思い出を花火にするお仕事です

甘雨隣

#1 記憶銀行

 血液銀行というのが昔あったらしい。


 血を提供するとお金を受け取れるという単純な仕組みで、金目当てに職のない人間が大量に来て血液を提供したそうだ。


 記憶銀行も似たような仕組みだ。


 AIが創作に用いるための記憶ストーリーを提供し、見返りとして報酬を受け取る。AIが苦手な「新しい設定を作る」という作業を人間の記憶を流用することで補おうという試みらしい。血液銀行と違うのは質が金額に左右するという点だ。血液銀行は病気持ちの血液もかまわず採集したため、当時は輸血による死亡率が高くなってしまった。一方記憶銀行においては質がもっとも重視されており、提供前に厳密な精査がなされる。碌でもない記憶には値段すらつかない。


 記憶には所有権がある。誰がなぜそんな権利を主張しはじめたのか分からないけれど、記憶銀行の仕組みを簡略化するためというのが主な目的だと言われている。記憶銀行の管理人は記憶を読み取る際、売却者にナノマシンを飲ませて海馬から提供済みの記憶を消去する。消去された記憶の中で得た知識(結晶性知能に属する知識)については施術後も忘れることは無いという触れ込みだが、ナノマシンが実用化されてからそれほど日は経っていないのでもしかすると害があるかもしれない。


 僕の記憶もほとんど記憶銀行に売り払った。親が遺した借金を返済するためだ。診察表に記された個人番号をアプリに読み込ませると診察履歴が表示され、そこには


・2023年 秘密基地の記憶 113,000¥

・2023年 初恋の記憶  163,000¥

・2026年 林間学校の記憶 55,000¥


 というような身に覚えのない記憶たちの墓標が建てられている。それらについた値段を見て、ああ自分はそれなりに美しい記憶を持っている人間だったのかと、他人事のように感じることができた(実際それは他人事と言ってよかった)。



 僕がヘッドセットを頭に装着しようとすると、女の記憶銀行員が「ちょっと」と止めた。


「本当にいいの?」


 僕が今から売ろうとしているのは値段がつくうちで最後の思い出だった。本当にそれを売ってしまっていいのか、と彼女は言っている。


「ありがとうございます。でもかまいません。最初からそう決めてたので」


 端的に述べ、ヘッドセットに頭をはめた。


 恐れはなかった。それどころかむしろ今の状態に不快感を感じていた。僕の人格のほとんどは今や負の記憶によって形成されている。ならいっそ完璧に負に振り切ってしまいたいと思った。そもそも値がついているという記憶に思い至る節がない。心当たりのないものを失うことに恐怖を感じることはできなかった。


 ナノマシンと催眠剤入りの水を飲み、ベッドに横たわってゆっくり目を閉じた。ヘッドセットの電極から電気が流れ扁桃体を麻痺させる。意識がクリアになり、過去の記憶が手にとるように想起できるようになる。耳もとから渓流の音が聞こえた。提供者をリラックスさせるためのリラクゼーション音だ。僕は開発者の思惑通り全身を脱力して、けだるい真昼の夢へ沈んでいった。


 眠りから覚めたとき、僕はとても落ち着いていた。


 悲哀も不安も怒りもなかった。


 喜びも期待も希望もなかった。


「お疲れ様でした」


 ヘッドセットを銀行員が取り外す。


 天井の光が目を刺した。思わず目を細める。本棚の上に設置された時計を見るとまだ数分しか経っていなかった。長い時など一時間かかっていたので、今回売ったものはあまり大きな記憶ではなかったのだろう。


 モニターをタッチして売却済み記憶リストを確認する銀行員を横目に、ヘッドセットで押し固められた髪を掻いてほぐし、トラックの外を何となく眺めた。野良猫が二匹寄り添って歩いていて、車に引かれそうになって慌てて走り去っていった。


