四十夜目 数字の『六』

 二〇一七年六月十六日の金曜日。

 父の日の三日前。

 第三金曜日。


 この日は私にとって特別な日だ。

 そう、ラッキーボーイを拾った日である。


 そして2年後の二〇一九年六月二十一日の金曜日。

 父の日の三日前。

 第三金曜日。


 この日も私にとって特別な日となった。

 そう、愛車のガラスが割れた日である。


 二つの出来事は日にちこそ違えど、六月の第三金曜日に起こっている。


 これを偶然と捉えるか。

 それとも必然と捉えるか。


 以前、前夫にこんなことを言われたことがある。


「あなたにとって六月っていい月じゃないんだよな」


 六月は私にとってアンラッキー月らしい。

 これまでの人生を振り返ってみる。

 たしかに六月はいろいろつらい経験をした覚えがある。


 娘の誕生日は六月。

 娘の生まれた日は嵐で、生まれたときにはすぐに泣かず、念のため、一日保育器に入った。

 入院中も体重が増えることがなく、小さいままで退院したことで、大きく育てるのにかなり苦労した。

 彼女に関しては、屈指症といって、左の中指が曲がったまま開かない先天的な病があった。成長と共に改善され、今は通常生活には支障がないほどになっているが、リコーダーなどは指が上手に曲がらず苦労している。


 二〇一七年のちーたくん(当時子猫)の闘病生活も六月。

 そして愛車の入院で代車生活したのも六月。

 前夫と完全に決別したのも六月。


 六月に不幸が起こるジンクスを持って生まれてきたのだろうか。


 そこで『六』という数字について少しばかり調べてみた。

 『六』という数字は偶数であるけれど、『三』という奇数が合わさったものであるという考え方もある。

 そういった点からも六は奇跡を起こす、未知の可能性を秘めた数字であるとも考えられているらしい。


 宗教においても『六』という数字はよく登場する。

 仏教では『六道』という言葉があるし、西洋では『六芒星』(ダビデの星)というユダヤ教のシンボルにもなっている。

 『六』という数字自体がなにか特別に悪い意味を持っているということはなさそうだった。


 たまたま六月にいろいろ起きたのは否めないし、前夫がなにを根拠に『六月』がよくないと言ったのかもわからない。

 だけど『六』という数字にはなにかしら縁めいたものは感じている。


 実際、愛犬のひなは誕生日が『四月六日』で、亡くなったのが『十月六日』である。

 前述した娘の件なども『六』に関与していることも否めない。

 そうであるならば、なにも悪いことばかり起こると考え込むこともなく、いい意味で捉えていくほうが建設的だ。


 良いことも悪いこともやってくる。

 ならば『六』という数字が自分にとっての『運命数』に当たるのかもしれないくらいには考えていいのかもしれない。

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