第2話 女神メリザンディア


―――エンデバルド王国において、ただ一柱の神として崇められる女神、メリザンディア。


かの女神は、竜と人との間に生まれ、絶大な魔力をその身に有していたという。


従える竜は紅蓮の炎を吐き出し、その咆哮は海を、大地を揺るがすほどだったと。


今、王宮の頭上では一匹の巨大な竜が空を舞い、主人である『女神』の呼び掛けに応えている。


「あ、あれは……っまさか!? 竜は滅びたはずだ!」


王太子イーサンが驚愕に目を見開き、唾を飛ばしながら叫んだ。


そう。


メリザンドの炎の魔力により撃ち抜かれた王宮には、月の光が燦然と降り注いでいる。

そこに黒い影を落とすのは、紅の竜の巨体。


「なんと巨大な……!」


「恐ろしい……!」


生まれて初めて見る竜の姿に、人々は恐れ慄いた。みな、食い入るように空を見上げ、ある者はがたがたと震えだし、ある者はあまりの巨大さに圧倒され、立ち尽くした。


広げた両翼は王宮全体よりも遥かに大きく、雲すら届きそうな上空にいてもなお、その勇壮たる姿は地上から目視で確認できるほど。


太古の昔に滅びたはずの幻の竜の姿に、王太子イーサンやその恋人、兵士、来賓達の誰もが息を呑んでいた。


「王太子イーサン。貴様、この私がお前などの心を求めたと、そのような戯言を申していたな?」


怒りではない。憐憫に満ちた声が、場に響き渡る。


メリザンドはすうと瞳を細めて、炎の結界の中からイーサン達を見据えていた。


「メ、メリザンド……ひっ」


「何……なの、アレ」


イーサンはメリザンドの瞳を見た瞬間、喉奥で短い悲鳴を上げた。


その理由は、彼女の真紅の瞳の片方が、普段とは様相を変え爛々とした輝きを放っていたからだ。


メリザンドの左目は紅い燐光を放ち、顔の右半分は元の本人であるのに対して、もう左半分はどう見ても違う人間、いや違う『存在』に変わっていた。


口調もだが、発する気配が、通常の人間が持つものとは明らかに異質なのである。


イーサンの恋人フローナは突如変貌した恋敵の姿をじっと猫のように目を細めて見つめている。


フローナにとってこの場は己が勝利の独壇場であるはずだった。

なのに、これは一体どうしたことだと、内心固唾を飲んでいたのだ。


―――メリザンドが口を開く。


「竜族の血を引くデラクロワ家と、エンデルバルド王家との契約が成されてより千年―――いずれこのような日も来ようと予見してはいたが。まさかここまで、虚仮にしてくれるとは」


「ど、どういう意味だ!?」


イーサンが怒鳴るように聞き返した。彼の顔は険しい。もしや自分はとんでもないことをしてしまったのかと、じわりとした不安が湧き出し始めていた。


そんな彼を、メリザンドはふ、と鼻で笑い飛ばした。


「己が国家の歴史にすら無知とは愚か者め。なにゆえ百年に一度、デラクロワから王妃を迎えていたと思うのだ。それらはみな竜の血を持つ娘。つまり我が娘にして依代」


燃え盛る炎に混じり『メリザンド』の声が通る。


今の彼女はメリザンドであり、そして【女神メリザンディア】であった。


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