5.変化と褒め言葉と彼女が望むこと

5.1

 式見に偏頭痛の話をしてから二週間ほど経った頃。

 生物の再現授業の後も僕は頭痛のせいで二回授業を休み、その度に式見は放課後の空き教室で授業の再現をしてくれた。

 それ自体はとてもありがたかったし、式見も先生方の真似をするのが気に入ったのか、僕に披露する時はかなり楽しそうにしていた。まだ遠慮してしまう気持ちは残っているけど、式見の負担にはなっていないとわかったのは良かったかもしれない。

 それに加えて、この二週間ほどの間で式見に大きな変化が二つあった。


 一つは――式見が普段の授業も真剣に聞くようになったことだ。

 サボりに関しては少し前から改善されていたが、再現授業をしてから普段の授業を受ける姿勢が変わっていた。背筋を伸ばして正面を向き、適度に手を動かしている後ろ姿は、以前とは別人だと思ってしまうほどだ。

 そんな風に授業態度が変化した理由は、自惚れではなく……僕のためにやっているんだと思う。頭痛で欠席する時には式見にも一報入れるようになったので、他の授業まで覚えて貰う必要はないけど、僕が授業の途中で抜け出すようなことがあるかもしれない。式見はそう考えて普段の授業もしっかり受けるようになったのだろう。

 実際のところは本人に聞いてないからわからないが……意図的にしっかり授業を受けるようにしたなら、式見の方から「盛大に褒めて欲しい」とか、「私の変化に気付かないの?」とか言ってくると思っている。これで変に探って、以前の授業態度に戻られてしまうよりは今の状況の方が望ましい。


 そして、もう一つは――

「し、式見さん」

「……何かしら?」

 四時間目が終わり昼休みに入った直後。僕がいつも通り屋上の階段前に向かう準備をしていると、式見の席に一人の女子が近づく姿が目に入る。

 クラスメイトが各々歓談を始める中、僕はその様子が気になって少し式見の席の方に近づいて聞き耳を立ててしまう。

「あ、あの……その……」

「用事があったから声をかけたんじゃないの?」

 明らかに緊張気味の女子に対して、ややぶっきらぼうな態度を取る式見。

 確かあの女子は……伏野だ。最初に苗字を見た時に“不死の”と勝手に脳内変換して、何となく厨二心がくすぐられたから覚えている。下の名前は……申し訳ないことに出てこないけど。

「し、式見さん……最近は授業……で、出られて……るんだね」

「うん。最近は体調がすこぶるいいから」

 式見は澄ました顔で病弱設定に沿った答え方をする。その設定が京本以外だとどれだけのクラスメイトに信じられているかわからないが、少なくとも伏野は病弱だった体で接していた。

「そ、それは良かった……じゃあ、その……」

 そんな伏野の手元を見ると……お弁当箱の包みらしきものを手に持っていた。その時点で僕は伏野が言い淀んでいることに何となく察しがつく。

 僕は盗み聞きを切り上げて、一人で屋上前の階段まで向かった。

「…………」

 到着して一番上の段に腰を下ろした後、僕は遠くを見つめる。まぁ、目の前には校舎の壁しかないんだけど……まさか式見が一人で食べていた場所が、僕が一人で食べる場所になるとは思わなかった。

 想像の話にはなるが、今までの式見に対する悪い噂が信じられてしまったのは、式見があまり授業に出ていなかったことも原因だと考えられる。仮に式見を悪く思っていない人がいても本人と話す機会がなければ噂や状況に流されるしかない。

 それが普通に授業へ出席するようになったことで、噂も大々的には言いづらくなって、先ほどの伏野のように話しかけようと思う人も出てこられた。このまま式見が普通の学校生活を続けていけば、病弱設定なんかなくても世話焼きの女子達が式見を気にかけてくれる日が来るかもしれない。その中から同性の友達ができる可能性も十分ある。