「わ」と「え」の中間の声を銀行員が出した。


「どうしたんですか?」僕は訊く。

「これを……」


 銀行員がモニターを指さして退いた。僕は困惑するままにスリッパを履いて立ち上がり、彼女とモニタを交互に見つめてからモニタに近づき覗き込んだ。


 目を疑った。


・2026年 運命の人の記億  43,500,000\



 記憶には旬がある。例えば映画や文学、音楽は時代の移り変わりとともに「良さ」の定義を変え続けている。旧時代の冗長で繊細な作品は敬遠され、代わりにポップでファストでちょっとスノッブな作品が求められるようになった。記憶銀行ももちろんその流れを汲んでいる。AIがSNSで交わされる言葉の傾向から現代人の求めているエピソードを分析し、それを提供するような記憶に高値をつける。そうでなくとも資産家が「こういう記憶が欲しい」と要求した場合、世間の流れとは関係なく記憶の値段が変動することもある。つまりは需要と供給だ。僕の記憶に異常な高値がついた理由はおそらくそういったことが影響していると考えられる。


 だがそれを抜きにしても「運命の人」という題名が不可解だ。今となってはナノマシンが記憶を刈り取っているので思い出せないが、それほど大事な記憶なら売却する上で何かしらの葛藤があったはずだ。だがそんな覚えはない。僕はあくまで淡々と記憶を売り払った。そのことがしこりとなって残った。


 ともあれ思わぬ収入で借金を全額返済し、その余りとして数千万円が口座に転がり込んだ僕は思いつく限りの贅沢をした。気になったサブスクサイトには全て登録し、スーパーで半額ではない寿司を買い、日帰りできる範囲で旅行をした。しかしそのどれも僕の心を踊らせることはなく、また他にやりたいことを見つけることもできなかった。頭の中に思い浮かぶのはつまらない発想ばかりで、漠然とした不安が募るばかりになった。


 美味しいはずのものを食べても、美しいはずの景色を見ても、響くはずの作品を見ても、僕の心は少しも動くことがなくなっていた。あるいはナノマシンによる副作用とも考えたが、それというよりはむしろ良い記憶を失ったことによる順当な後遺症なのかもしれない。良い記憶を一つも持たない僕は人生に期待することができなくなっていた。


 必然的に僕は酒に溺れた。


 アルコールで酩酊した頭では不安を感じることができなくなった。適度に取れば睡眠剤の代わりにすることもできる。だが大抵の場合は吐くまで飲み続けた。といって酒に強い体質ではないので缶ビールを数本飲んだだけで吐いてしまい、その度に自己嫌悪に陥った。自分は何をしているのだろう、とっとと死んで仕舞えばいいのに。その自己嫌悪を和らげるためにまた僕は酒に溺れた。酒、嘔吐、自己嫌悪。その繰り返し。アルコールで絶望を中和し続ける。果てしなく希薄になっていく絶望。同時に生きる意思も同程度に希薄になっていく。その最低な状態を心地良くも感じていたが、それさえ次第に飽きがくる。すると酩酊の下で息を潜めていた希死念慮が顔を覗かせた。


 何もないアパートをふらふら飛び出して、町の人込みに紛れこんだ。歩いていれば気がまぎれるように思った。1秒ごとに自分の位置が変わっている。過去の自分を後ろへ置き去りにしていくその感覚。そこに自分の感情を託して置いていくイメージを持とうとした。


 だが希死念慮は靄のような形をとって僕の背にまとわりついていた。半ば声が聞こえるようでもあった。「みんなお前を嫌っている」「みんなお前に死んで欲しいと願っている」。振り解くように足を早める。


 次第に人目が気になり始めた。誰もが自分のことを笑っているような気がしてきた。なぜだがとてつもなく後ろめたい気持ちが頭をもたげる。ほとんど駆けるように歩く。


 いつの間にか駅横の家電量販店のショーウインドーの前に出ていた。人だかりがあった。どうも何かのニュースがやっているらしい。サッカーや野球には興味がなかったが、皆が何を見ているのかそれだけが気になって人だかりの隙間を縫って入った。


