第一章 脱出

 どこから話したらいいんだろう。

 俺は、凄く辛くて限界だった。もう全てを消してしまいたかった。


 俺は昔、家族や親戚に虐待をされて学校ではいじめられて、相談相手が居なくて辛かった。


 体裁を気にして俺を束縛して何も認めてくれない母親も、躾と称して厳しく当たって嫌がらせをしてくる祖父母も、俺を馬鹿にする親戚も、皆死ねばいいと思ってた。全てに復讐したかったんだ。


 俺は俺の母親が父親と離婚した後、母親に引き取られた。その時俺はまだ五歳だった。


 両親が離婚する前に毎日のように喧嘩をしてた事を今でも覚えてる。

 母親は酷くヒステリックで、働かない父親に毎日のように罵声を浴びせてた。それを聞いている父親は煙草を吸って酒を飲んでた。俺はよく二人の喧嘩の仲裁に入った。


「お母さんお父さん、喧嘩しちゃいやだ」これが五歳までの俺の口癖だった。


 俺はまだ三人家族で暮らしてた日々を覚えてる。当時住んでた安くて古びた木造平屋のアパートの間取りまで覚えてる。大人になってからその事を母親に言ったら、記憶力の気持ちの悪い子供だって言われた。


「優希はお母さんとお父さんどっちがいい?」離婚話をする晩に俺は母親に抱っこされながら聞かれた。


 当時俺はどちらかというと母親の方に懐いていたので「お母さん」と答えた。


 大人になってから「あの時お父さんを選べばよかったのに」と母親から言われるとは当時は思わなかった。


 母親が父親と離婚後は、俺と母親は北海道のとある港町にある母方の祖父母の家に引っ越した。


 そこで俺は五歳から十六歳の冬になるまで暮らしてたんだけど、祖父母は俺の事を母親が居ないところでは“居候”って呼んでたんだ。


 冷蔵庫の中に入っているお茶を飲もうとするだけで「居候が勝手に冷蔵庫を開けるな」って怒られた。母親が居る前では「優希の家はここなんだから、自由にしていいのよ」なんてあの二重人格の悪魔、祖母は言った。


 祖父は無口で、俺が祖母にいじめられてる間は見て見ぬふりをしてた。


 だけどこの祖父も一癖ある人間だった。祖父は普段祖母の尻に敷かれていて祖母の前や母親の前では静かだったけど、俺と二人きりの時には急に物を投げてきたり平気で殴ってきた。元自衛隊の癖に陰湿な人間だった。力だけは強かった。


 祖母にも物を投げられたりしたけど、祖父の方が力が強かったから痛かった。


 ヒステリックになった祖母には、お気に入りの白いTシャツに後ろからトマトを投げられて、Tシャツが汚れて着られなくなった事は覚えてる。あれは父親から貰った大切なTシャツだったから悲しかった。あと祖母にはフライパンで叩かれた事もあった。あれは祖父の拳よりも痛かった。フライパンで叩かれた後俺の額から血が流れても誰も心配はしなかった。


 母親は日中仕事、祖母はパチンコで、平日の昼間は基本祖父と二人きりだった。


 祖父は自衛隊を定年退職した後は、ホテルで夜勤のフロントマンをしてた。


 俺が小学生の頃は、学校から帰宅すると祖父は毎日居間の横にある畳の部屋で寝てた。俺がただいまと小声で言うだけで「うるせぇ、静かにしろ」って怒鳴られた。


 それで俺は小さい頃は他人に挨拶が出来ない人間になってた。勝手に話しかけたら怒られるかと思ってた。


 俺も最初は「おじいちゃんの方がうるさい」って反論してたけど、祖父に殴られるから反抗するのは止めた。


 祖父はヘビースモーカーで毎日煙草臭かった。


 祖父には一度右腕に煙草の火を押し付けられた事がある。俺が小学三年生の頃の事だった。


 ある日祖父は祖母と長期間喧嘩中俺と祖父の二人きりになった時に、八つ当たりをするように俺を殴ってきた。その時に祖父は吸っていた途中の熱い煙草を、俺の足に押し付けようとしてきた。俺が抵抗した結果、右腕に煙草を押し付けられる事になった。熱かったし、とても痛かった。今でもその痕は残ってる。


 この事は誰にも相談出来なくて、しばらく絆創膏と長袖で生活した。


 母親は俺の腕の絆創膏を見ても、夏場に長袖を着てても何も言ってこなかった。


 小学生の頃祖母が珍しく昼間家に居る日は、俺の近くに来ては「お前の父親は最悪な人間だった。ろくに働かずに酒ばかり飲んで、しまいには暴力や浮気もしていた。お前は父親に顔がよく似ているよ。お前も将来ろくな人間にならないだろうよ。ろくな人生を歩まないだろうよ」こんな父親の悪口を毎回聞かせられてた。その言葉は後で呪いのように長い間俺を苦しめる事になった。


