第52話 イタリアGP対策(1)

 1934年(元化9年)7月18日。

 ロストク市郊外、ハインケル航空機に借りたオフィスにて。

「表彰台に届かなかった原因、残り2kmで寒剤が尽きた原因と責任はもちろんこの能村晃彦にある」

「そりゃそうや。寒剤タンクの検図で見落としをやったのは俺やけどな」

 柿崎が応じる。

「さらに言うと、操縦者は『ゴールラインで写真判定で3位になるためのペース配分』に失敗して寒剤を使い切りました。あと少しだけ遅く走れば3位でした」

 叶が続ける。

 柿崎も叶も、能村をかばう意図は全くない。

 ただ、いささか芝居がかったやりとりになっている。

 GPチーム内では責任の追及など行わず原因究明と対策しか行わなくなって久しいが、入佐が率いている若手技師たちが傍聴しているとあってはそうも行かない。


「さて。根本的には?」

 傍聴者ではあるが、入佐は訊ねてみた。

「エンジンマウントに使っているのと同じ、軟化剤……松ヤニを含まないゴムを使ってストラットを組み直すことですね。あれなら常温から100度近くまで硬さも減衰率もほぼ変化しません」

 能村が即答し、首を振った。

「もちろん、軟化剤抜きのゴムをあのストラットに組み込んでいるような薄肉小直径リングにすることは無理やな」

 柿崎が応じる。

「軟化剤抜きのゴムは脆いからな。ゴム成型の専門会社が試作を繰り返してなんとか意図した形状に作るものだ。我々のようにコースに合わせてその都度、ゴム板から切り抜いて積層する方法は成立しない」

 能村の答えも若手に聞かせる意図がある。事前に入佐が要望したことだ。

 エンジンマウントに用いている耐高温ゴムクッションの形状を決めるまでに何回、ブリヂストン社との間で試作品をやりとりしたかは入佐も千里浜試験で見聞きしている。

 しかし若手の大半は報告書を読むと言う形でしか知らない。

 それがどれほどの試作と実験を要するかを改めて若手に教える……ことは、入佐の目的ではない。


「では例によって取り繕うだけの策だが、どうする?」

 再び入佐が問う。

 若手たちに聞かせたいことはこれなのだ。

「基本方針たる『衝撃の徹底的な緩和による軽量化』そして『衝撃緩和要素それ自体の軽量化』これは放棄しません」

 能村が即答する。

 もちろん94RCのサスペンションは乗用車のそれより遥かに硬く上下動作量も小さいが、滑らかに動く。

 過熱して減衰性能を喪失した場合であっても固着しない。


「衝撃緩和を改良すれば、車両は基本的に軽くなりかつ長持ちする」

 この基本方針は乗用車にも共通する。

 だからこそ空気入りタイヤを発明したダンロップ兄弟は偉大なのだ。

 能村がいささか極端にこの原理を利用していることの説明も容易だった。

「初期段階ではキャディラック用のサスペンションを模倣するところから始めた」で若手は全員、呆れつつ納得した。


 しかしそれも、入佐が先日のレース見学やこの討議傍聴から若手に学んで欲しい本質ではない。


「有効寒剤搭載量の増大で対応します。ロストクまでの復路で、2案考えました。本命はこれから、柿崎がロストク港を見学してきます」

 能村が答えると若手たちは怪訝な顔を示した。

「日本を発つ前に超特急『燕』号の展望車を見学するとか、船旅の間に貨客船の冷房装置を見学しとけば良かったんやけどな」

 柿崎が付け足した言葉に若手の何名かは納得をいったん示し、そしてもの言いたげな表情を浮かべた。

「より抜本的には欧州のレース場の舗装についての情報収集不足だな。本来なら千里浜試験の段階で解決できていたことだ」

 入佐が付けくわえる。

「だからこそ、欧州仕様の乗用車開発に際して若い諸君を連れてきた。自動車の運用環境を知ってこそ信頼性のある設計が出来る。その設計に寄与する実験が出来る。能村博士が見落としたのは『サスペンションが実際のコースでどれだけ発熱するか』の基礎把握だ。だからこそ、柿崎技師が客船の冷房装置を見学するわけだ」

