第9話 そのモブ、大粒の涙に約束す。


「……みんな、エナお姉ちゃんのおかげで助かったの」


 落ち着ける場所にソーマを横たわらせた後、僕がきょろきょろと辺りを見渡していると、シノはこちらが問うよりも先に話し始めた。


「突然凄い音が鳴って、村も大変なことになって。みんな混乱してたけど、お姉ちゃんがここまで連れてきてくれたの。でも……」


 しかし、シノは口を閉ざしてしまう。

 しばらくしてもその口は重く閉ざされたまま。

 なかなか言い出し辛いようだ。


 だが、彼女が何を言わんとしているのか、僕にはある程度の予想がついていた。


「エナはここを出て行ったんだね、僕とソーマを探しに」

「え……?」


 シノは「どうしてそれを知っているの?」とでも言いたそうに目を丸くしている。

 そんな彼女の疑問にどう答えたものかと、頭を悩ませてしまう。


 「どうして」と訊かれても、知っているからとしか答えようがない。

 原作ゲーム──エフトにおいて、ソーマを探すためにエナは避難所を出て行った。

 その事実を僕がたまたま記憶していただけなのだ。


 しかし今回ソーマはこうして避難所にいる。

 これによってエナの行動にも何かしらの変化があるかもしれないと少し期待していたのだが……。

 シノの反応を見るに、そう都合よくはいかなかったみたいだ。


「そっか、やっぱりそうか……」

「……ごめんアクタ。止めようと思ったんだけど、私できなくて……」


 シノは自分を責めるように項垂れる。


 『大丈夫』、『きっと無事さ』。

 彼女を安心させるなら、そういう類の言葉を優しくかけて、ゾルドのように頭でも撫でてやるべきなのだろう。

 でも、僕にはそれができなかった。


 ──このままだとエナの命が危ない。

 

 直感がそう告げていたんだ。



 ……くそっ。


 理不尽な運命に、無力な自分。

 どうすることもできず、僕はただ立ち尽くすことしかできない……。

 その現実を自覚して、自然と拳に力が入る。


 ──どうした? さっさと諦めればいいじゃないか。いつもやってることだろ?


 どこかで誰かが囁く。


 ──どうせ何もできないんだからさ、仕方ないだろ? お前は悪くないって。


 飄々としたその明るい声は、頭の中で煩いくらいにガンガンと響く。


 ……確かに、いつも僕は自分に自分で見切りをつけて、すぐに諦めてきた。

 どうせできないって決めつけて、何事もそれなりに、なあなあに済ませていた。


 ──ならいいじゃないか。今回もいつもと同じように──。


 でもそれも、本当は逃げていただけじゃないか……!


 本気になればなるほど、頑張れば頑張るほど、うまくいかなかったときの辛さや苦しみは大きくなって。

 挫折したときの虚しさが問答無用で心を蝕んできた。

 それがどうしようもなく怖くて、嫌だったから。

 だから、楽をするために、楽になるために。

 いつも僕は、僕を諦めていたんだ。


 ……でも、本当にそれでいいのか?

 それで、よかったのか……?