 半ばほど入り込んだところで、コメンテーターの声が聞こえ始める。


 ――運命の人の記憶。これ史上最高金額ということで、記憶専門家の××さんにお越しいただきましたが、××さん、これについてどういった見方をすればいいでしょう。


 そうですね、私が訊いたところによると、この記憶は商業用に極めて有用なノスタルジーを有していて、それが価値を高めているのではないかというのがまず考えられますよね。それからそもそも、運命の人の記憶というのが極めて希少なものでして、今日本のデータベースにあるのはこれと併せて二つか三つだけなんです。需要と供給のバランスが極端な方向に傾いた結果、こういう値段になったんじゃないかと私は思いますけどね。


 はい、ありがとうございます。さて、当番組では独自に――


 聞いている途中、人は口々にこんなことを話していた。


 いつ出版するんだろ、俺絶対買うわ、運命だって、お前どうする、最近買った孤児の恋の記億小説が胸糞悪かったから、口直しに欲しいかな、なんだよその糞みたいな小説、いやなんか気の迷いで買っちゃって。


 ああ、なるほどな。僕は思った。



 何だか吐き気がしてきた。僕はその場を離れてコンビニのトイレに入り吐いた。そうせずにはいられなかった。自分の持っていた記憶が、自分の一部だったものが、誰かの慰み者として社会に受け入れられていくということがなんだか気味悪くて仕方なかった。途端に生々しい現実を突きつけられた気がした。今までそれに気がついていなかった自分に嫌気がさした。


 なぜ自分は記憶を売ってしまったのだろう、と思った。なぜそれほど大切な記憶を売ってしまったのだろう。売り渡してしまったのだろう。記憶は自己の一部だ。それを売ることはすなわち身体をちぎって捨てるようなものだ。精神的な自己帰結を試みたとでもいうのだろうか。勘弁してほしい。これから先も自分は生き続けていくというのに。


 冷静になった今となっては、記憶を売ったときの気持ちもそれを後悔した気持ちも理解できる。頭痛や口内炎に苛まれている時にはそれが完治したらどれほど幸せだろうかと想像するのに、いざ治って仕舞えばすぐにその状態が当たり前になってありがたみなど感じなくなる。それとよく似ている。記憶を売る前と売った後では、僕は多分違う人間だったのだろう。哲学的な意味で。


 胃の中にある吐瀉物を便器にはきおえ、トイレットペーパ―で口の周りに付着した胃液をふき、水に流した。併設された流し台で口をゆすぐ。そこで鼻にも胃液が入り込んでいることを思い出し、トイレットペーパ―で鼻をかんでまた水に流した。息をつく。手を洗い、便座に腰を落ち着けた。


 吐いたことによって幾分気がマシになった。公衆のトイレをこんな用途に使うのは気が引けるがやってしまったことはしょうがない。もう一度息をつき、なんとなく上を見上げた。


 扉に張り紙がある。


『思い出を花火にするお仕事です』


 張り紙には大きくそう書かれている。


 バイトの募集らしい。二ヶ月後の花火大会の準備をするバイトとのことだが、内容は詳しく書かれていない。とてつもなく怪しいが、張り紙のデザインはシンプルながら洗練された雰囲気を漂わせている。異質な空気に僕は魅了され、スマホで張り紙に記載された電話番号の部分を写真に収めた。


 冒険の予感がした。


 この出口が見当たらない地獄から出るきっかけがそこに見出せるような気がした。


 単なる狂人の直感に過ぎない。偉大な演劇に出てくるような狂人とは違い、僕のような平凡で半端な狂人には優れた洞察力はない。だからこの直感が誤っている可能性も大いにあった。だが目の前に現れた可能性をみすみす逃すこともないだろう。そう自分に言い聞かせると僕はトイレから出てもう一度手を洗い、ついでに酒とするめを買って帰路についた。



 電話をかけるにあたって、僕はいくつかの儀式を執り行わなければならなかった。別にそういう規定があるわけではないのだが、僕のような小心者にとって電話をかけるという行為は一端の大事業であり、成功させるために一種の願掛けが必要だった。


 まず目が覚めてから10分以内に布団から出る。これができないと何も始まらない。できなかった場合布団の中でほとんど一日中過ごし、明日への英気を養う。この行程に三日を要した。