 その言葉に若手たちは一応は納得した様子だった。

 柿崎が何を見学してくるつもりなのかは若手の間で理解が共有された様子で、囁きとメモが交わされた。

「スチームエジェクターで空気抜き」「低圧で水を気化させる」と言った言葉が聞こえる。


「ちと違う。ボイラーは載せん。排気ガスで直接、寒剤タンク内部の蒸気を引き抜いて低圧にする。さて、質問がありそうやな」

 若手の一人が手を揚げた。

「低圧タンクと配管には空気圧に押しつぶされないだけの強度が要ります。氷水タンクを大型化するのに比べて重くなるのでは?」

「良い質問やな。さて0度の氷が融解し0度の水になるときに周りから奪う融解熱は?」

「キログラムあたり約334キロジュールです」

 若者が即答した。

「では20度の水が揮発して20度の水蒸気になるときに周りから奪う気化熱は?」

「キログラムあたり……おおよそ2450キロジュール……」

 これも即答だったが、若者の表情には当惑が見えた。

「正確には2461キロジュール。同じ重量の氷水を使うよりも7倍の熱を処理できる」

「それは判ります。しかし、20度で水を沸騰させるには0.1気圧まで減圧しないとなりません」

「つまり容器の内外圧力差は0.9気圧にもなり、これに耐える強度を与えるにはかなりの重量が要る。また、0.1気圧まで引くエジェクターを排気ガス圧力で駆動できるか、そういう疑問やな?」


 検討会はごく自然に柿崎と若手たちの討議に流れたが、能村はそれを制止しない。


 入佐は能村と顔を見合わせて笑みを浮かべ、軽く頭を下げた。

 限られた資料から暫定解を素早く出し、超短納期で開発を行う実例を今、柿崎が示している。


 これこそが入佐が実験課長として、若手に教えたかったことだ。

 実験技術者としての経験を踏まえ、そして昨年の千里浜試験で気づいたことでもある。


 設備の整った研究所に腰を据えて実験し、十分な資料を設計課に提供する人間は欠かせない。

 そのような人材を育てるには目黒の本社で松尾部長の下で実務を学ばせれば十分で、遠くヨーロッパまで連れて来る必要はない。

 しかし、限られた日程で暫定解による実験を行う人材も要るのだ。

 

 それはニュルブルクリンクのピット裏で告げたことでもある。

 実験課員に限らない。

 設計課員も場合によってはいくつかの物理法則と理科年表、手計算だけを頼りに暫定設計が出来なくてはならないとは松尾設計部長兼設計課長の言葉でもある。

 94RCの設計改良そのものをどれだけ学んでも、乗用車開発に応用できることなど何もない。

 乗用車とレーシングマシンはそれほどまでにかけ離れた存在だ。しかし得られるものはある。

 限られた資料と工数での超短納期開発の経験から得られる、技術者としての能力そのものだ。

 この価値は設計と実験を問わない。


                  *


 この数十年後、この時の若手の数名は「2ストロークエンジン」かつ「125ccの2ストロークレース用バイクの開発経験」を活かして「4ストロークエンジン」かつ「北米市場向け900cc市販バイクカワサキ900 Super4 Z1」を短納期開発し、同時並行でその日本国内市場向け750cc仕様カワサキ750RS Z2をも開発する指揮を執り、成功する。

 バイクであると言うこと以外に共通点を探すのが難しいほどにかけ離れた存在から何を得るのか。

「技術者としてレースを経験することで得られる技術とは何か」を、この時の若手の数名は後に川崎重工業の二輪部門の設計主務者や管理者となってから「さらに次の世代に」伝える。

 隠居暮らししていた入佐はそれを知り大いに喜ぶことになる。

 しかしそれは、遥かに先のことである。


                  *


 94RCのカキザキエンジンは4気筒であり、4本の排気管を備えている。

 しかし機尾に顔を覗かせるメガホン型の排気管は2本で、つまり2-1型の集合排気管を2組備えている。

 能村はさらに軽くするために4-1型を要望したのだが、2-1型を2組とした方が燃費が良く燃料搭載量を減らす効果の方が大きかった。

 その方針を覆すことなしにエジェクターの追加がなされた。


 国鉄の超特急「燕」号の展望車や、客船の冷房装置であればボイラーから分けた蒸気をノズルとベンチュリ管の組み合わせすなわちエジェクターに送り、これを用いて空気あるいは蒸気を吸い出す機構がある。

