第六話 出兵

 兵隊たちが山へ登ったきり戻ってこないので、村人たちはひどく落胆し、そして不安に思った。

 

 鬼が倒されていないことは、太鼓の音がやんでいないことからも明らかだった。そして、不思議なことに、兵隊たちが山へ登ってからも音が途切れることがなかった。


 いくら鬼とはいえ、太鼓を叩きながら十人の兵隊を倒すことなどできるのだろうか。


「あの白蛇様を殺すようなやつじゃ。特別な力を持っているに違いない」


 鬼が魔力を持っていると人々は恐れ、そして、余計に太鼓の音を怖がるようになった。


 村に待機していた侍は、これはただごとではないと思い、ただちに城へと戻った。

一人も帰ってこないことを報告すると、みんな顔を青白くさせた。


「もしかして、その太鼓というのも、鬼の魔力であたり一帯に呪いをかけているのではないか」


 と誰かがいうと、たちまちそれがまことしやかに語られるようになり、これは一大事だと今度は百人を出兵させることにした。

 黄平が太鼓をたたき続けてから、二十五日がたとうとしていた。


 一睡もせず太鼓をたたき続けていたが、食事だけは、山の動物たちがその身を食べてくれ、と黄平にお願いをした。黄平はそれを断り、できるだけ木の実を持ってきてくれ、と頼んだ。だが、動物たちは申し訳なさそうな顔でこう言うのだった。


「黄平殿、人間たちが木を伐っていることもあってもう木の実もほとんどないのです。お願いですから、わたしたちの体を食べてください。これであなたが倒れてしまったら、白蛇様の覚悟が無駄になってしまう」


 そういわれると、背に腹は代えられないと、黄平は涙を流しながら動物たちを食べ、肉を食べなければ生きていけない鬼である自身を恨んだ。それがまた、一打にすごみを与えるのだった。

 食べることを申し出る動物たちは多かったが、黄平はそのすべてを食べなかった。それでも打ち続けたために、その身体はだんだんとやせ細っていったのである。


 二十九日目。百人の兵隊が村にたどり着いた。村まで届く大きな太鼓の音で、兵隊たちも恐怖心に駆られた。その日は村に泊まることにして、翌日、山へ出兵することになった。


――。


 鳥たちから大勢の兵隊が近づいていることを知った動物たちは頻繁に寄合を起こして、どう立ち向かうか話し合った。百人だと前回のようにはいかない。いかに黄平に近づく前に兵隊たちと戦うか。


 三十日目。日が沈むまで打ち続ければ、山の神の怒りが沈むだろうその日なのである。不眠不休のまま太鼓を打ち続けて、疲労困憊のまま黄平も太鼓を打ち続けた。


 村に集まった兵隊たちは、三々五々にわかれて、村人たちが用意した朝食で腹をこしらえると、出兵する準備をした。

 

 武具をみにつけて隊列を組むと、行列になって山道を登っていく。

 先頭は、道案内を頼まれた若い村人二人で、鬼が空恐ろしいのか青い顔をして、無言のままただ歩いていた。


「おい、若者。青い顔をして、鬼がそんなに恐ろしいか」


 隊長が、先導している村の若者を茶化すように話しかけた。


「こわいなんてもんじゃねぇです。さっきから、足の震えがとまらねぇんです。

 この地面が震えるように鳴り響く太鼓の音が聞こえませんか?

 こんな大きな音を打ち鳴らせるやつが、どんな大きな体をしているか、想像しただけで肝が冷えます」


 震えあがる村人を目の前にして、声をかけた兵士も改めて、自らが感じ取っている恐怖に目を向けた。


(俺だって怖くないわけではない。耳に綿を詰めているというのに、この大地を揺るがす音はなんだ……。ほんとうにこれほどの音を出せる太鼓を一匹の鬼がたたいているというのか)


 不穏めいた考えが胸をよぎった時だった。黒い影が草むらから、前を歩いている村人たちにとびかかった。

 一瞬のできごとに思わずたじろいでしまったが、その正体は狼であった。村人は叫び声をあげていたが、のどもとを食い破られ、血が噴き出した。


 口を赤く汚した狼は、身をひるがえすと、隊列の前に構えた。敵意をむき出しにしてうなり声をあげている。

 そして、隊列の後ろからも、ぎゃっ、という短い叫び声が聞こえて、振り返ってみると、熊や狼、サルなどから襲われていることがわかった。


(襲っているのは動物たちか。これは鬼の妖術の仕業なのか……)


 そう思案を巡らせているうちに、さきほどの二頭の狼がとびかかってきた。隊長が刃でその歯牙を受け止めている間に、近くにいた隊員がこれを一太刀、ばっさりと切り捨てた。

 

 鮮血があたり一面に飛散し、狼は体を痙攣させた。


 思案にくれる時間を与えぬように、次々と動物たちが襲い掛かってくる。

 

――。


 黄平は、意識が飛びそうになりながらも、無我夢中でバチをふるっていた。


 そうして、動物たちがさきほど告げていたことを思い出していた。


「黄平殿、人間たちは大勢、武器をそろえてこちらに向かってきます。目的はあなたを殺すことです。

 でも安心してください。私たちが必ず食い止めますから、黄平殿は日が沈むまで山の神に太鼓を奉納し続けてください」


 動物たちと人間たちが、血みどろの戦いを繰り広げている絵が頭に浮かぶ。


 そのたびに、集中が途切れて、汗でバチが手から離れそうになる。


(ここがこらえどきだ。今日、陽が沈めば山の神は怒りを鎮めてくれる)


 あれほど、黄平の周りに動物たちが集まっていたのに、今では黄平ひとり。

 意識が飛びそうになる狭間で、ひとりでさ迷っていた山の夜を思い出していた。

 

 誰もいない、山の夜道は寂しかった。

 鬼の集落を追放されて、行く当てもない不安の中、声をかけてくれたのが白蛇であった。

 太鼓の奉納のために、白い大蛇は自らその命を山の者たちのために捧げ、それから多くの動物たちも、山に生き残るもののためと、それぞれの子供たちのために命をささげた。


 思えば、本来であれば犠牲になるのは白蛇と、太鼓を打ち続ける自分だけのはずだった。

 だが、蓋を開けてみれば命をささげたのは大勢の動物たちと、それから人間も命を落としている。

 だとしたら、どうして自分は命を賭してまで太鼓を打ち続けているのか、と黄平は思った。


 答えはわからない、疲労困憊のもやのかかった頭ではなおさらだ。

 だけれど、今まで食らった動物たちの目を一匹たりとも黄平は忘れていなかった。山を守るために、死を恐れない命を黄平はみつめてきた。


 それら一匹一匹の目を思い出し、黄平は最後の力をふりしぼって太鼓を打ち続けた。

 一打。また一打。一打。一打。一打。一打。


 あと半時もすれば、陽が沈む。

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