自由世界のグレート・ゲーム――特命全権大使弘田久持の見たもの――

てくのぷろぐれっしぶ

ターン1―坤為地 三爻―強制外交

 執務室を沈みゆく太陽の赤い光が照らす中、私は目の前の端末を使って外務省の情報システムの最新情報を確認している。

 そして、この結果の分かりきっている“外交危機“の結末を見届けた。


「最後通牒の期限から2時間経過、敵対的国家は国境部から軍を撤収、か……これは勝ちだな」私は湯呑みで緑茶を飲みながら軍事総省からの報告に目を通しつつそう呟いた。


 私が特命全権大使として赴任しているこの国はある国際組織――人種隔離政策を実施する前時代的白人至上主義国家で構成される純正同盟なるによる同盟を民主化と同時に離脱を宣言し、それによりその加盟国である隣国から軍事的脅迫を受けた。


 というのがこの危機に至るまでの過程である。


 そして、その脅迫が失敗した理由は単純に、メレシア帝国と大八洲帝国の2つの超大国がこの国への侵略を行った場合をとることを宣言をしたからだ。

 古典的な強制外交、当然ながら実際に軍隊を移動させて口先だけでは無いことを示したというのもあるが。

 人種隔離政策により国連安保理決議による経済制裁を受けている状態で、侵略まで目論む側に正当性が無いことは明白であり、国力の差からこの外交的勝利は必然である。


 報告書を書くために少しだけ記憶と出来事を整理してみたが、少し具体性を欠いているかもしれない。


 まあ、後で資料と共に詳細に書けばいいだろう。


 私は緑茶をもう1杯湯呑みに注ぐ。


 そして、"大八洲帝国外交旅券おおやしまていこくがいこうりょけん"と表に書かれた自分の外交旅券を開いた。

 そこにはしっかりと、自分の顔写真と弘田久持と自分の名前が刻まれている。


 この国において帝国の外交特権を持つ者、その者たちの中心である特命全権大使――帝国の全権を代表し、自分の発言そのものが帝国政府の意思となる、現地の最高責任者という自分の役職をしっかりと噛み締める。


 本当の仕事はこれからだ。

 この国は先の離脱宣言と同時にメレシア帝国が事実上の盟主である大陸関税同盟と我が国大八洲帝国が事実上の盟主である大洋共同体を加盟を希望する経済同盟として名指しで指名したのである。


 それと同時に、隣国からの軍事的脅威に対抗するため、それらの陣営に付随している安全保障体制への参加も目的の1つであるようだ。


 今の所意図について図りかねているが、個人的には、いわゆる競りのような事をして有利な条件を引き出そうとしているのではないかと思っている。


 もし、この国が天然資源に恵まれていなければ、地続きの大陸関税同盟による地政学的有利を考慮してこちら側は加盟交渉について後ろ向きだっただろうが……


 硬い岩盤層に眠る石油と天然ガス――大洋共同体においては需要の半分を満たす程度の自給自足も出来ておらず、しばしばそれが外交と安全保障上の不利益となっているために我々からすると欲しくて仕方がない。


 本来ならば我々には採掘不能な資源であったが、そのためのメレシア人が発明した採掘技術について、我々の産業スパイは偶然それについての重要な情報を持ち帰ったのだ、故にその資源を生かすことが出来る。


 我が国の諜報機関の中心的組織である内閣情報総局の情報によれば、この国を大陸関税同盟に引き入れる事に積極的であることは間違いないらしい。


 権威主義陣営と自由主義陣営の冷戦真っ只中、自由主義陣営において力を持つ2つの陣営、2つの超大国による競争は新たな局面を迎えた。


 以前からの地政学的対立と経済競争、現在交渉中の貿易摩擦、そしてこの外交競争

 お互いがお互いを友好国であり、両国とも帝国主義の時代から国際海洋秩序を擁護してきた三帝国協定の構成国であるが、それは競争とは関係ない。


 で、あるならば、この国の特徴と求めるもの、2つの陣営の持つ手札と求めるものを確認しよう。



 この国が特徴は[一千数百万程度の人口][世界一の埋蔵量の石油資源][世界有数の埋蔵量の天然ガス][開発途上国]

 求めるものは[経済の発展][安全保障]


 経済発展において手っ取り早いのは最初に石油産業を育成し、その後に製造業や重化学工業を行う企業を進出させることだ。

 しかし、そのためには道路などの基盤を整備などを体系的に行っていく必要がある。


 また、安全保障においても抑止力としての効果が低ければ短期決戦を前提とした打算による侵略を招く可能性が存在するためある程度地域における抑止力を担保出来ることが絶対の条件となる。これに関しては規模と速度が重要だろう。


 あと付け加えるなら、いずれかの経済同盟に加盟するための条約の承認は議会の権限だが、議会の主流派はこの問題は大統領の決定を追認する意向を示している。



 メレシア帝国が持つ手札は[距離と陸続きであることによる地政学的優位][経験豊富な石油産業][迅速な戦力投射]

 そして弱点は[加盟までの時間の長さ][開発途上国への開発経験の不足]


 また、内部事情において大陸関税同盟も石油は自給可能では無いが、これはメレシア国内において硬い岩盤層からの石油採掘が環境保護のために厳しい規制に晒されているからである。その代わりに広大な国土を利用して再生可能エネルギーや原子力発電に注力している。


 しかしながら、資源の自給体制の関心はかなり高く、既に希少金属の積極的再利用とかなり大規模に行っているなど資源の自給体制構築への意欲がかなり高いという報告がある。他国の環境への関心の程度は不明であるが、既存の石油採掘への強固な規制が成されてはいないため、少なくとも自給体制の構築が優先されていると考えられる。


