都市から離れて
今日も憂鬱な気持ちを抱えて、私は電車に揺られている。
毎日の通勤電車。
もう慣れたものではあるけれど、気分の良いものではない。
ぎゅうぎゅうに人は隙間を見つけて、次から次へと乗り込み、人の熱気に包まれながらまた次の駅へ向かう。
一時間ほど揺られて、会社最寄りの駅で降りる。
ここから、また私の退屈な日常が始まるのだ。
うんざりした気持ちで、私は会社に向かって行った。
そして次の日。
私は、会社に向かう電車を待っていた。
行き先表示を見る時、いつも思う。
これは一体どこなのだろう。
終点は、一体どういう場所なのだろう。
いつもは、それだけを思い、少し夢想しながら電車に乗って、目的の駅までの時間を過ごすのだが、今日はいつもと違っていた。
それを考えると、どうしても知りたくなってしまったのだ。
電車が目の前に来ると、乗るのはいつものこと。
だが、ただぼんやり考えるのではなく、頭の中は終点のことしか考えられなくなっていた。
そうしていると、会社の最寄りの駅は過ぎ去っていた。
不思議と、罪悪感はなかった。
私は今、これをしなければいけないと、何故だかその時は思っていたのだ。
そして、これから起こることへの期待で、胸は躍っていた。
そこから先は、見たことのない景色だった。
いつも乗っている路線なのに、知らない景色がある。
それだけでも、私に新鮮な驚きが与えられた。
だが、まだ知っている場所から少し離れただけなので、親しみのある景色だった。
建物が多く並び、人の動きがわかる。
車内もまだ多くの人が乗っていた。
しかし、次の大きなターミナル駅を過ぎると、多くの人が降りていった。
一気に車内は空いて、席が空いた。
それでも、席の端は座られていたので、大きく空いたロングシートの中央に腰を落ち着けた。
この電車に座って乗れる日が来るなど、考えたことがなかった。
建物の影が、だんだんと少なくなってくる。
電車からも仰ぎ見れないほどの高さのビルがなくなり、畑や木が多く見えてくるようになってきた。
遠くに、山も見える。
※ 普段生活している時は、こんなに山を意識したことなどなかった。
建物がない景色とは、こういう風になるのかと、新たな発見だった。
山が近づいてくると、トンネルが多くなった。
そうすると、景色が見えなくなるので、途端に退屈になってきた。
何だか気が抜けてきて、眠くなってきた。
朝も得意な方ではなく、いつもしんどい思いをしながらベッドから這い出して会社に向かっていた。
何もなければ、眠くもなるだろう。
どうせ終電まで行くつもりだし、このまま寝入っても大丈夫だろう。
気が抜けた私は、そのまま意識を落とした。
「終点ですよ!」
そう呼ばれて、私は跳ね起きた。
「す、すみません!」
慌てて電車から降りる。
すると、電車のドアが閉まった。
近くにあった駅名の看板を見ると、いつもは行き先表示でしか見たことのない終点の駅名だった。
本当に来てしまったのだ。
辺りを見渡しながら、そう私は実感していた。
全く見覚えのない景色。
一体ここには何があるのか、さっぱりわからない。
とりあえず、朝の通勤電車で来たから、まだまだ時間はある。
もう今日はここまで来てしまったから、今更会社に行く気もないし、今日は一日フリーだ。
今日という日を、めいっぱい有意義に使おうじゃないか。
改札通って、外に出た。
交通ICが使える駅でよかった。
現金はあったが、何が起こるかわからないから、極力使いたくなかった。
会社に通勤するつもりだけで来ているから、いつも財布に入れている分しかないのだ。
さて、駅を出たはいいが、周りには特にめぼしいものが見えず、さっそくどこに行こうか迷ってしまう。
何やら地図ののった案内図が見えたので、そこに近づいた。
これから昼が近づいてくるから、ご飯が食べられるところを探してもいいが、土産ものや特産品が見れる店も見たい。
そもそもここは、何が有名なのだろう。
それを知るためにも、店を見る方が良いかもしれない。
駅なら、観光案内所とかがないかとも思ったが、ここは駅に案内所がある場所ではなさそうだ。
とりあえず、駅の近くに店が見えたので、そこに入ってみることにした。
「こんにちはー」
普段は店に入る時に挨拶などしないが、こういう場ではつい入る時に声をかけてしまう。
「いらっしゃいませ」
店の奥から、穏やかな顔つきの笑い皺が似合う女性が姿を現した。
「すみません、観光で来たんですけど、お店を見せてください」
「えぇ、ご自由にどうぞ。何かあれば遠慮なく申し付けてください」
女性は言って、奥の椅子にゆったりと座った。
こういう雰囲気は、とても好きで、落ち着いた気持ちで店を眺めることができた。
