浪漫(たから)を求める冒険へ~トレジャー・ナイト

読み方は自由

冥王(ハデス)の王笏(おうしゃく)

プロローグ:冥王録

第1話 恩師の裏切り

 迷いは、不安の源。不安は、恐怖の源。それらが彼の学んだ事で、これから成す事の本質だった。人の命を奪う事で、今の国家に平和をもたらす。そんな手段で得られた平和は本当の平和ではないが、それが唯一無二の国策である以上、その本質を否む事は出来なかった。


 。国の決まりでは決して許されないが、彼を含めた兵士達が王室の前に辿り着いてしまった以上、その宿命からはどうしても逃げられなかった。彼は王室の前に立って、その扉をじっと見つづけた。「う、うううっ」


 兵士達は、彼の顔に目をやった。気持ちの上では「殺したい」と思っても、彼の下知がなければ動けない。彼等を束ねる将軍の目があっても、それが無ければ決して動けなかった。彼等は扉の左右に先鋒役を置いて、老人の顔をじっと見つづけた。「ロボア様……」


 彼は……ロボアは、その声を聞いても動けなかった。青年の力を舐めているわけではないが、この人数には流石に敵わない。兵士達が扉の鍵を開けた瞬間、その足が一斉に走り出して、青年の体を見事に突き殺してしまうだろう。


 青年がかつて、そうして来たように。あらゆる場所、あらゆる瞬間に「死」が、身を滅ぼす落とし穴が待っているに違いない。そうなったら……。ロボアは最後の一歩を踏み込めず、顰め面で王室の扉を睨みつづけた。だが、「決めましょう」

 

 そこに一人、彼の不安を破る者が現れた。反乱軍の兵士達を束ねる存在、ロボアよりも一回り若い将軍が、彼の躊躇に怒声を浴びせたのである。将軍は彼の肩に手を乗せると、容赦のない顔で、王室の扉に目を移した。「貴方だけが、罪人ではない」

 

 ロボアは、その言葉に折れた。最後の抵抗を見せたが、結局は諦めたらしい。周りの兵士達にも合図を出して、謀反の責任を負いはじめた。彼は自分の人生を恥じる中で、兵士達の後ろ姿を見た。だが、「え?」

 

 闇の中から飛んで来たナイフ。ナイフは手前の兵士に突き刺さって、その喉から血飛沫を上げさせた。兵士達は床の上に倒れた仲間を見て、その表情に「なっ?」と青くなった。「どうして?」


 そう叫んだ瞬間にまた、闇の名から刃が飛んで来た。兵士達はもう一人の犠牲者に怖じ気づいて、犠牲者の前から思わず後退りした。「何が?」


 起こっている? そんな疑問に捕らわれた彼等だが、闇の中から青年が出て来ると、一瞬にして事の真相を察した。彼等は謀反の首謀者を守る形で、目の前の青年に槍を向けた。「ハデス、皇帝」


 青年……いや、ハデス皇帝か。寝間着姿のままで、廊下の兵士達を睨む皇帝。彼等が自分の人生を賭けてもなお、その命を奪おうとする青年である。青年は事の次第を察してか、兵士の一人一人を見渡して、それが示す本心に溜め息をつきはじめた。「ボケるにはまだ、早いぞ? 将軍」


 将軍も、彼の冗談に溜め息をついた。「こんな状況で、良く言える」と。彼は不機嫌な顔で、皇帝の顔を睨み返した。「生憎ですが、正常です。頭はもちろん、心も狂っていません。貴方の体にこうして」


 槍を向けた。王国の将軍に相応しい、言葉通りの業物を。「とにかく、そう言う事です。命乞いは、聞きません」


 ハデスも、それを無視した。こうなった時点で無意味、命乞いはおろか、嘆願すらも聞かないだろう。自分の周りを取り囲んで、それぞれの位置から槍を繰り出す。その一動作で終わりだ。こちらがどんなに訴えても、「殺す」の一言で聞き流すに違いない。ハデスはそう考えた上で、将軍に一応の確認を取った。


「理由は?」


「理由?」


「槍を向けたくなった理由は?」


 将軍は「それ」に黙ったが、やがて「プッ」と吹き出した。彼の鈍感さを心から恨むように。


「向けたくなったから、ですよ? 


「俺の、暴政?」


 ハデスは、右手の王笏を強く握った。今の言葉は、文字通りの禁句だったらしい。将軍はもちろん、強気な感じの兵士達も「それ」に「クスクス」と笑ったが、当の本人だけは青筋を立てて怒っていた。ハデスは兵士達の顔を一人一人睨み、そしてまた、将軍の顔に視線を戻した。「俺は、暴政などしていない」


 将軍はまた、「プッ」と吹き出した。今度も、彼を嘲笑うように。「暴君はみんな、そう言います。どんな歴史書の中にもね、『自分は、暴君ではない』と。心の底から信じている。彼等は自分の顔を見ずに、自分の顔を語って」


 ハデスは、その続きを遮った。そんな戯れ言は、聞いていられない。彼等は、文字通りの罪人である。罪人の声に耳を固める程、彼の心も寛大ではない。


 ハデスは将軍の主張を撥ね除けようとしたが、そう思った瞬間にふと、ある人物が目に入ってしまった。将軍の後ろで、今の会話を眺めていた人物。反乱軍の兵士達に囲まれた、一人の老人が視界に入ってしまったのである。


