2章 悪女、決闘!

10話 悪女、邂逅

 この後宮では「律」が全てだ。

 だが――侍女にとっては少し違ってくる。


「おーっほほほほ! ようやくお邪魔虫蘭華が消えて清々するわ!」

「そうですね、蝶月様」


 高笑いする第五皇太子妃蝶月に、侍女であるけいは優しい笑みを浮かべた。


 そして慧は「律」が全てだという後宮の格言に異論があった。

 侍女にとって、この後宮では「妃」が全てだからだ。

 後宮で働く侍女は千人も超える。よって彼女たちは幾らでも替えのきく駒。

 立場の弱い侍女たちは妃には絶対に逆らえない。さすれば自分や家族の首が意図も簡単に飛ぶからだ。

 だからこそ、慧は今日も笑顔を張りつけて主人である皇太子妃の身の回りの世話に励む。


(――この、性悪女めっ!)


 ――己が内に秘めた真っ黒な腹と吐き出せない本音をひた隠しにして。



 ここは第五皇太子妃・黄蝶月おうちょうげつに充てられた宮、花桜かおう宮である。

 そしてこの慧は齢十八にして蝶月の側仕えをする筆頭侍女の一人になった優秀な少女なのだ。


「あ、私皇太子様に呼ばれているの。だから慧、後はよろしくね?」

「もちろんです、蝶月様。いってらっしゃいませ」


 毎朝の日課、髪を梳き、身支度を整えた蝶月はるんるんと皇太子の元へ足を運んでいく。

 満面の笑みで主を見送る慧。そしてその姿が消えた途端――。


「はーーーっ、やってられるかよこんなこと」


 慧の顔から笑みが消えた。

 目の前には散らかり放題の部屋。

 寝台はめちゃくちゃ。 皇太子にあうためにとあれもこれもと脱ぎ捨てられた着物。食い散らかされた朝食に、夜食にと所望された食いかけの果実は床に転がっている。

 毎日掃除をしているというのに、よくもまあ蝶月はこれだけ汚せるものだ。

 重たいため息をつきながら、慧は仕事に取りかかる。

 侍女の仕事はこれだけではない。他にも宮の掃除や洗濯などの雑務が山ほど貯まっているのだ。


「あら……側仕えの蝶月様だわ。お若いのに侍女筆頭になられるなんて凄い……」


 汚れた敷き布を抱えて廊下を歩いていると、下働きの侍女たちから向けられる羨望の眼差し。

 素直な尊敬の視線は悪い気はしない。だが――。


「違うわよ。アレは蝶月様の『お気に入り』なの。妃に取り入るためにどんな手を使ったのかしら……」

「そうそう。賄賂を使ったとか、蝶月様にすり寄るために他の侍女を蹴落としたとか……悪い噂も多いのよ」

「ああやって高飛車に。私たちを見下しているのよ」


 なによりも妬みや陰口のほうが大きい。

 史上最年少での側仕えの取り立て。出る杭は打たれるとはよくいったもので、慧へのやっかみは凄まじかった。


(どいつもこいつもうるさいのよ! 私がここまでになるため、どれだけ苦労していると思っているの!)


 慧は心の中でそう吐き捨てた。

 都の貧困外出身の慧は半ば身売りされるようにここにやってきた。

 この後宮ではどこまでも成り上がれる。だから慧は人一倍努力をした。

 寝ずに働き、上の者には好かれるように立ち回った。それは全て自分のため、そして家に残してきた弟によい暮らしをさせるため。


(そう。これぐらいで折れては駄目よ、慧。出世できたのだから、これくらいの陰口なんてことないわ!)


 慧の野望――それはもっとこの後宮で成り上がること。

 皇帝の妃になんて高望みはしない。せめて、侍女としての最高位――皇后の側仕えの女官になれれば。


(見下すどころか、アンタたちなんか眼中になんてないのよ! ただでさえ最近蝶月様がカリカリして機嫌を取るのが大変だったのに。そこまでいうならアンタらが蝶月様のお世話してみなさいよ! あの我が儘女の世話なんて、妃じゃなければ御免だわ!)


 だから慧は努力せず愚痴ばかり吐く人間が大嫌いだ。

 それは自分の主である蝶月にも当てはまってた。おまけにあの馬鹿――頭の弱さにはほとほと滅入る。


(そしてなによりも――)


 慧はもう一人、嫌いな人間がいた。


(――全部、紅蘭華のせいよ!)


 慧は紅蘭華のことが大嫌いだった。

 最初は忌み子と呼ばれた身分から、皇太子妃にまで成り上がった彼女に一目置いていた。


『きっと彼女も私と同じ、上を目指す人間なんだ!』


 ――そう思っていたこともあった。

 だが、彼女はなにも考えていない。自由奔放そのもの。世界は自分を中心に回っていると思っている。

 それが三日前の処刑場での大立ち回りだ。

 皇太子妃を追放されるだけではなく、おまけに廃太子とかいう不気味な存在と再婚までする始末。


「あんな自分勝手な人間、ほんっとうに大っ嫌いなのよ!」


 なんの努力もせず、好き勝手に生きている人間――慧が最も毛嫌いする人種だった。


(落ち着くなさい、慧。もう皇太子妃の宮から追い出された人間に腹を立てるだけ無駄な話――)


 そう。紅蘭華はもういない。

 いなくなって清々する、その一点だけに関しては蝶月と意見が合致するのだから。


「――あら、蝶月様はいらっしゃらないのね」


 ふと、聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 顔をあげるとそこにいるはずのない人物が立っていて慧は目を丸くした。


「え――蘭華、様?」


 そこには蘭華が立っていた。

 不思議そうにきょろきょろと辺りを見回し、はてと首を傾げた。


「私の宮にいた侍女は全員蝶月様が引き取ったと伺ったのだけれど」

「蝶月様は皇太子殿下の元へ行きました」

「あら残念。蝶月様にお話があったのですが……」


 蘭華は困ったような表情をしながら、視線を彷徨わせる。

 そして慧と目が合うと、にこりと微笑んだ。

 慧はかなり戸惑った。今まで悪態ついていた人物が、追放されたはずの、もう見ることもないであろうと思っていたはずの彼女が目の前にいたからである。


「貴女……つまらなさそうな目をしているわね」

「……は?」

「ねえ、貴女。私と龍煌様の侍女になっていただけません?」


 腹に一物も二物も抱えた腹黒悪女、自由奔放な悪女――悪女同士の数奇な出会い。


「――え、お断りします」

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