6 登校
長かった入院生活が終わった。
医師と看護師に挨拶をして、母さんと一緒にタクシーに乗り込む。
タクシーが発進すると、母さんが尋ねてきた。
「明日から登校はどうする? 一緒に行こうか?」
と言う母さんに対し、首を横に振る。
「つばさが送り迎えしてくれるらしいから大丈夫」
「あー、つばさくん? あの子、本当にマメよね」
なんせ毎日お見舞いに来ていたので、つばさは母さんとも何度も遭遇していた。でもあまりにも毎日来るので、「無理しなくてもいいから」と言ってしまったらしい。そうしたら、「会いたくて来てるんです……迷惑ですか?」と悲しそうに返されたそうだ。なにその殺し文句みたいなやつ。
「イケメンくんの懇願ってダイレクトにぐっとくるわよねー。つい『全然迷惑じゃないから!』って言っちゃったもの」
母さんは何故か「応援するから!」と言い、つばさも「頑張ります!」と力強く頷いていたらしい(母さん談)けど、どういうノリだよ。それに、毎日会いたいから会いに来るって、付き合いたてのカップルか? あいつには現在彼女はいないらしいけど、未来の彼女は覚悟しておいた方がいい。かなりの執着っぷりだぞ、あいつは。
母親が続ける。
「つばさくんのご両親から、散々要らないですって遠慮したのにお見舞金いただいちゃったのよねー。なのに送り迎えまで? なんか悪いわね。滅茶苦茶助かるけど」
ちゃっかり本音を言うのが母さんの母さんたる所以だ。
正直、松葉杖だと学校までどれくらいかかるかも不明だったし、荷物を持って満員電車に乗るのも不安だったから、つばさの好意は渡りに船だった。
「俺も一応は断ったんだけど、転んだりしてないかって考えるだけで心配で落ち着かなくなるからって言われてさ」
「……愛されてるわね……」
母さんが生暖かい目になる。なんか腹立つな。
「ま、そんな訳で何とかなるから大丈夫」
部活が始まると帰りは毎日とはいかないだろうけど、朝の通勤ラッシュから守ってくれるだけでもありがたい。
――ようやく学校に行ける。
正直、つばさがいなかったら、学校に行くことも億劫でスタートを伸ばしていたかもしれない。
だけど、つばさがすごく楽しみにしてるのがひしひしと伝わってきていた。こんなに楽しみにしてくれている友人がいるなら、そりゃ俺だって学校に行きたくもなる。
これまでの俺だったら、きっと「ハブられたらどうしよう」と躊躇していた筈。だけど今回不安よりも楽しみの方が強いのは、つばさと拓が待ってくれていると思えたからだ。
その点で、二人には本当に感謝していた。
◇
「淳平、おはよう!」
にこやかな長身イケメンが俺の家のチャイムを鳴らしたのは、通常家を出る時間より三十分早い時間だった。
「つばさ、おはよ。悪いな」
「ちっとも悪くなんかないよ! ほら、鞄貸して」
世話焼きのつばさが、俺の荷物を抱える。松葉杖の練習はしたけど、実際に学校までの距離を行くのは初めてだ。正直不安しかなかったので、つばさが隣にいることに安心した。
駅に向かう。松葉杖に慣れていないこともさながら、体力が落ちていてすぐに息切れを起こしてしまった。休み休み行かないとこりゃ無理だ。
「松葉杖、地味にきっつ……」
「駅に着いたら少し休もうよ」
心配そうに俺の顔を覗き込むつばさ。こいつ、なんでこんなに俺に親切なんだろう。結果的にこいつを突き飛ばすことになった女子生徒のことも庇うくらいだから、元が大のお人好しなのかもしれないけど。
どうにかこうにか駅まで辿り着くと、ホームのベンチでひと休みした。
「はい、これ!」
「え?」
つばさが差し出してきたのは、水筒だ。
「お前んじゃねーの?」
「ううん、これは淳平用。俺のは別にあるよ」
本当に鞄から別の水筒を取り出してみせるつばさ。あれ、おかん? おかんがいるよ?
「まあ……じゃあいただきます」
「うん」
水筒の中身は、キンキンに冷えた麦茶だった。息切れした身体にミネラルが染み渡っている気がしないでもない。
「くぅーっ! うまい!」
「よかったぁ」
「てゆーかお前重くないの?」
「ううん、ちっとも」
にこにことやたらとよく笑うつばさを見て、「変なやつ」と苦笑する。するとつばさはハッと息を呑むと、何かに耐えるように俯いてしまった。
「……どしたん?」
「……笑ってくれた」
「え? 俺今まで笑ってなかったっけ?」
どうだったっけ。まだ若干ぎこちなさは残ってるし、拓と違ってどこまで俺のことを話して平気かも手探り段階にあるのは確かだから――あれ、確かに笑ってなかったかも。
つばさはにかんだ笑顔を浮かべながら、コクリと頷く。
「今のが、初」
「お、おう、そっか……」
なに、このむず痒い感じ。新しい友だちってしばらく作ってなかったから感覚忘れてるかもだけど、こんなのだったっけ?
そういえばこいつ、拓と俺が話してる時に俺が笑っていたとか言ってたな、と思い出した。
「なあつばさ。そういえば、俺が――」
『1番線に電車が参ります。黄色い線の内側にお下がり下さい』
「あ、電車来るよ!」
「わりい、手え貸して」
「勿論!」
つばさに手を借りながら立ち上がり、風を撒き散らしながら滑り込んできた電車によたよたと向かっていく。
それなりに混んでいる電車内に乗り込むのは、これまた一苦労だった。
「段差気を付けて!」
「うわっ」
「淳平危ないよ! 俺が支えるから体重掛けて!」
「わ、悪い」
「んーん、全然?」
つばさは爽やかな笑みを浮かべると、俺を端にもたれさせて、守るように腕で俺の両脇を取り囲む。
「辛くない?」
「だ、だいじょぶ」
俺は何故か至近距離にあるつばさと目を合わすことができなくて、目線を窓の外に向けた。
そういえばさっきの聞き途中だったな、と思い出す。だけど今この距離で話すのは何故かできそうになくて、結局降車駅に着くまでずっと窓の外を眺めていたのだった。
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