第35話 そのモブ、過去に囚われ。


 古風で趣のある噴水の近く。

 いつもは安らぎを振りまくその場所に、彼らはいた。


 右頬を赤く腫らしたシオン。

 それを鬼の形相で睨みつける女子学生。

 そのすぐそばで涼しい顔をしているラクス。


 正直なところ、僕は面食らっていた。

 突然の出来事に頭が追いつかない。

 状況を理解しようと必死に考えるが、イマイチよく読み取れない。

 だが、さっきの衝撃音は恐らくあの女子学生がシオンの頬を叩いたときに鳴ったものなのだろう。

 その乾いた音が耳にこびりつき、鼓動が早まるのを感じる。


「痛っ……」

「なによその目、あんたが悪いんでしょ⁈」


 女子学生はこれでもかというほどにシオンを目の敵にしていた。

 ウェーブのかかったその長い金髪が怒りで天を穿つんじゃないかと思えてくる。そんな勢いだ。

 

「だから違──」

「何が違うって言うのよ‼︎ あんたが人の男に色目使って言い寄ったのは事実でしょ⁈」


 女子学生はかなりヒステリックになっており、シオンの言葉に耳を貸す気は全くないらしい。

 その様子を見たシオンは、呆れと怒りを含んだため息を吐いた。


「……はあ? ちょっと待って、やっぱりあなた誤解して──」

「シオンちゃん、これでわかっただろう?」

「……?」


 またしてもシオンの言葉は遮られる。

 横から口を挟んできたのは、哀れみの表情を浮かべたラクスだった。

 その声を聴いた途端、シオンの眉間にグッと皺が寄る。

 だが、そんなことは全く気にもかけていないようで、ラクスはそのまま言葉を重ねる。


「この通り、俺には心に決めた人がいるんだ。だから、君がいくら権力をチラつかせて迫ってきても、俺の答えは変わらない。俺は、君とは付き合えない。ごめんね」


 ラクスはわざとらしく声を大にして言い放った。

 その言葉にシオンは一瞬唖然としていた。

 ポカンとして、全く訳がわからないといった様子だ。

 

「は……? 何言ってるの……? 何度も迫ってきたのはあなたの方じゃない」

「いい加減にして‼︎ ラクス君がそんなことするわけないでしょ⁈」

「いやだから──っ!」


 再びその金切り声の相手をしようとしたとき、シオンの声は不自然なところで途切れてしまう。

 その理由は明白。

 

 ──が、彼女の耳にも届いてしまったのだ……。

 

「ゴミじゃん」「調子乗ってね?」「マジキモいわ」「消えればいいのに」「権力ってなに?」「親の力で男漁ってたってこと?」「別の男と2人でよくいたって噂だぜ?」「じゃあ2股じゃん」「いやそれ以上なんじゃね?」「あのなりでビッチとかウケル」「ヤラセてくんねーかなー」「都合が悪くなれば他人のせいかよ」「普通にクズだな」「死ねよ」


 四方八方で飛び交うヒソヒソ声。

 言葉は口々に繰り返され、中庭全体にどろっとした重たい空気が広がっていく。

 ざわめきが耳を刺すように響き、まるで無数の針がシオンを取り囲んでいるかのようだ。

 どれほどの声が彼女に聴こえているかは定かではない。

 だが、それでも彼女が言葉を詰まらせるには十分だったのだ。


 冷たい視線が一斉に向けられ、息を吸い込むことすら難しくなる。

 1人の少女を責め立てる冷たい波が一気に押し寄せる。

 その冷たくて重たい空気に心はぎゅっと潰され、危うく溺れそうになる。

 容赦なくのしかかる重圧に耐えるシオンは、どこか諦めたような表情をしていた。


 ……だが、このままではいけない。

 このままでいいわけがないのだ。


 シオンがラクスに言い寄るなんてあり得ない。

 ましてや、男漁りなどするはずがない。

 彼女はただ強くなるために、ずっと独りで鍛錬を続けてきた。

 誰よりも努力を重ねてきたのだ。

 それなのに、彼女を認める者は誰1人としていない。

 それどころか、罵詈雑言の嵐が彼女を襲っている。


 ……こんなのって、あんまりだろ?


 こんな理不尽、許されていいわけがないんだ。

 他の誰が認めなくても、僕だけはシオンを認めてなくてはいけない。

 かつてソーマがそうしたように、僕が彼女の支えになるんだ。

 3年前のあの日、僕は誓ったんだから。

 誇り高き英雄の名の下に、そう誓ったんだから。


 何度か深呼吸を挟んだ後、一際大きく息を吸い込んだ。

 そして、意を決して声を張り上げる。



 ──そんな資格、お前にあるのか?



「────っ⁈」



 突如、頭の中に響いた低い声が僕の声を搔き消す。

 喉まで上がってきていた叫びは、一瞬のうちに消え失せてしまった。


 動揺、狼狽、困惑、恐怖、錯乱。

 を見た瞬間、濁流のような感情が僕の頭に流れ込んだ。


 強がりで怯えを隠しながら、それでもどこかで助けを求める眼。

 少し懐かしくもあり、目を背けたくなる──


 それは、紛れもなくシオンが僕に向けた視線だった。

 しかし、僕にはが見えていた。


 (……な、んで…………⁈)


 その瞬間、頭をガンッと打たれたような大きな衝撃が全身に走る。

 視界はぐらつき、どこを向いているのかすら判別がつかなくなる。

 目の前は真っ白になり、耳鳴りも煩い。

 すべての感覚は瞬く間にぼやけ、僕の意識はそこでぷつりと途絶えてしまった。


 

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