現世界

 耕世紀――復興の時代、再生時代、世を明るく照らす時代……そう呼ばれ始めたのは遠い昔だ。先代の方々より託されてきた想いを実現しようとして、いまだに現世界は死した土地のまま。土地を生き返らせることもできず、人々の暮らしを維持することで精一杯。


 そう、現世界で生きていられる生物はと言うと――ヒトと五本の大樹だけだ。


<「ぼくたちは」「わたしたちは」酷い時代に生まれ落ちた>と、聖戦の始まりから終結まで続くとされたその言葉は、今の耕世紀になっても死語にならず流行り言葉として使われている。


 酷い時代に生まれ、酷い時代を経験し、酷い時代が終わることなく己の一生が先に終わる。今の時代は大罪時代より幾分余裕があるのだろうけど、新創世紀の大罪時代を経験しない今の人は「生きている土や生きている海がある新創世紀の方がまだ生きている心地がしたはずだ」と、復興の時代を明るく照らさなければならないのに、進展のないセカイを見ては明るいこころを自ら閉ざしていた。強く生きようと足掻いても、無駄になった努力はこころもカラダも蝕むのだと、現代人はセカイに向けて発信している。


 百姓から作物を育てる楽しみを奪った神殺し、きこりから色変わりの森を奪った浄化の青い炎、浦百姓から生きている海を奪った黒白の鉄。あらゆる生命を奪った聖戦は次代の人々から希望さえも奪ったのだ。


 大罪時代の引き金は聖戦とだけ記されている。しかし聖戦だけが悪いのではないないと語られた。神を殺した一族も傍観しているだけの一族も法則を崩した一族も、つまりは〝森羅万象、セカイ時系列へ不変の因果を結んだ〟などという難しい語りをぼくの一族は語り継いでいる。


 何はともあれ、大罪時代の飽くなき余波は人々の営みを奪い、今も人々を苦しめているのだ。


 かつての語りを継ぐ者は少なく、語り継がれるは偽物や虫食いばかり。偽りで明るく照らそうとするも、現実を見る子供は笑顔を奪われてしまう。至上の娯楽としてあるはずの語り部の歴史は世に蔓延はびこり、暗くさらに暗くと、ヒトの人生苦あれば楽ありを否定する始末。


 酷い時代だ――それでもぼくたちは誇り高く生きなければならない。再生時代に生まれ落ちた己を明るく照らし、他者をも照らさなければならない。


「出番だ、ぼくは行くよ」


 という夜禅仕事に打ち込むぼくの台詞よりも、今は現世界の生き方を教えてあげたい。


 復興の時代に欠かせないもの、衣食住はもちろん完備されていなければならない。だが現世界のどこもかしこも作物の育たない土地、生き物はヒトと五本の大樹のみ、つまり衣食を満たせない法則に縛られている。


 この土地で皆が口ずさむのは「太陽はある」「水はある」「酸素はある」と、生活必需品や食糧や医薬品や燃料、その他諸々が不十分となっている。


「死んだ方がマシだ」そんなことは言うも思うもしないのが一番だ。


 そう、ぼくたちは生きている。生きているからこそ、希望は失われなかった。


【生命の大樹】。その大樹がなければ、このセカイそのものが死していたのだろう。


 大罪時代の余波穢れを受け付けない生命の大樹はぼくたちに衣食を獲得する権利を与えた。この酷いセカイで生き抜き運命に抗えと、小さな希望ヒト大きなセカイ理想郷で現世界を生き返らせてみろと…………生命の大樹は挑戦者を求めた。


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