第7話 狐面の男(修正済み)
長く辛い一日が終わり、ぐったりした私は自室に戻った。
今回の事件を知って心配した両親が、明日にもこの寮に私を迎えにやって来る。
だから本当なら荷造りをして帰省する準備をしなければならないというのに、全くと言って良いほどやる気が出ない。心の中の大きな柱がぽっきりと折れてしまった
ような心もとない感覚から抜け出せないでいるのだ。
着替える気力もなかった私は、ベッドに背中からダイブして、そのまま天井を眺め心の中を駆け巡る思考をただ漫然と観察していた。
完全に失敗した。
数少ない救いと言えば、今現在愛理とまだ出会っていない私の兄も両親も健在で、私が大学卒業後に仕事先で出会う婚約者との結婚の話も、何の障害もなく進むだろうと予想できること――確かに私の家族の幸せは取り戻せる。でも愛理と佳奈美、そして二人の家族の幸せはどうなる?
叶うなら全ての人を救いたいと考えるのは、私のエゴなのかもしれない。
それでも、自分の家族さえ幸せなら他はどうでもいいと割り切ることは出来ない。
この失敗した世界で、これから先、私は生きていく意味があるのだろうか。
二人を助ける機会は確実にあったはずなのに――。
……助ける機会。
私はベッドの上で上半身を起こすと、デスクに向かい、デスクの上に飾ってある
ピアノ型オルゴールの中から、一枚の丁寧に折り畳まれた紙を取り出した。
「過去に戻る方法」が記されている紙だ。
中を開くと、几帳面な字で綴られた「過去に戻る方法」が記されており、その末尾には、メールアドレスが書かれていた。
「このメールアドレス、今も使えるのかな……?」
紙を渡されたのは、当然「過去に戻る前」のこと。
その時は「過去に戻る方法」を実行しても、どうしても出来ない時に相談するための連絡先だと認識していたが、当時から10年以上遡った過去――それが今現在なのに、このメールアドレスは機能するのだろうか。
メールアドレスのドメイン名を見る限り、この時代に既に存在するメールサービスを使用しているようではあるが。
「……まあ、ダメなら、エラーメッセージが返ってくるだけだし」
ダメもとで、過去に戻る前に私が使っていたハンドルネームとともに、メールを
送る。
『過去に戻った方法を試して、希望した時代に戻ることが出来ましたが、助けたい人を救うことが出来ませんでした。ご相談したいことがあるので、 連絡を待っています。携帯電話番号:〇〇〇-△△△△-◇◇◇◇』
すると5分もしないうちに、見知らぬ番号から電話がかかってきた。
「ご連絡ありがとうございます。やはりあのニュースはあなたの件でしたか……お察しします」
その声は以前よりも少し若い声だが、確かにバー「夜半の月」で会った男性のものだった。しかも私と同じく、ちゃんと以前の記憶もあるようだ。
安堵の気持ちで涙目になりながら、私は口を開いた。
「友人も、狐面の男も亡くなり、前よりも事態は悪化しています……。やはり
運命は変えられない……そういうことなんでしょうか?」
後味の悪い物語でよくある、チートな技はズルいから罠があるという王道のストーリー展開だ。初めから私にそういった「モノの道理」を分からせるために、この男は甘い顔をして見せた。……そして私はそれにまんまと引っかかり、前回以上の悲劇をもたらしてしまった――もしそれが真実なら、私は自分で自分を許せなくなる。
衝動のままに、そう訴えると、男は少し驚いた顔をして否定した。
「運命は変えられますよ。本来は誰でも持っている能力なのですから。あなた
さえ、その気があれば、何度でも同じ方法でやり直すことが出来ますよ」
「……本当に? それも寿命が縮むとか裏があるんじゃ……」
「裏も何も、今回だって私は何もしていません。1回目なら失敗もよくあること。
次にまた挑戦して成功すれば良いだけのことです。もちろんあなたさえ、その
労力を惜しまないのであればの話ですが」
「……それは、もちろん!」
また失敗するかもしれないが、それでも何も挑戦しないよりはマシだ。
今回の教訓を生かして、皆が幸せな未来をつくる。
「それに……今度は僕も手伝います。一緒に過去に戻りましょう」
こうして私は「過去へ戻る方法」の2度目の挑戦をした。
今度こそ私は家族だけではなく、愛理と佳奈美――そして狐面の男を救う。
そう固く決心して、私は2度目の挑戦に賭けることにした。
***
私が「過去に戻る方法」がこの世に存在することを知る前、佳奈美が殺された事件の直後は、狐面の男はただの加害者でしかなかった。
だが男が逮捕され、彼の半生が報道されると、今度は加害者としてではなく、ある種の被害者として世間の注目が集まった。
彼は存在しない人間だったのだ。
戸籍はおろか、公的な記録がまるでないまま今まで過ごしてきたのだ。
それも意図的に。
ひっそり産み落とされた彼は出生届を出されることなく、その場限りのお金欲しさに母親から犯罪組織に売られた。
母親から与えられたものは、狐のお面1つだけ。それでもこの唯一の贈り物を男は後生大事にし、成人してからも顔を隠すために使うなど、常に身の回りに置いていたという。
そしてそのまま義務教育も世の中の常識も知らないまま、彼は身を置いている犯罪組織だけが世界の全てになってしまった。
ただ比較しないで生きることは、彼にとってある意味幸せだったのかもしれない。
逮捕されるその瞬間まで、彼は自分の属している世界が、歪んだ場所だとはまるで気づいていなかったのだ。皆が自分と同じ世界に住んでいると信じていた。
そして理解していた。
組織を抜ければ、彼の居場所はこの世に存在しないと。
でもこれは間違いだ。
本当は正しい手続きを踏めば、助かる道はあったのだ。
本当のことを教えれば、事件も起きない。この人も救える。
実際に報道では、彼が元々その特殊な環境ゆえにカタカナしか書けなかったのに、驚くべきスピードで漢字や平仮名はおろか、この現実世界の仕組みを把握しようと努めていることが騒がれ、こういった境遇の人に関して法整備をすべきではないかと話題になった。
周囲が騒ぐ一方で、本人は極めて冷静にこの世界の仕組みを学んだうえで、たとえ自分が法を知らなかったとしても、自分が刑に服すことはやむを得ないことだと納得していた。
明らかに特殊だと理解している自らの境遇を何一つ言い分けにせず、絶望に満ちた眼差しでただそういうものかと全てを受け入れている様子を見て、私は怒りとは別の感情が芽生えた。
後になって彼は証言している。
「組織から『植物』を育てたり、『やらかした奴』を処分するために、集落に住めと言われたから、そうした」
「集落に来る奴は敵だから消せと言われていたが、女二人は『違う』と思って殺さなかった」
「組織に『お前が消さなかったから、面倒事が起きた。女を殺さなければ、お前を追放する』と言われ、それは困るので殺した」
全部受動的で、自分の意思がない。
でもそれは、1つの世界しか知らなかったから。
女二人は『違う』と思える感性があるのなら、救える希望があるはずだ。
私の家族に愛理、佳奈美、そして狐面の男、彼らを全員助けてこそ、過去に戻った意味がある――改めて私はそう思った。
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