 俺は小さい頃何でも素直に言ってしまう性格だったから、こんな事を祖母に今日言われたと、仕事から帰宅した母親に文句を言ってた。


 母親は父親の件に関しては、祖母に言い返して怒ってた。「優希のお父さんは働いてなかったけど、暴力もされていないし浮気もされてない。なんで優希に嘘ばかり教えるの」って。


 母親と祖母は、俺が小さい頃は俺のせいで毎日こんな喧嘩ばかりしてた。あとは俺の生意気な部分で口喧嘩してた。あの子はどうにかならないのかって。祖母が大人しくしていれば俺だって大人しく生きてるのに。


 だけどある日、母親はいつも通り愚痴をこぼす俺にこう言ったんだ。


「あんたさえ我慢していればそれでいいのよ。面倒な事言わないで。お母さんをもう巻き込まないで」


 俺はその日から誰にも本心を言えずに、母親とはあまり会話をしなくなった。


 その日以降も祖父母からの嫌がらせは毎日続いてたけど、俺が我慢すればいいだけだと思ったし、親戚も小学校の教師も同級生も最悪なやつらばかりだったから、誰にも相談しようと思った事がなかった。学校では教師もいじめに加わってたから、教師に相談なんて思いもつかなかった。


 まさか小さい頃に我慢出来ていた事が、大人になった後にこんなに辛く感じるなんて思いもしなかった。


 俺が小学五年生くらいになるまでは、母親の妹夫婦とその息子娘の四人と、祖父母の家で暮らしてた。祖父母の家は二階建ての土地面積の広い家だったけど、二世帯住宅でもない普通の家だったし三世帯にしては狭かった。


 あんな狭い家で三世帯が同居してたんだ。


 俺が小学五年生になる頃には親戚一家は一軒家を購入して引っ越して行ったけど、それまで俺と母親は二階の狭い一室で二人で暮らしてた。


 親戚と同居している間は親戚にも嫌な事を言われたし、された。


 親戚にされた嫌な内容は、まず俺には小さい頃友達が居なかったから色々と言葉で侮辱された。


「友達の居ない孤独な子。この嫌われが」叔母はよく俺にそう言った。もはや俺の味方ではない母親も面白がって同じ事を俺に言った。母親は姉妹で仲が良かった。それを見た従兄弟も同じ言葉で俺を侮辱した。


 俺のあだ名は祖父母からは“居候”、母親や親戚からは“嫌われ”だった。


 友達が居ない理由は、根暗な俺の性格も一因だったとは思う。


 だけど何故か祖母は俺を毎日風呂に入らせなかったし、俺は毎日同じ服を着てたし、近所の年上のお姉さんの家に日中預けられたりもしたけど後から迷惑だと言われたし、そのうち周りから人が居なくなったからだった。


 今気付けば専門用語で言うところの“ネグレクト”、放置子だったから周囲に距離を置かれてたんだ。


 堂々と言ってくれる人はまだ有難かった。「親がもう優希君と遊ばないようにって言ってた。もううちには来ないで」


 言ってくれない人は、学校で無視をしてきた。


 だからよく親戚の叔母だけじゃなく従兄弟にも、友達が居ない事で貶されてた。


 母親も俺を同じ理由で貶した。原因は母親なのだから分かるだろうと思ったんだけど、母親は「家に籠ってばかりいないで外で元気に遊んで来なさい。お願いだから普通になって」と俺に毎日言ってきた。俺に遊ぶ相手なんていないの知ってたくせに。


 後で母親に聞いた話だけど、母親は小学生の頃俺が学校でいじめられてた事を知らなかったらしい。明らかに汚い身なりをして毎日俯いて暗く過ごしている子供を、母親なのに気付かなかったらしい。


「今更そんな事言われても知らないわよ。言わなかったあんたが悪い」後から俺が小学生の頃いじめられてた事を母親に伝えると、俺は母親にこう文句を言われた。


 小学生の頃、たまに風呂に入らせて貰える日は、一緒に入った母親が俺の下半身を毎回確認してた。何の為の確認かは知らないけど、確認する度に「悪い事したら切っちゃうからね」と脅されて恐怖だった事を覚えてる。それは俺が小学校を卒業するまで続いた。風呂の時間が苦痛だった。俺は一人で風呂に入りたかったけど、水道代が勿体ないからと、祖母は俺一人で風呂に入る事を、俺が小学校を卒業するまでは許さなかった。


 小学校でいじめっ子からカッターであちこち身体を刺されて背中や尻に傷を付けられた痕を見ても、祖父から付けられた煙草の痕を見ても、母親は何も言わなかった。俺は小学生の頃は身体に傷がない時期がなかった。


 理容室でせっかく髪を切って貰ったのに、気に入らないと言った祖母にバリカンで髪の一部を剃られても母親は何も言わなかった。


 家で皆が夕食を食べている中、祖母の八つ当たりで俺だけ水しか飲ませて貰えなかった時も母親は何も助けてくれなかった。その後あまりにもお腹が空いて祖父用に用意された夜勤帰りのご飯を食べてしまった時は祖父に「何俺の夕飯食ってるんだ」って言われて殴られたりもした。その時も母親は助けてくれなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る