アクジキジハンキの声に蓮はどきりとした。

 自分もあの黒いどろどろした塊の中に真っ赤な口で一飲みにされるのか、と想像して凍りついた。……が、予想に反してアクジキジハンキの悪夢空間に切り替わることはない。

 白黒にならない景色に首を傾げながら、アクジキジハンキを見つめていると、アクジキジハンキの女声がくすりと笑った気がした。

「あなたの悪縁をいただきました。これでしばらくは謂れのない罪に問われることはないでしょう」

 その声に、す、と蓮の中から安堵からか、力が抜けていく。

 悪縁。ここ最近、気にしていたことだ。佐伯、吉祥寺、茂木、佐伯夫人に佐伯氏。会いたくない人にばかり会うようになっていた。そういう縁で結ばれていたということだろう。

 そんな、目に見えないものまで「食べる」ことができるのか。アクジキジハンキは。今は特に何もしていなかったように思えるが。

「なんで……」

「それはまた機会があればお教えしましょう。私も都市伝説であるからにして『神出鬼没』の属性がついてしまったようです」

「ちょっと待って、聞きたいことが」

 蓮がそう叫んだときには、自販機はゆらりと消えた。まるで真夏の陽炎が見せていた幻であるかのように……


 都市伝説とはそもそも何か。

 蓮は家に帰ってから、制服に着替えつつ、考えた。制服に着替えるのは、学校に行くからだ。「都市伝説とは何か」という疑問に的確に答えられる人物がそこにいる。

 オカルト部である。オカルト部は現在部員が四名。部長の香久山、副部長の球磨川、書記の美濃、それから四月一日の四人である。オカルト部という名前の珍しさから入部希望者が殺到したようだが、上四人のオカルト精通ぶりと、確固としたオカルト観──オカルト観とは何ぞ、と説明していて思うが──に圧倒され(ドン引きしたともいう)、ついていけない、と退部した一年生全員に部長の香久山が嘆いていたのは今年の春のことである。あの騒動は伝説になった。あらゆる部活を差し置いて、オカルト部に一年生が殺到し、嵐のように入部した一年生が、疾風怒濤の勢いで一斉転部したという騒ぎである。蓮たち二年生の総数は少ないが、一年生は百人近くいるという田舎らしくない現象が起こっていたため、あの騒ぎはかなり大規模の話となった。

 美濃がオカルト好きであるのは、蓮は五年生のときに行った百物語で知った。大人しそうで控えめで、いじめられっ子なか弱い女の子、という印象があったから、当時は意外だと思ったものだ。四年も経てば、慣れるが。

 ……慣れって恐ろしい、と半袖ワイシャツのボタンを締めながら思った。大量の一年生がこぞって逃げ出したオカルト部の連中を我が学年──少なくとも、蓮や裕は慣れで見過ごしてしまっている。霊感持ちの五月七日や妹尾せのおはるかなどに至っては、百物語だろうが肝試しだろうがオカルト部主催となると完全に信頼しきっているようだった。五月七日に至っては去年、オカルト部に所属していたくらい。現在は新入生が設立した文芸部に所属しているらしい。

 何故文化部としてポピュラーな文芸部より異端きわまりないオカルト部が先に設立されていたのかは謎である。ちなみにオカルト部は去年香久山たちが設立したものだ。

 とまあ、そんなオカルト部ならば、都市伝説の何たるかは説明させたらばっちりだろう。裕は山川コンビなんかが霊を引き寄せようとすることには顔をしかめるが、きちんとした知識を持ち、正しい対処を身につけているということで、彼らの存在を容認している。

 つまり、ドン引きレベルではあるが、香久山たちオカルト部の知識は正しいことになる。

 何がどんなわけで、蓮が都市伝説とは何ぞやなどと気にするようになったかというと、アクジキジハンキが残した言葉にあった。


「私も都市伝説であるからにして『神出鬼没』の属性がついてしまったようです」


 裕の推測では、アクジキジハンキは元々、神様だった。だが、それが祟り神になりかけていたところを、球磨川が「都市伝説として」名付けを行ったことにより、完全に人を呪う祟り神にはならず、アクジキジハンキという都市伝説で留まったということだ。

 では、祟り神と都市伝説の違いとは何か。

 祟り神についてなら、蓮も少しは勉強していたので説明できる。人間に蔑ろに扱われるか、奉られなくなるかして、神としての力が穢れてしまったものが神でありたいと強くすがるあまり、手段を選ばなくなってしまったのが祟り神だ。手段を選ばない──つまり、自分を崇めてくれない人間を呪うことだって、簡単にしてしまう。しかも元々は神様だったのだから、当然のように強い。故に厄介だと言われている。