「……アクタ?」

「……諦めても、別にいいことばかりじゃないしな」

「……?」

「胸の中のモヤモヤはずっと残って消えちゃくれないし。そもそも諦めようと思っても、無理だしな……」

「ねえアクタ、何言って──」

「だからさ、今回は諦めることを諦めてみるよ」


 訳がわからないといった様子のシノを置いてけぼりにしたまま、僕は自分に言い聞かせるかの如く決意する。


「シノ──ソーマのこと、よろしくね」

「え……?」


 どうせ自分には何もできない。

 僕なんかが何をしたって意味がない。


 そんなこと、言われなくても自分が1番よくわかっていた。

 ……でも、それでも諦められないんだから、仕方がないじゃないか。


 無茶でもいい。無謀でもいい。

 どんなに可能性が薄くたって構わない。

 どうせ後悔するなら、できることをすべてやってから後悔しよう。

 ただそう思っただけなのだから。


「なっ……、まさか外に行くつもりなの?」

「うん」

「どうして──」

「助けに行かなきゃ──いや違うか……。ただ僕が、エナを助けたいんだ」

「……っ!」


 シノはどこか驚いたような表情をした。

 それから大きなため息を吐き、視線を落とす。


「……少しは、残される側の気持ちも考えてよ」

「それは、ごめん……だけど──」

「わかってる」

「え?」

「わかってるよ、もう……。何言っても無駄なんでしょ? エナお姉ちゃんと一緒でさ……、はあ……」


 半ば投げやりになりながら再び深いため息を溢すと、彼女は吹っ切れたように顔を上げた。

 不意に見せたその瞳は真剣そのものだったため、僕は自ずと息を呑んでいた。


「1つだけ、約束して」

「約束?」

「……絶対、2人無事に帰ってきて」


 その言葉を聴いた瞬間、思わず狼狽えてしまった。

 「無事に帰ってくる」なんて考えてなかった自分に、このとき初めて気づいたんだ。


「……善処するよ」

「……」


 なんとかいつもの調子で言葉を返してみたが、やっぱりシノは納得してくれない。

 見ればその目からは、大粒の雫が今にも溢れ落ちそうになっていた。


「……わかった、約束する。エナと2人で帰ってくるよ」

「絶対、絶対ね……?」

「うん、絶対」

「ん」


 僕の言葉に、シノは小さく頷いた。

 その拍子にぽろぽろと水滴が零れ落ちる。

 釣られて視線を落とすと、足元にはいくつかの染みができていた。


「じゃあ行ってくるよ」

「……さっさと行けばいいじゃん、バカ」


 頬を伝うそれらを隠すように背中を向けたシノを愛おしく思いつつ、僕は出口へと歩き始めた。


 しかしその数秒後、


「アクタ」


 弱々しい声音が僕の背中を呼び止める。

 振り返ると、眼を赤く腫らしたシノがこちらをじっと見つめていた。


「早く、帰ってきてね?」

「……善処するよ」

「……バーカ」


 毒を吐きながらいつものようにくしゃっと笑うシノに笑顔で返し、今度こそ僕は避難所を後にした。



 辺りは、相変わらず酷い有り様だった。

 炎が空を舞い、瓦礫の山から立ち昇る煙が灰の雲と化している。

 目眩がするほどの異臭が立ち込め、空気は吸う気も失せるほど重たい。

 炎の熱が熱風と共に充満しており、度々顔が焼けるような感覚に陥る。

 人々の叫び声や泣き声が聴こえなくなっているのは、概ね避難が完了したからなのか。

 はたまた声を上げることすらできなくなっているのか……。


 なんにせよ、目の前に広がるそれは、地獄以外の何物でもなかった。


 だが、それでも僕は前へ進んだ。

 気を抜けば後退りしそうになる。

 その度に歯を食いしばり、地獄の中を進んでいった。


「っ!」


 しかし、走り疲れて息も上がってきた頃、突如感じた異様な気配に冷や汗が垂れた。

 同時に、僕は咄嗟に物陰に身を隠していた。


 ──引き返せ、近寄ってはならない。


 本能がそう警告していた。

 ドクンドクンと痛いくらいに胸が鳴っている。

 僕は唾を呑み込み、気配の正体へと目を向けた。


「あれは…………っ!」


 そこには、忘れもしない奴の姿があった。

 見た目はゾルドに助けてもらったときと同じ。

 目と鼻のない奇妙な頭と黒紫色の皮膚が特徴的な4足歩行の化け物だ。

 それはのそりのそりと歩き回り、辺りを徘徊している。


 その悍ましい姿を見るだけで鼓動がどんどん速くなる。

 汗もだらだらと垂れてきて、頭はガンガンと響いて痛い。


 ……見つかったら終わる。絶対に死ぬ。


 どうしても最悪のビジョンが浮かんできて、力が入らなくなる。

 身も心もすっかり恐怖に呑み込まれて立っていられなくなり、小さく丸めた身体の震えが止まらなくなる。


 やっぱり怖い。

 怖くて怖くて堪らない。

 空気が、身体が、心が、地面に押し付けられているような、そんな錯覚にまで陥ってしまう。


 ……でも、いつまでもここで縮こまっているわけにはいかない。

 僕はエナを見つけて無事に2人で帰るんだから……!


 静かに目を閉じて、ゆっくりと深呼吸をする。

 それからグッと思いきり歯を食いしばり、震えを強引に誤魔化す。

 そうして臆病な自分に喝を入れた僕は、なんとか立ち上がることに成功したのだった。


 ……しかし、決死の覚悟の末に起こしたその行動を、僕は一瞬のうちに後悔していた。


「──え?」


 立ち上がると同時に、目が合ったんだ。

 いや、目なんて実際には存在しない。

 だが、確実に目が合っていた。

 いつの間にか目と鼻の先まで来ていたは、確かに僕のことを視ていたんだ。


「グルルルル……」

「はは、マジか……」


 引き攣った笑いを浮かべつつ、僕はその化け物から一目散に逃げ出していた。


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