夜禅

 牡丹派本部は人工樹海の中に隠れている。花ノ國の派閥石楠花派は一番目立つように本部を構えているのに対して、流石は実ノ國の派閥だ。果実を取られないように上手く隠れている。


 と、その秘密結社のような本部で牡丹派の紋章――牡丹派管轄の理想郷へ入るための資格――を受け取ったぼくはというと、


「あなたの職場は十番隊夜禅です」女子から職場を指定されたところだった。


 夜禅を指定されるということはこの女子が夜禅部隊の総隊長殿ということで、つまりぼくは夜禅部隊の一員になることを強制されているわけです。


 なになに強制されてもぼくは冷静ですよ。いや、ほんとうに冷静沈着ですよ、全身から血の気が引くような冷たい静けさですし、沈んでべっとり張り付いた汚れは落とそうにもそう簡単に落ちないですよ。ああ、ほんと今日のぼくは冷静だなぁ。


「夜禅」(え、嫌だ)などという本心は口を滑らせても言えまい。


 しかしなぜ夜禅? 第一希望は農業で第二希望は林業だったはず、希望という言葉には何が詰まっているのでしょう? 履歴書にも夜禅に関わる文字列は一切書かなかった、完璧な夜禅拒否の下でぼくは牡丹派にいる、しかしまたしても夜禅とな……いやいや、これは参った参った、ここでも失敗したらどこの派閥で仕事をすればよいのやら。

親父殿、御袋殿、牡丹派でぼくの未来はさらに暗くなりそうです。


「十番隊は新規の者たちを集めましたので、あなたには十番隊隊長となっていただきます。急な予定変更ではありますが、便利屋と名高いあなたに期待しておりますよ。共に戦いましょう」


 これまた驚きの新参者ばかりの部隊。まさか捨て駒の部隊か、いやまさか、最低最悪な牡丹派と言えど常識くらいは持っているはずだ。いやいや、捨て駒部隊が必要だから牡丹派は最低最悪と言われているのだろうか……。


 ふむ、捨て駒かもしれない新参者は守るとして、ぼくが十番隊の隊長を任せられる? それに便利屋として期待されている? つまりぼくの前職は筒抜けということ。筒抜け、それ即ち個人情報漏洩という一大事、しかし相手は五大派閥の一つ牡丹派、故に守るべき対象は個人ではなく集団。うん、予想通り五大派閥はどこも最低最悪な職場と分かった――分かっていたんだけど、ぼくは他に行くとこ無いんだよね。


 しかしまあ花入りしたからには断ることもできまい。親父殿、御袋殿、ぼくは分かっております。この場合ぼくの言うべきことは、


「期待されたならば応えます。共に、時代の波に抗いましょう」


 とぼくが返事をすれば、総隊長殿は堅苦しい表情を崩し握手を求めてきた。これから背中を任せる者同士、仲良くしていこうという意思表示だ……と思う、いやきっとそうだ。


 夜禅の総隊長の手は女子らしい手だった。もっと皮膚が厚くゴワゴワしていると思っていたが、なめらかな女子の手だった。


「お互い隊長としての立ち振る舞いを心がけましょう」と総隊長殿。


 こうなってはどうのしようもない、ここでも失敗したら無職になろう……いいや、労働はぼくへの罰だ、今回こそは失敗せずに立ち回らなければならない。あの時の恥を噛み締めろ、戒めろ、己に刻み付けろ。今回こそは欠けないように動け。


</memory>


//こうしてぼくは、牡丹派の紋章を左胸に飾ったことで花入りの過程を全て終わらせたのだ。

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