第6話 籠の鳥

SIDE:シャル


 シャルがアロと別れてから3年以上の月日が流れた。


 マルフ村から王都まで1カ月半かけて戻り、その日のうちに王宮へと連れて来られた。7年近く離れていた王宮は懐かしいと言うより、初めて訪れる場所のように感じた。いよいよアロと遠く離れてしまった事を実感させられて、シャルは胸にぽっかりと穴が開いたように苦しかった。


 父である国王、正妃、実の母である側妃に再会の挨拶をして、これまでの経緯を説明する。シャルは隣国へ嫁ぐための移動中何者かに襲撃され、知らない場所に連れ去られた。そこで記憶を失い、気が付いたらマルフ村に居た、という作り話を披露する。


 家族に語った作り話より現実の方が遥かに壮絶なのだが、最愛のアロを守る為には当たり障りのない話にする必要があった。


 失った記憶はつい数ヵ月前に取り戻したが、襲撃からマルフ村の間の出来事はどうしても思い出せない事にした。


 そこからは、まるで腫れ物扱いである。王宮の中は自由に移動出来たが、外出の許可が下りない。王宮に戻った時には既に25歳となり、その上長期間行方不明だった事が様々な憶測を呼び、王家が望むような婚姻は難しい状況。

 それでも、これまでずっとシャルを探し続けていた事から分かる通り、国王はシャルを溺愛していた。戻って来た娘を二度と失いたくないから外出も許さない。どうにかしてシャルを幸せにしたいと、少しでも良い嫁ぎ先を探すのだった。


(アロと一緒に居られれば、私は幸せですのに)


 シャルはシャルで、監視の目を掻い潜って王宮から出る方法を探していた。それと並行してお世話になったマルフ村の方々にと言って、手紙を出す事は止められていない。それで、ハンザ宛てに毎月手紙を出している。


 シャルの唯一の楽しみは、ハンザからの手紙の返事だった。何枚かの紙にアロ直筆の手紙を紛らせてくれるのだ。この3年間でやり取りした手紙のうち、アロからの手紙はシャルにとって特別な宝物だった。


 つい最近届いた手紙には、この2年ほど一緒に暮らしている少女、ミエラの事がいつもより多めに書かれていた。


『母様へ


 母様、お元気ですか? 僕はいつも通り元気です。じいちゃんは最近腰が痛いと言っていますが、訓練ではまだ1本も取れません。じいちゃんの強さはおかしいと思います。


 ところで、ミエラが最近お節介で困っています。同じ歳なのに、姉か母親のつもりなのかも知れません。

 朝は叩き起こされるし、剣術の訓練中、遠くから弓で射ってきます。奇襲に対応する為だそうです。もちろん訓練用の矢ですが、当たれば痛いのです……彼女の弓の才能が恨めしくなります。

 食事も好き嫌いをすると怒られますし、風呂に入っていると突然入って来て洗い方に文句を言われます……あの出会った頃の大人しいミエラはどこに行ってしまったのでしょうか。


 そうそう。じいちゃんと話をして、僕が12歳になったら王都の王立学院を受験しようと思っています。そのために、今は剣術と魔力操作の他に、読み書き・算術と歴史の勉強もしています。


 毎日忙しないけれど、こんな風に僕は楽しく過ごしています。母様もお体を大切に、ご自分を一番に考えてお過ごしください』


 シャルはアロからの手紙を何度も読み返して、そっと胸に抱いた。


(あの子にまた会うために。私も出来る事をしなければ)


 それから更に2年が過ぎ――。


 シャルが30歳になった頃、遂に転機が訪れた。その日、王宮にたくさんある応接室の中でも上位貴族をもてなす部屋に向かった。国王から呼び出された為である。こんな時でさえ、シャルの護衛兼監視役の近衛兵が二人と専属の侍女がついてくる。


 廊下に控えていた別の侍女が扉を開いてくれて、応接室に入ると、父である国王と、30代後半に見える精悍な男性に迎えられた。


「シャルロット、よく来てくれたな。お前に紹介したい者がいるのだ。彼は新しく第四騎士団の団長に就任した、ヴィンデル・アルマー。アルマー侯爵家の次男で、これまで副団長として数々の功績を挙げている男だ」


 ヴィンデル・アルマーと紹介された男性が立ち上がり、シャルの前に進み出て片膝を突いて跪いた。


「シャルロット様、ヴィンデル・アルマーと申します」


 緩くウェーブのかかった黒髪、シャルを見上げる茶色の瞳には誠実さが浮かんでいる。


「ヴィンデル様、どうぞお立ちになって下さい。シャルロット・テイドン・リューエルでございます」


 立ち上がったヴィンデルの身長は190センチくらいあるだろうか。小柄なシャルが見上げる程の偉丈夫であった。騎士団の礼服に身を包んでいるが、内側の筋肉で今にもはち切れるのではと心配になる。


「シャルロット、此度の騎士団長就任に伴い、ヴィンデルを子爵に叙爵する。この者の妻となり、アルマー子爵家を盛り立ててくれぬか」


 リューエル王国の貴族女性は10代後半から20代前半で嫁ぐのが普通なので、結婚については王家も諦めかけていたのだが。

 ヴィンデルは騎士団に入団した時に見かけたシャルロットに一目惚れし、その思いをずっと胸に秘めていたそうだ。本業の傍らでシャルロット捜索隊の指揮を執り、とある行商人から齎された情報でシャルロットを見つけ出した当事者であった。


 マルフ村に迎えに来た一団の中にもヴィンデルが居たのだが、アロと引き離されて悲しみに暮れていたシャルはそれどころではなく、全く覚えていなかった。


 侯爵家の次男と言っても、家督は長男が継いでいるのでヴィンデルは貴族位を持っていなかった。しかし、行方不明だった第三王女を見つけた功績と、第四騎士団長に就任する程の過去の功績を鑑み、王国内でも異例だが、男爵ではなくいきなり子爵位を授けられる事になったのである。


 リューエル王国の第三王女シャルロットは、言い方は悪いが王家の「お荷物」と化しつつあった。7年以上も行方不明となって記憶を一部なくし(た事にしている)、30歳を超えた女性王族。これまでの縁談は高位貴族の側室や大商人の妾、隣国の側妃といったものばかりであった。


 ヴィンデルが子爵に叙爵されるのは、シャルロットの夫として釣り合いを取るという意味合いも大いに含んでいた。それはヴィンデル自身もよく分かっている。子爵家の正室ならば王家の体面もギリギリ保たれると言うものだ。


 シャルは頭をフル回転させていた。これは王宮から出る絶好のチャンスである。このまま籠の鳥でいたら、アロには二度と会えないかも知れない。ヴィンデル・アルマーの事は全くと言って良い程知らないが、元々貴族や王族の婚姻に恋愛感情などないのが普通である。


「ヴィンデル様。不束者ですが、どうぞよろしくお願いいたします」


 シャルがにっこりと微笑んでそう言うと、国王はほっと安堵の吐息を漏らし、ヴィンデルはその精悍な顔が崩れる程の満面の笑みを浮かべた。


(あ。この方は笑うと少年のようになるのですね)


 ヴィンデルや国王に加えて数名の文官、さらにアルマー家の家臣同席の下で今後について打ち合わせた。その後ようやく解放されたシャルは、早速ハンザに向けて手紙をしたためる。


 もちろん、自分が結婚することをアロに報告するためである。これでようやく王宮から解放されるのだ。またアロと会えるかも知れない。シャルはヴィンデルとの婚姻よりも、アロとの再会に胸を高鳴らせるのだった。

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