 彼は、あまりの衝撃にしばらく黙ってしまった。「ロボア、どうして? お前が、そこに? 国の重臣たる、お前が? どうして」


 謀反など? そう言い掛けた瞬間に……恐らくは、隙を見つけたのだろう。兵士の一人が、ハデスの体に襲い掛かった。彼は力任せに自分の槍を振って、相手の体に槍先を突き刺そうとした。「お前の所為じゃないか!」


 ハデスは、相手の槍を躱した。正確には少し掠めたが、相手があまりに「死ね、死ね」言うので、相手への怒りよりも混乱を覚えてしまった。彼は二撃目の攻撃も躱して、相手の首根っこを掴んだ。「どうした? そんな程度じゃ、通らないぞ?」

 

 少年兵は、「う、うっ」と泣きじゃくった。首の痛みもあるが、それ以上に今の自分が悔しいらしい。相手の体に槍も入れられない自分が、ハデスが思うよりもずっと悔しいらしかった。


 少年兵は彼の右手にしばらく藻掻いたが、ハデスがそれ以上に締め付けたので、右手の指から力が抜けた時にはもう、その命すらも失っていた。「くそっ」

 

 ハデスは、床の上に少年兵を投げ捨てた。「下らない」の一言を添えて。「こんな程度で『俺に勝てる』と思ったのか?」

 

 兵士達は、その言葉に固まった。固まったが、やがて「うるさい!」と怒鳴りはじめた。「あんな子供を簡単に、それも一つの容赦をしないで」と。兵士の括りに少年を入れていた彼等だが、そう言う部分はやはり人間だった。


 子供があんな風に死ぬべきではない。筈なのに? 彼を殺した冥王には、そんな情は備わっていなかった。ハデスは自分の手を見て、その指に溜め息をついた。「小僧の分際で、まったく、お陰で、指が汚れてしまった」

 

 兵士達は、その言葉に表情を変えた。「憤怒」が「恐怖」を超えたからである。ハデスに殺される恐怖よりも、ハデスを殺す憤怒の方が強く……つまりは、切れてしまった。


 彼等は自分の怒りに任せて、ハデスの体に槍を突き刺した。「ふざけるな、この悪党め!」と、彼への敬意をすっかり忘れたのである。「アイツはまだ、子供だったんだぞ? 家族の愛に甘える、そんな子供を簡単に! お前には、人の心が無いのか?」

 

 ハデスは、それらの主張を笑った。普通の人間が言うならまだしも、罪人の彼等では説得力がない。彼等が表す怒りの中で、その顔に冷笑を浮かべてしまった。


 ハデスは右手の王笏おうしゃくを使って、彼等の槍を防ぎはじめた。だけではない。王笏の先が尖っている事も活かして、相手の胸や喉元に「それ」を次々と突き刺した。

 

 ハデスは相手の兵士が息絶えると、その喉元から王笏を引き抜いて、笏の表面に付いた血を払った。「汚らわしい。由緒正しき王笏が、コイツ等の血で真っ黒だ」

 

 彼の周りに残っていた兵士達は、その眼光に「うっ」と縮み上がった。あの目は、人の目ではない。人の目を借りた、猛獣の目だ。自分の世界を守る、神獣の目。神の領域を守る、悪魔の目である。


 その目で見られたら、どんな兵士も生き延びられない。彼等は自身の恐怖に負けて、ハデスの前から思わず下がってしまった。「こ、この野郎。王国の面汚しのくせに。こんな……」


 ハデスは「それ」にも怒ったが、すぐに「落ち着け」と思い直した。「このまま戦うのは、流石にきつい」と。今の体力も考えて、逃げの一手を考えたのである。彼は残りの兵士達を見渡し、ついでに将軍の動きも確かめて……ロボアの裏切りには心を締め付けられたが、今の場所から勢い良く走り出した。「ロボアはきっと、騙されている。あの将軍に」


 そう呟いた瞬間に残りの兵士達も、彼の後を追いかけはじめた。彼等はハデスが宮殿の中から出た後も、真剣な顔で彼の背中を追いかけつづけた。


 将軍は廊下の窓から身を出して、ハデスが逃げて行く様を眺めた。彼の後ろを負う、自分の部下達も一緒に。「さて」


 自分も追い掛けよう。そう思った瞬間にふと、足を止めた。自分の後ろに立っていた老人が、ハデスの逃走に涙を流していたからである。将軍は老人の顔を見つめて、その肩に手をゆっくりと乗せた。「ロボアさ」


 老人は、彼の声を聞き流した。昔の、。「皇子……」


 将軍は、その「皇子」に目を細めた。その感覚こそが、「すべての元凶だ」と言わんばかりに。


「お気持ちは、分かりますが。あの男はもう、貴方の生徒ではない。我が帝国を滅ぼす、暴君なのです。帝国の民を苦しめつづけた。そんな人間に人の情を抱くのは、神の条理に背く事です」


「だが」


「ではない。それが、貴方の責任です。こんな社会を作った、貴方の。貴方は責任を、非情にならなければなりません」


 ロボアは、その場に泣き崩れた。頭と心、その両方で自分が作った世界を呪うように。「おお、神よ。すべての責任は、私にあります。この国を壊した原因も、そして、あの子が狂った原因も。すべては、私が間違った所為です。私があの子に、私の思想を教えたから。私は私の手で、あの子を冥王にしてしまったんです。誰もが恐れる、死の皇帝に。私は……」

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