 情報不足故に出方を伺う必要があるが、普通に考えるならば資源への関心は低くないと思われる。“石油危機“と類似した状況下において、外交的主導権を喪失しないためには十分な石油を入手することが必要だ。



 我が国大八洲帝国が持つ手札は[経験豊富で体系化された途上国開発][迅速な加盟交渉が可能][大洋共同体の広大な自由貿易市場]

 そして弱点は[距離による地政学的不利][時間を要する戦力投射]


 本国の外交政策の方針は既に決定しており、石油などの化石燃料の採掘による利益を強調することにより大洋共同体への加盟を誘導するというのが帝国政府の意思であり、我々はそれを上手く履行する必要がある。


 大体これが現状だろう。


 そして次は対戦相手についてまとめて置かなくてはな。


 まず、この国の国家元首たる大統領――ステファノ大統領は大統領制たるこの国においての行政権を持つ存在だ。


 国家元首としては平均的な年齢の男性だ。


 民主化以前から民主主義運動の中心的存在であり、民主化直後の直接選挙によって選出された。


 政治家としての彼を見る限り自由民主主義と法の支配を強く支持しているだろう。


 個人的特性について情報総局の情報によると高潔で情熱家であり、元々貧困層出身であるため国家による開発や再分配政策に関心があり、その他の分析においても社会民主主義的政策を実行する可能性が高い。資源開発が非先進国の多くの国で国営事業であることを踏まえると、資源開発は彼の考えに合致するかもしれない。


 私が直接話した限りでは、以前は国家的視点を持ち合わせておらず一個人としての 言葉と国家元首としての言葉を混同しており少し危うい印象があったが、最近は隣国の武力による威嚇によって人が変わったかのように国家的視点を持ち合わせたようだ。しかし、それと同時に国家が受ける他国からの脅威を強く認識しすぎているような気もしたが……


 次にメレシア帝国の特命全権大使であるマルセナ大使だ。


 若い女性であるが、特命全権大使としては驚く程若い。大使という役職は昔と違いそもそも順当に出世してなるような役職とは言えず、民間からの起用も多くあることを考えても若すぎる気がするが、若い上に外務省出身という事を考えれば恐らくかなり優秀であると考えられる。


 経歴から考えると確かに説得力はある。相次ぐ相続税の増税と多くの特権の喪失でその多くが没落した貴族階級の中でも経済的成功をした僅かな貴族の出らしい。


 外交儀礼を含めた上流階級の作法を肌感覚で身につけ、その他外交やそれに準ずる現場の近くで育った可能性がある。

 階級社会なんてものはメレシアにおいて社会民主党や、帝国自由党の進歩派の再分配により破壊されたとはいえ、破壊された側がその貴族性によりその国の国益に貢献するのは皮肉と思うべきか、強みと見るべきか。


 にしても茶髪が強いということは東部貴族なのだろうか?まあ、いずれにしても関係は無いだろうな。


 他の重要情報について、念の為に諜報情報を机の上の端末で確認してみると、興味深いことが分かった。


 彼女はどうやらメレシア外務省の革新派らしい。メレシア外務省において主に若手の官僚が所属する伝統的や慣例にこだわらない新外交研究会に彼女は所属しているようだ。


 と言っても、別に政治思想の集団ではなく新たな外交手法などの技術や戦略面における革新である。政治化された官僚は官僚制度と相容れないのだから当然ではある。


 結論として、油断ならない相手だ。使えるものや手法は全て利用してくるかもしれない。かなりやり手だと想定すべきだろう。


 机の端末の電源を落とし、易占いを始める。


 古臭いとはいえ、何らかの見落としが無いように己を戒めるのは重要だ。

 どんなに頭が良い人間も、あらゆる可能性を考慮できない。下を見るきっかけが無ければ足元の鉛筆すら見つけられないのだ。

 ならば不確定な占いにより、通常の思考ではたどり着けない何らかの気づきを得るのも良いだろう。

 それか、気を引き締めるきっかけ作りとするのもまた、有用だ。


 1度手を水で洗い清めてから、机に筮筒と掛肋器を置き、筮筒に50本もの筮竹を入れる。

 筮竹を握り、その中から1本だけ取り出して、筮筒に立てる。

 そして、左手で筮竹を扇状に広げ、右手で筮竹を二分する。

 右手で取った筮竹を掛肋器に掛け、その中から1本だけ取り出して左手の小指と薬指の間に挟み込む。

 そして、残りの筮竹が小指に挟んだもの含めて8本以下になるまで8本づつ左手から筮竹を取り出す。

 残ったのは8本、上卦は8本だ。

 もう一度行う。下卦は8本、つまり坤為地か。

 更にもう一度行う。残ったのは3本、三爻か。



 坤為地 三爻――確かに、一理ある。予定では商工大臣が中立国でメレシアとの貿易摩擦の交渉を終えて帰るついでにこの国を訪れる。今はその時に行われる会談や次の行動のために情報収集などのような堅実な行動を行うべきだ。今強気に出る手札も無ければ時機も良くない。今は受け身だ。



 次の方針を立てるために、経験則を基に現状を単純化しておく。

 有利不利はメレシア:八洲で7:3程度と考えられる。


 我々がこの国で石油を採掘可能な技術があるとはまだ誰も知らない故に、今の所有効な手札では無い。


 だが、今の所メレシア側の閣僚が大八洲帝国より早くこの国を訪問する予定は確認されていない。

 商工大臣の訪問が上手く作用すれば少しは有利になるかもしれない。


 手札は最前のタイミングで切らなくては……


 ちょうど外の自然光がほとんど消え去ったとき、私は各部門の報告も合わせて“外交危機“の最終報告書の作成作業を始めた。

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