まずは、食べ物を見てみる。
四角い箱が色とりどりの包装紙で包まれたお菓子が、まず目についた。
みかんが使われた小さなケーキが詰め込まれた菓子だ。
他にも、みかんを使われた菓子が積み上げられていた。
ここはみかんが名産のようだ。
まだ見てみよう。
他にはお茶、魚が使われた惣菜があった。
そういえば、ここは海が近かった。
海産物がおいしいかもしれない。
だいたいわかった。
めぼしい菓子と、常温で持ち運べるつまみにできそうな魚の惣菜を手に取ると、女性の所へ行った。
「これをお願いします」
「はい、ありがとうございます」
女性は笑顔で商品を受け取り、会計をして包んで渡してくれた。
手土産はこれで大丈夫だ。
そろそろ腹が減ってきた。
食べるところを探してみよう。
「すみません、この辺りで食事ができる場所はありますか?」
商品を受け取りながら、私は女性に聞いた。
「あぁ、私のおすすめは、この道を行って坂道を上った先にある定食屋さんをおすすめします」
「何のメニューをよく食べてますか?」
「迷ったら、日替わりでいいと思いますよ」
「ありがとうございます」
私はそう言って、店を後にした。
そして、言われた通りに坂の上を目指して歩き出した。
坂を上り切ると、民家や商店を抜けた先に定食屋が見えた。
途中甘味処もあったので、そこも気になったりしたが、まずは腹ごしらえだ。
「こんにちはー」
定食屋ののれんをよけながら、ドアを開けた。
「いらっしゃいませ」
奥から応える声がした。
「こちらの席どうぞー」
案内されたのは二人で向かい合えるサイズのテーブルだった。
「メニューはこちらです。決まりましたら、お呼びくださいー」
そう言うと、店員さんは忙しなく離れていった。
客はまだいなさそうだが、開店したばかりなのかもしれない。
厨房はあちこちから湯気が見え、忙しそうに手を動かしている調理担当の人の姿が見えた。
さて、何を食べようか。
私はさっそくメニュー表を開いた。
この見知らぬ土地で、見知らぬ店のメニュー表を開く瞬間がたまらない。
そして、開いてどれもおいしそうに見えると、ワクワクが止まらない。
どれにしようか。悩む時間がとても楽しい。
結局、おすすめの日替わり定食にしてみた。
店内の黒板に、今日の内容が書かれていたので、とてもありがたかった。
魚が特産らしいことは土産屋で知っていたので、魚がメインなのも決め手だった。
店員に呼び掛けて注文をし、注文を待つ。
この待っている間も、期待感が高まってとても好きな時間だ。
程なくして、注文した料理が運ばれてきた。
湯気をたたえた皿たちが、盆ごと目の前に置かれた。
期待以上の見た目に、私の喜びは最高潮になった。
魚そのものを生かした、美しい色をした焼き魚。
副菜には、漬物と山菜のおひたしがあった。
みそ汁の具材は何だろう。
手に取って一口含むと、覚えのある味だった。
魚のアラから出汁が、よく出ていた。
出汁というのは、なぜこうも体に染みわたる感じがするのだろう。
それがとても心地良く、気づいたら飲み干していた。
箸が止まらず、目の前の料理がどんどん胃袋へ消えていく。
ゆっくり味わって食べようと思っていたはずなのに、案外空腹だったのか、すぐにぺろりと平らげてしまった。
店の人には、気持ち良い食べっぷりだねと言われたほどだった。
会計を済ませ、店を出ると、さてどうしたものかと悩んだ。
この周りは商店ばかりのようだし、店の人に聞いてみても、ここは名産品を食べて宿でのんびりするのが良いよと言われた。
さすがに日帰りで帰りたいなとは思っていた。
会社を急遽休んでしまったが、どうなっているのか気になるし、仕事を辞めるつもりもまだない。
もう少し何とか、自分の日常にすがっていたさはまだあった。
今日は、ただ気分を変えたかっただけなのだ。
気分はだいぶ変わったし、帰っても良いように思ったが、もう少し非日常に味わいたいのもあった。
坂の上へ行ってみることにした。
歩いていると、看板が見えてきた。
●●神社。
神社の名前が書かれていた。
看板は薄汚れていたが、字は霞まずしっかり書かれているので、きちんと管理はされていそうだ。
それ以外は、特に何も見当たらなかった。
その土地由来の神様なら、挨拶でもしておくかと思い、私は看板の示す先へ歩き出した。
私は、妙なところ信心深いところがあった。
家族がわりと、そういうのを大事にしていたからかもしれない。
そして、昔から見えないものに興味を持つ性質でもあった。
歩いていると、石造りの階段が見えてきた。
登った先に鳥居が見えた。
本当に神社のようだ。
厳かな雰囲気のする場所に、さらに興味を惹かれて階段に足をかけた。
石段を登り切ると、目の前には年季のはいった木造の建物が見えた。
