第27話 そのモブ、やはり動けず。


 人通りの少ない別館。

 石造の本館とは違って、別館は基本的に木造だ。

 そのため、注意しなければ床板から軋む音が鳴ってしまう。

 僕はできる限り先を急ぎつつも慎重に進み、曲がり角から顔を覗かせた。

 すると、訓練場へ続く長い廊下の途中で立ち止まるシオンとラクスの姿が見えた。


「……」


 互いに沈黙している。

 こちらに背を向けているラクスの表情は見えないが、奥にいるシオンはあまり機嫌が良さそうには見えない。

 ……まあ、機嫌が良いシオンを未だ見ていない気がするが。


「奴ら、何か企んでおるのか?」

「いや、そんな雰囲気には見えないけど」

「ふむ……、では何をしておるのだ?」

「うーん、まだなんとも──って、は?」


 不意に耳に入ってきた声。

 記憶に新しいその声は、僕の真下から聴こえていた。


「……え、なんで」


 視線を落とすと、そこには両手両膝を床についた状態で僕と同様に2人の動向を窺う少女──クロロ=ディノアードの姿があった。


「くくっ、この我が怪しげな行動を取る宿敵をみすみす見過ごすわけがなかろう?」


 さも当然かのように宣ってもらってるところ悪いが、そもそも僕は宿敵じゃないからな?

 と、ツッコミを入れたくなる気持ちをグッと堪え、一度目を閉じて頭をクールダウンさせる。


「……うん、そっか。さすがだな」


 僕が頬をひくつかせながら適当な返しをすると、クロロは「なに、当然だ」と胸を張った。


「それにしてもあの女、どこかで……あ……っ!」


 シオンの顔を眺めながら眉を顰めていたクロロは、何かに気がついたのか突然挙動がおかしくなる。


「あ、あの女は……っ」

「ん? 何かあったのか?」


 僕が疑問を投げると、クロロはおどおどした様子で打ち明け始めた。


「確か、あれは我がこの学院に入学して間もない頃のことであった……。

 いつものように人気のない場でまだ見ぬ同志を待ち構えていると、奴は現れた。

 漆黒の髪を大胆に伸ばし、他者をも寄せつかせぬオーラを放つ。

 その清々しいまでの孤高さに、我の心は否応なしに躍った。

 それ故、我は奴を心から歓迎した、のだが……」


 子どもみたいに眼を輝かせながら思い出を語るクロロは、そこまで言うと声のトーンを2段階ほど下げた。


「奴は、あの凍てつくような冷酷な眼で一言『邪魔なんだけど』、そう言ったのだ……」


 若干声を震わせつつ、なんなら鼻水を啜りながら、クロロは続けて言葉を吐き出す。


「あの凄まじき覇気……、恐らく奴は人間ではあるまい……。鬼か悪魔か、少なくとも我と互角か、それ以上の強者に違いないのだ……」


 肩をガタガタと震わせるその姿に「自業自得だな」と思いつつも、流石に可哀想という気持ちが勝った。

 すると途端にクロロが小動物のように思えてきて、なんとなくその薄緑の頭を撫でたくなる衝動に駆られる。

 だが、そうこうしているうちに何かが起こったらしい。


 ──ドンッ!


 突然廊下に響き渡った鈍い音。

 それがその証拠だった。

 まさしく寝耳に水といった風に、クロロと僕は目を丸くして顔を合わせた。

 それから互いに何度か頷き合い、恐る恐るシオンたちの方へ顔を覗かせると、衝撃的な光景が目に飛び込んできた。


 壁に追い詰められたシオン。

 そこに覆い被さる勢いで迫りながら左手を壁に突くラクス。

 端的に言えば、そう──壁ドンである。


「あっ、あの2人って、そ、そのっ、そういう関係なのかっ⁈」


 足元では呑気に顔を真っ赤にしたクロロがピュアな反応を示していたが、今はそれに構っている場合じゃない。

 ラクスがシオンに迫るその光景に、僕は見覚えがあった。

 ついさっきまで忘れていたが、ラクスの壁ドンによって一気に記憶が呼び起こされた。


 これは、ラクスの告白シーンだ。


 告白の結果は言うまでもなく失敗に終わる。

 それ自体はどうでもいいのだが、その後が問題。

 シオンがこっぴどく振ると、ラクスが逆上して彼女に手を上げようとするのだ。

 そして、原作ではソーマがそこを助けるのだが……。

 今回はそのソーマがいない。

 逆上したラクスをどうやって止めればいい?

 クロロ……は、相変わらずおろおろしてるし、僕が行くしかないのか?

 でも、僕が行ってどうにかなるものなのか……?


「シオンちゃん、俺の女になってよ」


 頭を悩ませていると、ラクスはやはり原作と同じように告白を行った。

 このままではマズいと思ったのも束の間、シオンの冷め切った声が響く。


「……有り得ないから」


 その受け答えも一字一句原作通りで、正直僕は「終わった……、もう間に合わない」と諦めかけていた。


「……そっか、なら仕方ないね。また出直すよ」


 しかし、ラクスは予想に反して激昂することなく、はにかんだまま引き下がった。

 彼は「それじゃ、またね」と別れの挨拶をすると、軽く手を振りながらその場を離れて行った。


 原作と異なる展開に僕は面食らいながらも、最悪な事態にならなかったことにホッと一息吐いていた。


 ……でも、どうしてラクスは逆ギレしなかったんだ?

 というか、そもそもなんでこのタイミングで告白イベントが発生してるんだ?

 本来なら、このイベントはシオンとソーマがある程度仲を深めた後に起こるはずなのに……。


 考え出すと思考は止まらなくなる。

 だが、呑気に頭を悩ましている場合ではなかった。


「いい趣味してるわね、盗み聴きなんて」


 僅かに上がった口角と全く笑っていない目に、僕は一瞬で震え上がる。

 いつの間にか近くまで来ていたその少女──シオン=ステラスティアの存在に気が付いた僕は、心の中でひたすらにこう叫んでいた。


 (やっべー…………)


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