王都にある商店街。常に人が集まる場所でありながら、王国騎士達が見回りをしてくれているおかげで治安も良いと評判だ。活気あふれる商店街の細道を入っていけば、裏路地に辿り着く。その先にあるのは別世界。この国の闇を集めたような場所。この路地裏を牛耳っているのは闇ギルド。王家や貴族達が表立ってできない仕事を肩代わりしている彼らはある程度自由が許されている。

 そんな彼らを動かすことができるのは『金』だけだ。それ以外で彼らが動くことはまずない。


 ……の、だが、もちろん例外もある。

 高級娼館の特別室、そこにレンと沙織はいた。


「はい。あーん」

「あー」


 黒い豊かな髪を結い上げ、晒された太い首筋には黒真珠が光る。真っ黒なスレンダーラインのドレスを身に纏った迫力ある美人は碧い瞳をうっとりとレンに向けている。大層な美人だが、身長は勇気と同じくらいあり、腕はレンの約三倍ある。そのド派手な美人の足の上にレンは座っていた。いつもの定位置である。


 レンが口を開くたびに口内へとスプーンが運ばれていく。とろけるようなプリンはレンの大好物だ。いつレンがきてもいいようにと、この娼館の主……でもあり闇ギルドのマスターでもあるマリアは用意している。

 二人のいちゃいちゃ(?)を前に沙織はどこを見ていいかわからずソワソワしていた。レンの餌付けに満足したマリアがちらりと沙織を見る。


「あら、口に合わなかったかしら?」

「いえ! とっても美味しいです」


 コクコクと頷く沙織。「そう」とマリアは微笑むと、一心不乱にプリンを口に運ぶ沙織をこっそりと観察した。

 ――――こんないかにも怪しいところに連れてこられたというのに、全く疑うことなく食べているわね。『渡り人』だからかしら?


「うーん……気に入ったわ」

「はい?」

「ううん。何でもない」


 語尾にハートマークがついてそうな口調で返すマリア。沙織はホッとした様子で固い笑みを浮かべた。

 ――――この状況に戸惑ってはいるようね。でも、私の見た目に怯えるでもなく、さげすむでもなく、すんなりと受け入れている。さすが、レンが連れてきた子ね。


「はい、これ」


 マリアは胸元から鍵を取り出すと、レンに渡す。


「悪いけど、一部屋しか貸せないの」

「充分だよ。ありがとうマリア。できるだけ迷惑をかけないように気を付けるから」


 そう言って、申し訳なさそうな顔でマリアを見上げるレン。マリアは眉を寄せた。


「もう、私とあなたとの仲だっていうのに遠慮しないの!」


 つん、とレンの鼻をつつくマリア。力の強いマリアの『つつき』は普通の人間ならば鼻血が出るレベルだが、レンにとってはくすぐったい程度。レンはありがとうと微笑むとマリアの上から降りた。

 マリアは残念そうな顔を浮かべているが、その頬が少し赤く染まっていることに沙織は気づいてしまった。慌てて目を逸らす。同時に、自分がレンと一緒にいることに対して何とも思っていないのだろうかと不安になる。

 そんな沙織の不安を見越したかのように、マリアは沙織に向かって微笑んだ。


「サオリも何か困ったことがあったら私に言ってちょうだいね。男には言いにくいことってあるでしょ」

「は、はい!」


 迫力美人のウインクに頬を染める沙織。


「サオリ様、行こう」

「は、はい」


 沙織はマリアに向かって深く頭を下げるとレンの後を追った。残されたマリアは溜息を吐く。


「あんなに警戒しなくてもいいのに」


 沙織とレンがどんな関係かはわからないが、間違いが起こることはないとマリアは。むしろ、沙織がいいきっかけになってくれれば……と思っているくらいなのだ。マリアは切なげに目を伏せた。



 ――――――――



 沙織は目まぐるしく変わる状況に未だについていけずにいた。レンに手を引かれてひたすら足を動かすことしかできない。

 崖から飛び降りた後、沙織は『もうダメだ』と思った。けれど、レンの驚異的な身体能力のおかげで無事助かった。ホッとしたのも束の間、レンは騎士達が確認しにくる前に逃げようとその場から沙織を連れ出した。

 そして、沙織はレンに連れられてマリアの元へと辿り着いたのだ。


 最初は娼館に連れてこられたことで、『もしや自分は売られるのか?』とレンを疑った沙織だったが、マリアの登場ですぐに違うとわかった。


 どうやら、レンはしばらくの間、二人とも身を隠した方がいいと判断したようだ。

 状況がよくわかっていない沙織でも、その方がいいということはわかる。

 あの騎士達はおそらくクリスティーヌの命令で動いていた。クリスティーヌはあからさまに二人を邪魔者扱いしていたし、あのタイミングを考えるとそうだとしか思えない。

 あの場にいた騎士達全員にクリスティーヌの息がかかっていたかどうかは定かではないが、もしあの時崖を飛び降りずにアメリアに助けを求めていたらアメリアまで巻き込まれていただろう。そう考えるとやはり、逃げたのは正解だったと思う。