 色々考えてはいたけど、式見が普通の学校生活を送る一番の近道は、最初の目的である式見を授業に出させることだったのだ。

 だから、この式見と式見を取り巻く大きな二つの変化は、僕にとってどちらも喜ばしいものだった。

 絶対に喜ぶべき状況だった。

 でも――

「……僕は」

「ごめん、ソーイチ。遅くなっちゃった」

「えっ……」

 僕の視界にはいつの間にか申し訳なさそうな表情の式見が立っていた。

「ふ、伏野は!?」

 だが、驚いた僕は思わず伏野の名前を出してしまう。

「あ、話してるの見てたんだ。そのフシノさんとの話がちょっと長引いちゃって」

「……ちなみに何の話だったか聞いていいか?」

「いいけど……話というよりは、フシノさんが今の私の状況を確認していた感じだった」

 式見はそう言いながら僕の隣に腰を下ろして、コンビニ袋からローテーションが回ってきた焼きそばパンを取り出す。

「はい、炭水化物&炭水化物」

「だから、どうして罪悪感を……じゃなくて! たぶんだけど……伏野は言いたいことを言えなかったんじゃないか?」

「そうなの? 確かにフシノさんはひかえめな感じの子だけど、今日はよく喋っていたと思うわ」

「……伏野は式見とお昼ご飯を食べたかったんだと思う」

「そうかもしれないわね。お弁当を包みっぽいやつ持ってたし。はい、今日の分」

 さらりと答えつつ六対四に割った焼きそばパンを分けてくる式見。

 だけど、僕は驚いて六の方をすぐに受け取れなかった。

「わ、わかっててこっちに来たのか」

「え。だって、私はソーイチとお昼ご飯を食べる予定だし。仮に誘ってきたとしても断ってた」

「せっかく伏野が――」

「実際は誘われてすらないのよ? お昼ご飯を食べる移動のついでに話しかけてきた可能性もある。なのに、そこを察してくれというのは難しいでしょ」

「それはそうだが……」

「ソーイチ。大前提だから敢えて言わなかったけど……私はソーイチと一緒にお昼の時間を過ごしたいからここに来てるの。だから、フシノさんが親切心とか、何か色々な感情を持ってるとか全然関係ない」

 少し前のめりになりながらそう言う式見。そこまで言われて僕はようやく……式見に対して不誠実な態度を取っていると自覚した。せっかく式見が二つの選択肢がある中で、最初から僕を選んでくれたというのに、僕がそれを否定してどうする。

 そんな僕の表情を察したのか、式見は続けて喋る。

「もうわざわざ言わせないでよ。私、ソーイチの前だと恥ずかしい台詞ばかり言わされてる気がするわ」

「す、すまん……」

「そう思うなら代わりにソーイチの恥ずかしい秘密を一つ聞かせて」

「ひ、秘密って……未だに閉じた傘をかっこいい武器だと思う瞬間がある……とか」

「ほう……でも、そんなに恥ずかしいことかしら? 想像はいくつなってもするものだし、私の中のソーイチだとイメージ通りなんだけど」

「それが恥ずかしいと思うから言ったんだよ! ひとまずこれで許してくれ……」

 僕は手を合わせながらそう言うと、式見は「仕方ないわね」と言いながら体勢を元に戻した。

 突然の要求には困ってしまったが、いつも通りの空気に戻してくれたのは式見なりの気遣いなのかもしれない。

 ただ、僕は今後のためにも聞いておくべきことがあった。

「その……伏野とは普段から絡みがあるのか」

「一応聞いておくけど、エッチな意味じゃないわよね?」

「一応じゃなくてもわかるだろ! 言葉を交わす機会があるのかって話!」

「まぁ、体育の時間に少しだけ。最初のストレッチで組むのよ、余りもの同士で。あ。フシノさんを余りというのは良くなかったわね」

 特に感情を出さずに式見はそう言う。

「でも、私がサボっていた時期は誰と組んでいたのかしら。四組の女子と合わせても私が一人欠席すると奇数になるはずだから……」

「その辺にしておけ。今は式見が出て組んでるだからそれでいいだろう」

「あら。ソーイチの目が届いていない体育に最近の私がちゃんと出てると?」

「信じられるよ。今の式見なら」

 式見の試すような言葉に、僕は即座にそう言った。

 それは先ほどの不誠実な態度を取った罪滅ぼしの意味もあったけど、実際に今の式見であれば、僕がとやかく言わなくても、直接見張っていなくても、ちゃんとしていると確信できる。

 ただ、それに対する式見の反応は僕の予想と少し違っていた。

「……なんかさっきの台詞よりも辱めを受けてる気がする」

「な、なんで?」

「あーもう! とにかくフシノさんの話は終わり! 早くソーイチのお弁当箱開けて!」

「あ、ああ」

 式見に促されて、僕と式見はようやく昼食を取り始める。

 ただ、もしも伏野が勇気を振り絞り切れずにいたと考えると……僕は罪悪感を覚えてしまった。

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