婚活写真、お撮りします。
たまこ
第1話
忘れてしまいたくて。あの恨みも、苦しさも、悲しさも、……温かさも全て。
消してしまいたくて。放たれた棘のある言葉も、無駄になってしまった努力も……優しく笑ったことも全て。
私は新しい街に来た。全てをあの場所に置いて、忘れて、消して。ここでやり直すのだと、強く決意して。
「あ、ここだ。」
ある春の昼下がり。住み始めたばかりのアパートから徒歩で十五分ほど掛かり、探していた場所を見つけ、私は思わずぽつりと独り言を漏らす。その後ハッと気付き、すぐに周りをキョロキョロと見て、誰にも聞かれていないことにホッと息をつく。若い子の独り言は可愛げもあるが、三十路を過ぎた女の独り言は見ていられない。暖かく、眩しい日差しすら、私を責め立てているようだ。
引っ越してきたばかりのこの街で、私がまず初めに取り掛かろうとしているのは、職探しでも、お気に入りのカフェ探しでもない。
私が辿り着いたこの場所、少し古ぼけた写真館、そのショーウィンドウにひっそりと貼られた、小さなポスターには私が今、一番望む言葉が書かれている。
『婚活写真、お撮りします。』
◇◇◇◇
この令和の時代、婚活産業は飛ぶ鳥を落とす勢いだ。昔からある結婚相談所だって多種多様になっている。SNSやアプリを活用した婚活のブームも続いている。
そんな時代を生きる私も、結婚願望はあり、婚活に乗り出すことにした。ネットで検索すれば、婚活のツールが多すぎて情報過多だったが、パンフレットを請求し、サービスを見比べ、ひぃひぃと悲鳴を上げながらも、何とか申し込みたい結婚相談所に当たりをつけた。そして、申し込みには写真が必要だということ、その写真を撮るサービスを提供している写真館も多いことを知り、写真館を探した。
すると、近所の写真館のシンプルすぎるホームページに、少し似合わない『婚活写真、お撮りします。』の文字を見つけた。私は、思い立ったが吉日、とばかりにすぐ写真館に向かった。
(もしかして、予約が必要なんじゃないの?)
写真館のドアノブに手を掛けた瞬間、ふと当たり前のことに気付いた。そして、結婚相談所のパンフレットのサンプル写真を思い返す……あのモデルの女性は随分華やかだった。もしかしなくとも、お洒落な服装と、ばっちりメイクが必要なのではないか。
(ま、まぁ、いいか。今日は撮らないで、予約だけさせてもらおう。)
早速出鼻を挫かれた私だが、頭を振り、大きく深呼吸をして、気合を入れた後、写真館のドアを開けた。カランコロン、と懐かしいドアベルの音が響く。
「いらっしゃい。」
ドアを開けて、すぐ左側にあるカウンターに座った、私より少し年上のように見える男性が、爽やかな笑顔で迎えてくれた。
(しまった……!)
爽やかな男性を見て、私の心は後悔の念に染まった。私は、いつもは堅実なタイプなのに、変なところで猪突猛進な所がある。今日だって、この写真館を見つけてすぐ家を出た。だが、よく考えれば、同じくらいの年代の男性に婚活写真を撮ってもらうのは、少し抵抗がある。どうして、女性スタッフのいる写真館を検索しなかったのか。こういう迂闊なところが、自分でも嫌になる。
「……どうされました?」
自分から入店しておいて、顔を青くした私に、男性は心配そうに訊ねた。申し訳ない。ああ、もう、ここでお願いしよう、と腹を括った。
「す、すみません。ホームページを見て来ました。……こ、こ、婚活写真を撮ってもらいたくて。」
よし、よく言った!と自分で自分を褒める。婚活には、こんな勇気が必要だ、きっと、と心の中で自分をフォローしていると、男性は少し不思議そうに私を見ていた。
「お姉さん、婚活するの?こんなに可愛いのに?」
「へ?」
可愛い、なんてもう何年も男性に言われていない誉め言葉に、思わず胸が高鳴るが、頭の中のもう一人の私がブレーキを掛ける。これは、所謂リップサービスというやつで、真面目に受け取っては駄目なやつだ。
(すぐ本気にするところが、駄目なのよね。)
心の中で溜息をつき、男性へ笑顔を作る。
「ありがとうございます。」
「うーん……本気にして貰えないかぁ……。」
急だから仕方ないよね、としょんぼりした笑顔を見せた男性が憎らしかった。
(さっさと予約させてくれ!)
しかし、私の願いとは裏腹に、男性はとんでもないことを口にした。
「ねぇ、お姉さん。婚活するなら、俺と付き合って貰えないかな?」
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