 次に30分程度の散歩を行う。できる限り早朝がいい。誰の目もないところで外聞など気にせず気ままに歩き回ることで、ああ自分は真っ当な人間なのだという感覚を身に染み込ませようとする。また、この時得られる運動の高揚感を保持しなくてはならない。適度な疲労と高揚感は緊張を覆い隠す上でとても心強い要素だ。


 最後に部屋に戻り、いくつかの会話パターンを書き出したメモを前にして電話をかける。この時番号を打ち込むのはできるだけ早いほうがいい。自分に考える隙を与えないためだ。何をおいてもまず疑問の生じるタイミングを事前に潰しておくこと。これが成功の鍵なのだと僕は確信していた。


「もしもし」電話が繋がる。

「お電話ありがとうございます」


 女性の声が答える。応答するのが女性、しかも優しそうな声音の人だった場合、緊張が幾分か安らぐ。だが今回はすこしきつい口調の人だった。手汗が滲む。


「アルバイトの募集の張り紙を見て電話したんですが」

「ではお名前と個人番号の方をお願いします」


 言われるがままに答える。


 女の人はメモをとっているのかいないのか、早口で僕の言葉を復唱していった。僕が言い終わると彼女は間髪入れず僕の言った内容を再び寸分違わず唱えた。


「間違いありませんね?」

「はい」萎縮しながら僕は答えた。

「では今からテストを行います」

「はい?」

「テストです」女の声が言った。

「聞いてません」

「事前に知らせないのがうちの方針ですので」電話口からマウスをクリックする音が聞こえる。ついでキーボードを打つ激しい音。「20問あります。すべて正答する必要はありませんが、受け入れ人数に対して応募者の数が現在飽和状態にあるため、点数如何によっては残念な結果になるかもしれません」


「履歴書とか面接とかは」

「ご希望ですか?」

「いや」


 僕は高校を中退しており誇れる学歴など何もないので、履歴書がいらないのはありがたい。でもだからといって通常の順序をスッポ抜かしていきなりこんなことを始める相手を信用するのは少し難しい。


「では始めます」


 だがテストは始まった。


 女が出してくるのは決まって思考力を要求する問題だった。例えばこんな問題があった。「すべてのバラは花である。一部の花はすぐに萎れる。したがって一部のバラはすぐに萎れる。真か偽か」。僕は偽と答えた。一部の花というのは花の品種を指しているのであって、特定の品種のうち一部が萎れることを表してはいないと考えたからだ。と言ってもそれが正解かどうかはわからないのだけれど。


 他の問題も似たようなものだった。最初はバイアスを回避する能力を問うているのかと考えた。バイトの内容が高度な思考を要求するものであり、遂行するためにはバイアスを回避する能力が必要不可欠なのだと。だがいくつかの問題を解いていくうち、少し違うかもしれないと感じ始めた。


 おそらくこのテストの目的は応募者の論理的思考能力を問うことにある。大前提と小前提から然るべき結論を導き出すという単純な能力だ。夏祭りの準備に必要な能力とは思いがたかったが、とにかく僕はテストをなんとかやり終えた。


「お疲れ様でした」淡々とした声が耳に響く。


 時計を見るとまだ10分しか経っていない。それだけの時間なのに僕はどっと疲れていた。緊張のせいもあったが、何よりテストが脳に与える負荷が大きかった。


「結果は二日後電話でお伝えします。合格していた場合は三日後に指定するビルのオフィスに来てください。服装はご自由に。質問はありますか?」

「受かりますかね」

「お答えしかねます」

「じゃあいいです」

「承知しました。それでは御健闘をお祈り申し上げます」


 電話が切れる。


 手応えはほとんどなかった。多分落ちただろうな、と思った。でもまあそれでいいのかもしれない。こんな不気味な仕事には受からないほうが身のためだ。バイトなら他にいくらでもあるだろうし、そもそも金に困っているわけではない。だからいいのだ。


 二日後、合格の連絡が入った。

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