入学式と、あれやこれ

19.私は、兄さんの妹だから


 ある日の夕食時、やけに落ち着かない様子の美桜がそわそわした声を上げた。


「いっやー明日は入学式。女子高生に、JKになると思うとなんか妙にうずうずしちゃう」

「私もちょっと、足元ふわふわ」

「美桜がJKとか、何か悪い冗談を聞いてるみたいで不思議だ」

「あはっ、あたし自身もそう思う。しかも高校デビューだし、なんか身体を張ったギャグをしてるみたい!」


 美桜がおどけた風に肩を竦めれば、小さな笑い声が上がる。

 高校生になる、と思えばやはり感慨深いものがあった。

 もう子供とは言えず、中学までと違って義務教育でもない。将来という言葉が現実味を帯び、自らの進む道を見据えなければならず、不安とプレッシャーを感じる一方、キラキラと未知の輝かしい何かとの出会いに期待してしまうのも確か。

 ケガをした左手首を擦りながらこれからのことに思いを馳せていると、ふいに英梨花の憂いを帯びた声が響く。


「私は不安の方が大きいかも」


 そう言って英梨花は、自らの赤く長い髪を指先で弄ぶ。

 確かに幼い頃から周囲とは異質なこの髪色は、色んな誹りの対象になってきた。翔太でさえ様々なことがあったのだ。きっと英梨花も苦労してきたことは、想像に難くない。

 しかし美桜はそんな英梨花の心配を吹き飛ばすかのように、明るい声で言う。


「いっやー、大丈夫でしょ。高校生にもなってそんなことする人いないって。ね、しょーちゃん?」

「あぁ、むしろそんなガキっぽいことをする方が非難の的になるだろうよ」

「みーちゃん、兄さん……そうだといいな」

「それよりもえりちゃん綺麗だからさー、気を付けるのは変なちょっかい出されたり、妬まれたりする方かなー?」


 美桜の言葉で渋面を作る。それは翔太も懸念していたことだった。

 兄の欲目を差し引いたとしても、英梨花の美貌は周囲より頭1つ分抜けていると思う。

とはいえ、どうすればいいかはわからなくて。翔太が考え込んでいると、ふいに美桜は芝居がかった様子で腕を組み、「うーむ」と唸り声を上げた。


「それより目下、やばい案件があるなと思いまして」

「やばい案件?」

「うら若い乙女が、同級生の男子の家で同棲生活している件」

「ぶふっ、ぶほっ、うら若っ、ははっ、ははははっ、確かにそうだな」

「でっしょー?」


 その言い草に思わず噴き出してしまったものの、確かに端から見ればそういう状況だ。

たとえ幼い頃から一緒なのが当たり前、すっかり葛城家に馴染んでおり、むしろ居ない方が落ち着かないとはいえ美桜は一応、他人なのだ。もしこの状況がバレれば、世間体が悪いなんてものじゃないだろう。


「んー、俺たちが一緒に暮らしていることは、隠していた方がいいな」

「そうだねー。変な勘繰りはゴメンだし。あ、でもなんかこう、秘密を抱えた高校生活が始まると思うとドキドキするね!」

「んっ」



 その後、部屋に戻った翔太はベッドの上でゴロリと寝転びながら、先ほど決めた取り決めについて思い巡らす。

 年頃の男女が一つ屋根の下での生活。

 そのことで最初に意識してしまったのは、美桜でなく英梨花だった。

 今まで遠く離れていたこともあり、未だ一緒に暮らすことに慣れていないのも事実。


(本当の妹じゃない、か……)


 そのことを、美桜はまだ知らない。

 言える機会も掴めないまま、今日まで来てしまった。

 とはいえ希薄ではあるものの、血の繋がりがあることをこの髪色が示していて。

 翔太は前髪を親指と人差し指で摘まみながら、眉を寄せる。

 何かが胸の中でわだかまっていた。

 それにこれは自分1人の問題でもないだろう。

 思い立ったが吉日、翔太は「よしっ!」と自らを鼓舞してひょいっと起き上がり、その勢いのまま隣の英梨花の部屋のドアを叩く。


「英梨花、ちょっといいか?」

「兄さん? ……ちょっと待って」


 ごそごそと何かを動かす音を聞きながら待つことしばし、「どうぞ」と入室を促される。

 こちらに戻ってきた日以来足を踏み入れた英梨花の部屋は、相変わらず物が少なく寒々しさすら感じるもののしかし、自分の部屋とは違う甘い女の子の匂いがして、少しばかり落ち着かない。

 翔太が言葉を無くし目を泳がせていると、机の上に充電コードに繋がれたスマホとメモ書きが見えた。何か調べものをしていたのだろうか?

 そんなことを考えまごついていると、英梨花が訝しみながら顔を覗き込む。


「兄さん?」

「っ! あぁいやその、俺たちの、血のことというか、美桜に隠したままというか……」

「……」

「……」


 話を切り出せば、英梨花は徐々に表情を曇らせ眉を寄せていく。

 翔太は余計なことを聞いてしまったかと困った様に眉をよせ、見つめ合う形で互いの息遣いを聞くことしばし。

 やがて英梨花は睫毛を伏せ、硬い声色で呟いた。


「私は、兄さんの妹だから……」

「……ぁ」


 翔太は目を大きく見開き、瞳を揺らす。

 まるで迷子のになった幼子のような呟きだった。

 あぁ、なんてバカなことを聞いたのだろう。

 悲しげに歪むの顔を見て罪悪感と自らの言葉を恥じた翔太は、パシンッと両手で己の両頬を勢いよく叩く。


「に、兄さん⁉」

「痛ぅ~……ごめん、変なこと聞いたな。俺は兄で英梨花は妹、ずっと前からそうだった」

「ぁ……んっ」


 そう言って翔太は妹の頭をくしゃりと撫でれば、英梨花は恥ずかしそうにしつつも、口元を緩めるのだった。


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