10 拓の彼女

 母さんには、「もうつばさは来ないよ」とだけ伝えた。


 母さんは何か言いたそうだったけど、少し前の俺に戻ったのに気づいたんだろう。それ以上は何も言わなかった。


 つばさの連絡先は、すぐにブロックした。悔しくて胸が苦しくて涙が溢れそうになったけど、必死で堪えた。


 次の日から、俺は徹底的につばさを無視した。話しかけてきても一切反応しなかった。


 周りはどうしたんだろうって顔で見てたけど、何も聞いてこなかった。多分、前は間にいた拓が俺の味方になってくれたからだと思う。


 毎日誰の助けもなしに頑張ったからか、大分普通に歩けるようになった。こうやって日常に戻っていくんだ。つばさのいなかった日常に。


「さー帰ろうか、淳平」

「ん。帰りに買い食いしよーぜ」

「いーねー」


 そんな風にくっちゃべりながら階段を下りていると、拓が女子に呼び止められた。よく呼び止められるな、拓。


 一階と二階の間の踊り場で俺らが振り返ると、真っ赤な顔をした同じクラスの女子が立っていた。ありゃ、これはあれじゃないか?


 俺はぽんと拓の肩を叩くと、「先に下に行ってるな」と声をかけてそそくさと去る。


「えっあ……っ」


 拓の戸惑う声が聞こえた。はは、焦ってておもしろ。


 この間キラキラ女子三人に絡まれた所まで下りる。上から、女子の震える声が聞こえてきた。


「あの……っずっと拓くんのこといいなって思ってて……!」

「へ……っぼ、僕?」

「う、うん……! よ、よかったら付き合ってもらえないかなっ……て」

「えっ! あ、はい!」


 いい返事だな、拓。即答で清々しい。さすが俺の心の友だ。


「やったあ……! そ、そしたら、あの、明後日の花火大会の日、空いて……る?」


 すると拓が「あ……っ」と言い淀む。馬鹿、ここは行くところだろ!


「花火大会、俺は他の奴と行くから気にすんなー!」


 わざと明るい声を出すと、拓が「えっ! き、聞いてたのっ」と慌て始めた。ふは。


「丸聞こえだっつーの! な、折角だからこの後二人で帰ったらいーじゃん!」

「あ、え、あ……っ、……い、一緒に、帰る……?」

「あ、はい……っ」


 あー、なんかいいなあ。俺も幸せ。


「俺トイレ寄りたかったし、どーぞどーぞ」


 声だけかけて、一階のトイレへ向かった。背後から、拓の焦った声が聞こえる。


「あ、ありがと淳平! あとで連絡するから!」

「気にすんなー」


 手をヒラヒラして、トイレに入った。


 トイレには誰もいない。洗面台に両手を突くと、まだ少しガクガクする足を休める。


 はあーと長く息を吐いた。俺、いい奴だった? いい奴に見えた? 拓には沢山優しい心をもらったから、俺も返したかったんだけど、ちゃんとできてたかな。


「……笑え、俺」


 鏡を見て、寂しそうな顔をしている自分に言った。にっと歯を見せて笑顔を作ると、辛うじて笑ってるような顔が出来上がる。


 こうしていたら、いつか本物の笑顔になる。きっと。


 頬をむにむにしてほぐすと、そろそろ行ったかな? とトイレから顔を出す。誰かが下駄箱前にいるけど、じっとしてるから拓ではなさそうだ。


 それにしても、花火大会どうしようかな。ひとりで行くのもなんだし、お腹痛くなって行くのやめた戦法にしようかな、と歩きながらぼんやりと考える。


 にしても、まさか拓が彼女か。いいなあ。俺も恋人がほしい。俺のことを騙さなくて見下さない奴が。


 心臓の辺りが苦しくなって、立ち止まる。拳で胸を押さえて息を止めると、泣きたくなりそうな気持ちが少しだけ落ち着いてきた。


 さあ帰ろう、と顔を上げると。


 俺の下駄箱の前に、つばさが立っていた。


 切羽詰まったような顔で俺を見ている。……見るなよ。俺が悪者みたいな顔で見るなよ、偽善者が。


「――淳平」


 俺は返事をしなかった。周りに誰もいない今の状況だと、声を出した瞬間どうなるか分からなかったからだ。


 無言のまま上履きを脱ぐと、つばさの肩を押し除けて下駄箱の中に入れる。スニーカーを取り出そうとした手首を、つばさの大きな手が掴んだ。


「淳平、お願い、聞いて」


 ぐっと唇を噛みながら手を振り回そうとしても、つばさの方が力が強くてできない。なに、なんなんだよ畜生!


「淳平、お願いだ……!」


 泣きそうな目をしやがって、お前が被害者ヅラするのか? これだから日陰を歩いたことのない奴は。


「離せよ」

「やだ、お願いだから話を聞いて……っ」


 ブチ、と俺の中の何かが切れた音がした。


「何なんだよお前は! 俺にもう用はないだろ! 如月さんにいい顔できたんだから満足だろーが!」

「……用はある」

「俺はないから離せ」

「嫌だ!」


 つばさの顔は真剣そのものに見えたけど、俺はこれに騙されたんだ。嘘に塗り固められていたのにも気付かないで、本当に馬鹿だった。


「あいつら、なかなか淳平に何を言ったのか話さなくて遅くなった。ごめん」

「あ?」

 

 俺は話を聞くなんて言ってない。腕に力を入れても、やっぱりびくともしなかった。


「だから、クラスの他の人から、淳平が言われていたことを聞いた。みんな怖がってなかなか言いたがらなくて、俺はそんな状況だったことも知らなくて……っ」

「で? 何が言いたいの? 俺は知らなかったから無実ですーってやりたいの?」


 我ながら嫌な言い方だと思う。でもこんなんじゃ全然鬱憤は晴れなかった。


 つばさの瞳に、涙が滲む。


「違うっ! そうじゃない!」

「うっせーな。耳元で叫ぶな」

「聞いて! 俺、あいつらと縁を切った!」


 あまりの大声に、耳がキンとなった。


 ……ちょっと待て、今こいつ何て言った?


「……は?」


 思わず目も口もぽかんと開けると、つばさは真剣そのものの顔で言った。


「嘘じゃない。淳平に酷いことをしてたのを聞いて、縁切り宣言してきたから」

「お前……何言ってんの?」


 それしか言えなかった。

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