木は黒く色づいているが、手入れはされているようで、荒れている様子はない。
人気が全くないのが少し不安になったが、名の知れていない小さい神社とはそういうものだろうと奥に進んだ。
看板が見えたので、目をやる。
この神社の由来が書かれていた。
ここは、縁切の神様がいる神社らしい。
「縁切りかぁ……」
何となく物騒な言葉に、少し気が引けた。
こういうのは、下手に関わると良くない。
そういう話も、聞いたことはある。
だが、私の足はそこから帰ることができずにいた。
とてつもなく、その神社に惹かれていたのだ。
「せっかく来たし、お参りをしていこうか……」
そんな気軽な気持ちでは決してなかったが、誰にともなく言い訳するように口から言葉が出た。
鳥居をくぐり、社へ向かっていく。
特に参拝の方法がどこかに書かれているわけでもなかったので、いつも自分がしているやり方でやった。
この時に、何を思ったのか、つい願い事をしてしまった。
――時間に余裕のある生活ができますように。
普段なら挨拶などで無難にすませるのに、なぜこの時だけそのようなことをしたのか。
後になって考えてもよくわからなかった。
そうして、祈りから顔を上げ、本殿から降りる。
あとは周りをを見ても、お守りなどが売っているわけでもなく、人の気配がまるで感じられなかった。
急に薄気味悪くなってきたので、さっさとその場を離れることにした。
坂から降りてくると、空が陰ってきていた。
急に不安に感じたのは、この翳りのせいだったのかもしれない。
妙に辺りが静かになり、さわりと生ぬるい風が弱く吹き始めた。
嫌な予感が強くなる。
早くこの場から離れようと、坂を速足で降りた。
駅にたどりつくと、先ほどと変わらないそれがあった。
ほっと安心して、駅前にある大きな時計を見上げた。
夕方とも昼とも言えない時間。
しかし、ここまで来るのに何時間もかかったから、帰れば暗くなり、夕食にちょうど良い時間になるだろう。
そろそろ非日常から日常に戻るとしようか。
そう思い、駅に向かおうとしたその時だった。
――ブォンブォン! ブォンブォン!
あの緊張感を誘発する緊急地震速報の音が、携帯から鳴り響いた。
そして次の瞬間。
――ドォ…………ン。
遠くで地鳴りのような音がしたと思うと、わずかに地面からの揺れを感じた。
驚いて、足を止めて辺りを窺う。
わずかな揺れに、建物などがかすかにカタカタと音をたてて揺れた。
しばらくそれが続いたかと思うと、やがてやんだ。
周りは、また先ほどまでと同じように動き出した。
少し揺れたし、電車は遅れるかな。
揺れもやみ、だんだん冷静になってきた。
心配になってきたので、早々に帰ろうかと考えた。
とりあえずのクセで、携帯を開く。
すると、ニュースの通知がきていた。
【●●●で、マグニチュード9.0 震源は――】
その通知を、私は凝視したまま動けなくなった。
それは、私が今日乗り過ごした職場のある場所だった。
こんな大きい地震なら、近くにある私の家もきっと無事じゃない。
詳しい震度とか、被害状況とかを見たかったが、もう手が震えて持っていたスマートホンをまともに操作できなかった。
土産屋で、非日常の名残でもと自分用の土産を買おうと思っていたが、そんな場合ではなかった。
足をもつれさせながら、駅に向かう。
予想どおり、電車は全部止まっていた。
――ただ今、●●●での地震のため、電車の運転を見合わせております。ご不便をおかけいたします……。
その後もアナウンスは鳴り響いていたが、頭に入ってこなかった。
家は、仕事場はどうなっているのか。
そもそも、ここからどうやって帰れば良いのか。
乗客の誰もいない駅で、私は途方に暮れていた。
どうしてよりにもよって、今日ここで……。
もう考えることもできず、今ここにいることを後悔し始めた私は、ふとあることを思い出した。
少し前に立ち寄った縁切神社。そこで願ったことを。
――時間に余裕のある生活ができますように。
確かに私はそう願った。
願った。願ったが、まさかそれが叶ったというのだろうか? こんなにすぐ?
それにしたって、叶え方というものがあるだろう!!
頭を抱えてうずくまりたくなった。
だが、かろうじて理性でこらえた。
そういえば、聞いたことがある。
縁切りには、周りや自分自身を不幸にしてでも縁を切らせる強烈なタイプのものがあると。
あの神社が、そういう類のものだったのだろうか。
やはり、妙なものに手を出さなければ良かった……。
再び私は、後悔の渦の中に、しばらく立ち尽くしていた。
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