいるだけで罪になるのだろうか。実際、幽霊の咲々を見ただけで少年は疎ましげにしていた。

 だからこそ、咲々が村を思っていたことに驚いたのだろう。因果応報という言葉があるくらいだ。咲々が自分たちを憎んでいるかもしれない、という恐れを抱いていてもおかしくない。それくらいなら、村八分という扱いをやめればいいのに。

 だが、それよりも少年には気になることがあるようだ。眉をひそめ、小さく小さく呟いた。

「風鳴が犯人じゃないとしたら……一体誰が、母ちゃんを殺したんだ……?」


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