 これによって負圧タンク内部では低温で水が沸騰して熱を周囲から奪う。発生した蒸気は片端からエジェクターによって吸い出される。

 負圧タンク内部に残った水は氷結寸前まで温度が下がる。

 この低温水が客室に分配され、配管先の熱交換器で室内空気を冷やす。これによって客船は真夏のシンガポールを航行するときでも客室を快適な室温に保つ。

 超特急「燕」号の展望車は列車を牽引する蒸気機関車から引かれた蒸気を用いて同じ原理の小さな装置を動かす。

 この秋から満州鉄道が走らせる予定の豪華列車「あじあ」号はなんと全ての客車にこの装置を備えると発表されている。

 もちろんエジェクターのバルブを切り替えれば負圧タンクに蒸気が入り、冷房から暖房に切り替わる。

 が、94RCに柿崎が追加したものはそのような本格的なものではなかった。切換え弁はもちろん、圧力安定化弁さえ省いた。


 集合排気管の開口部に隙間を空けてベンチュリ管を被せてエジェクターとし、このエジェクターから寒剤タンクに繋いだ管を介して寒剤タンク内の圧力を下げる。

 排気ガスの勢いは走行状況によって激しく変動し、この簡易エジェクターの効きも寒剤タンク内圧も温度も変動する。


 しかし、寒剤タンク内部に残る低温水はもちろんサスペンションとの間で循環するクーラントにも大きな「熱の容量と慣性」がある。

 サスペンションの温度を一定範囲に保つ見込みはある。氷水タンクよりずっと製作に手間が掛かるが、8月末までに試験を終えれば良い。

 柿崎は若者との質疑で仮の値として「20度」「0.1気圧」を示したが、そこまでの低圧低温までは引かないし引く必要もない。

 もちろん、エジェクターは魔法の道具ではない。「寒剤タンクから蒸気を吸い出す」には結局はエネルギーを使う。

 そのエネルギーはこれまで捨てていた排気ガスのエネルギーに過ぎないから問題ないかに思えるがこれは錯覚に過ぎない。


 実験走行してみると低回転での立ち上がり加速は向上したが、高回転での伸びは明らかに低下した。

 排気抵抗が増大し最高出力が下がると言う形でエジェクターが悪影響を与えている。


 ともあれ、マリーエンエーエ飛行場でのテスト走行では動いた。第2案「大容量の氷水タンク」は一応は作ったが、持って行くだけで済みそうである。


 最高出力を低下させる設計変更に踏み切れた最大の理由は、ドイツグランプリから引き上げる際にイタリアグランプリのコース設定がAIACR委員から示されたことにある。


 イタリアグランプリの開催地モンツァは欧州でも有数の高速コースではある。

 しかし前年1933年に4人のドライバーが相次いで死亡する惨事--幸いにして観客は死傷しなかった--を踏まえて、AIACRはこの年のグランエプルーヴにおいてはシケイン強制減速障害を複数設けるように勧告していた。

 そしてイタリア王立自動車クラブはAIACRの要望に極端な形で答えた。

 今年のイタリアグランプリに用いる、敷地内の連絡路まで用いて設定した極端なまでの低速のコース図が配布されている。

 モンツァ・サーキットは長さ1kmを超える直線を4本も持つが、そのいずれも途中までしか使わず折り返しあるいは連絡路へと直角に曲がると言う大胆なまでの図は「どう作戦を立てれば表彰台に届いたか」などと言うツクバGPチームの重い雰囲気を吹き飛ばすものでもあった。

 推測される平均速力は、1922年にモンツァが開場したときの、最初のレースよりも低い。

 そして制動性能と旋回性能に勝ることの利点が極めて大きい。

 曲がりくねったニュルブルクリンク北コースよりもさらにその利点が大きいことは確実だった。


 ただし、技術上の対策でしかない。

 チーム性能、わけても監督の能力をいかに補うかは当日まで分析と検討を重ねてもなお足りない可能性がある。

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……よし。

今度こそ!

「カクヨム」やweb上のいかなる架空戦記にも見かけない、退屈なエピソードになったはず!(ドヤ顔)


「松ヤニを含まない加硫天然ゴムは常温から100度近くまで硬さと減衰率がほぼ変動しない」がいつごろから知られていたのかは、実は作者は突き止めていません。


 ただ、この時代の自動車や飛行機のエンジンマウントを見ると「それを知っていないと難しい設計」(作者の設計力では無理な水準)があるので「1930年代には知られていた」ことにしています。


 なお。我々の歴史での超特急「燕」号の冷房装置は車軸から動力を得てポンプを回すものだった説もあります。

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