 だが、比べて都市伝説とはどういうものなのだろうか、と考えたとき、蓮は、よく考えると都市伝説とは何たるかを知らないことに気づいた。

 有名な都市伝説なら、メリーさんの電話や口裂け女なんかは知っている。だが、都市伝説とは多種多様で、何故そういう括りになっているのかわからないからだ。

 オカルト部ならもっと色んな都市伝説を知っているだろうし、都市伝説の定義も知っているはずだ。

 蓮は着替えると、暑い日射しの中に出ていった。アクジキジハンキで買ったドラゴンフルーツジュースを携えて。


 図書室に行くと、クーラーが効いていて、ここは天国か、と思う。真夏の日射しは容赦なかったため、尚のことだ。例の坂を一応通ってきてみたが、自販機はなかった。彼の自販機が自称していた通り、神出鬼没ということなのだろう。でなければ、初めて見るという人は少ないはずだ。

「あれ? 蓮くんじゃん。どうしたの?」

 相変わらず髪が跳ねている美濃が声をかけてくる。

「あの、実は話が」

 蓮が言いかけたところで横合いから出てきた影が蓮の両手を取る。

「とうとうオカルト部に入る決心をつけてくれたんだね!? そうなんだろう? そうなんだろう? 八月一日くん!」

「わ、四月一日くん……」

 興奮気味の眼鏡の少年、四月一日維が蓮に迫る。蓮、五月七日、四月一日はクラスでは「日付三人衆」と呼ばれている。蓮や五月七日はそれほどでもないのだが、「山川コンビ」に憧れているのか、四月一日はやたら他二人のことを気にしている。五月七日と一緒に蓮がオカルト部の創設に誘われたことはまだ記憶に新しい。

 蓮は四月一日の熱烈なコールに辟易しながら、苦笑いで蓮が目的を口にする。

「いや、違うんだけど……あの、都市伝説について教えてほしいというか」

「やっぱりオカルトの世界に興味を持ってくれたんだね!」

「いやだから違」

「オカルトのことならなんでも聞いてくれたまえ! 香久山くんや球磨川くんほどじゃないけれど、ある程度までなら教えられるよ!」

 そうではない。

 興奮気味の四月一日を呆れながら引き離し、美濃に視線を向ける。オカルト部の中では現在、一番まともと思われる。

 美濃がほんわりと笑って、近くの閲覧席に導いてくれた。

「それで、蓮くん、都市伝説について教えてほしいって? アクジキジハンキのこと?」

「それもあるけど……都市伝説全般のことを聞きたいんだ」

 アクジキジハンキの名前が出たことで、知識がないためしょぼんとなってしまった四月一日を置き去りに二人は会話を進めていく。

「都市伝説全般っていうと?」

「都市伝説の定義っていうか」

「ふむふむ」

 そこでちらりと美濃が四月一日に目を向ける。すると、四月一日が水を得た魚のように目の輝きを取り戻す。

 さりげなく、できる説明を四月一日に渡すことでしょぼくれた四月一日の気分を戻させた、というわけだ。美濃は普段別クラスであるため交流が少ないが気の回る女の子だなぁ、と思う。

 さて、水を得た魚の説明は次の通りである。

「都市伝説とはまあ、最初はなんでもないような街から出たぽっと出の怪談話みたいなもんだね。最初はただの怪談だったけれど、だんだん各地に広まって有名になることで『都市伝説』と名実共になるわけだ。

 また、都市伝説には他にも『その地域特有』という意味で『都市伝説』ということですを使う場合がある。っていうところかな」

「なるほど……」

 アクジキジハンキは後者だろう。球磨川や香久山はネットを使って都市伝説を調べたり、広めたりしているから、もしかしたら、アクジキジハンキは前者になる可能性があるかもしれない。

「都市伝説はね、なかなか姿を現さないっていうのが特徴。一回きりっていうのの怖さがあるのが特徴。まあ、アクジキジハンキは例外っぽいけどね」

「例外もあるんだ」

「まあね。都市伝説にも二種類あるって言っただろう? 『都市』に定着しているもの、という考え方もあるんだ。だから、例えばそうだなぁ、『手押し車のおばあさん』と似たようなところがあるかな」

 確かに、手押し車のおばあさんという都市伝説なら知っている。この辺りでは有名な話だ。よく出て交通事故の原因になっている。

 なるほど、出現頻度という点において、前者と後者ではあからさまに違う。

「だけどね、都市の伝説だって、出現頻度に制限が出るんだ」

「だろうね。そうじゃなかったらあの交差点は毎日事故だらけだ」

 出現頻度の制限……それがアクジキジハンキの言っていた楽じゃない、ということか。

 神様なら、御神体がそこにあれば、ずっとそこにいるのと同じであると考えられている。だが、都市伝説は違う。神出鬼没であってこその都市伝説、というわけだ。

「にしても、急に都市伝説に興味を持つなんて、どうしたの? 蓮くん」

 美濃の疑問に、まあ隠すことでもないか、と夏休みの自由研究でアクジキジハンキを調べることにしたことを語った。ここ数日、立て続けに起こったことも含めて。

「うわあ、災難だったね」

「でも、悪女三人衆が撃退された、というのも胸の透く話ではあるけれど」

 佐伯、吉祥寺、茂木はいじめっ子であるため、あまり好ましく思われていないのは確かだ。

 そこでふと、美濃が呟いた。

「今年の百物語はどうなるのかしら……」


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