 それに、沙織が助けを求めたとして、勇気はどう反応したのか。沙織はそれを知りたくは無かった。もし、勇気が全て知った上であの場にいたのだとしたら……今まで以上に人間不信になりそうだ。


 今、自分が頼れるのはレンだけ。繋いだ手を見つめる。

 ――――そういえば……こうして男の人と触れ合うのはいつぶりだろう。高校ぶり?

 不謹慎だとわかっていながらも心拍数が上がった。


「ここだ。はい、どうぞ」

「は、はい!」


 レンに促され、我に返った沙織は慌てて部屋の中へと入った。

 本来は娼館に勤める売れっ子嬢の為に用意された個室。鍵付きで防犯もしっかりとした部屋だ。まさか逃亡中の身でこんなにいい部屋を借りられるとは思っておらず驚く沙織。そして、ふと気づいた。

 ――――べ、ベッドが一つしかない!


 おそらくキングサイズのベッド。二人で寝るには充分だが、そういうことではない。

 ――――マリアさんはレンさんが好きなはずなのになぜこの部屋を?!


 困惑する沙織に気づいたのか、レンが「ああ」と口を開いた。


「絶対に手を出すことはないから安心して。どうしても嫌なら僕は床で寝るけど」

「床?! う、ううん。大丈夫! レ、レンさんを信用します」

「うん、絶対ないから安心していいよ」


 にっこりと笑うレンに、何だかそれはそれでショックを受ける沙織。そんな沙織にレンは慌てて手を横に振った。


「違うよ! サオリ様に魅力がないとかじゃなくて僕にそういう感情が備わっていないだけだから!」


 え、と固まる沙織。レンは苦笑しながら説明する。


「どうやら僕はちょっと感覚が人とはずれているみたいなんだ。自分ではよくわからないんだけどね……。皆みたいに激しく感情が動くことがあまりなくて……人を好きになるってこともよくわからない。多分、それが原因でここまでクリスティーヌに嫌われちゃったんだと思う」

「それは……」


 どう返していいかわからず口を閉じる沙織。レンはまるで他人事のように話を続ける。


「最初こそクリスティーヌは僕のこと「好きだ~」とか言ってくれてたんだよ?」

「え、ええ?!」


 今のクリスティーヌからは想像も出来ない内容に沙織は驚きを隠せない。


「僕もね、一応「好き」とは返していたけど、その……僕の反応でどうやら口だけっていうのがバレちゃったらしくって……。クリスティーヌ曰く『私に反応しない男なんてありえない』んだって。それから、なんかすごい嫌われちゃって……まさか命を狙われる程なんて思ってなかったけど。こんなことしなくても僕はいつでも婚約解消するのに」


 はあ、と溜息を吐くレン。沙織はそんなレンを何とも言えない気持ちで見ていた。ちょっとだけクリスティーヌに同情する。……が、命を狙うのはやりすぎだ。


「バルドゥル様が許さないから……なんですかね」

「それは、ありえるかも。なら、円満に婚約解消できれば命は狙われないですむのかな?」

「かもしれません。ただ、どうやって……。勇者のレンさんとの婚約をそう簡単に解消できるものなんですか?」


 沙織の質問に唸るレン。


「うーん……。僕としてはユウキ様が勇者になってくれるならって感じなんだけど……」

「だから、最近お仕事サボっていたんですね?」

「サボッ……う、うん、まあね」


 目を泳がせるレン。


「でも、勇者って世界に一人しかいないんですよね?」

「……そうだね」

「なら、無理ですね」


 レンがいるのだから、どう足掻いても勇気は勇者にはなれない。

 そう、沙織は思ったのだが、レンからの返事はない。

 様子を伺おうと見てみれば、レンは足の上に乗せた聖剣を見つめて考え事をしているようだった。


 ――――そういえば、レンさんが聖剣を身体から離しているところ見たこと無いな。


 ふと頭をよぎった考え、けれどすぐに勇者だから当たり前か……という考えに思い至る。

 考え事は終わったのか、レンが顔を上げて提案した。


「とりあえず、当初の予定通りしばらくはここで身を潜めて、今後どうするかを決めよう。ここからでもマリアの手を借りればアメリアとも連絡が取れるから」


 安心して、と微笑むレンに沙織は頷き返した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る